魔法の破壊
4月15日木曜日 9時34分
カレストロ西部__カレストロ魔法学校の正門前。
今、その校舎は黒と紫の魔力が織り成す膜にすっぽりと包まれ、まるで異界に飲まれたかのような異様な光景を晒していた。
学校の外周では警察が厳戒態勢を敷いており、黄色いバリケードテープの向こうには、見物人と報道陣の群れが鈴なりになっていた。だが、内部に踏み込める者は限られており、警官たちはひたすら周囲の群衆を押し留めることに専念していた。
その中に、一人だけ結界から距離を取るように立ち、じっとそれを見上げている男の姿があった。
背広の内ポケットでタバコに手を伸ばすが、規制エリアの様子を見て、渋々ポケットに戻している。
「……ハルス警部」
名を呼ぶ声に、男がゆっくりと振り向く。
視線の先には、黒いスーツに身を包んだ女性。腰まで届く青い三つ編みが、風に合わせて小さく揺れていた。
「話は伺っていおります」
「ああ、君が噂の変身するっていう軍の……」
「ニコレスです。一応、本分はギルドの社員ですが」
ハルスは頷き、手短に尋ねる。
「それで、進捗は」
「現在、先に駆けつけたギルド社員のエルリオが、結界の解除にあたっています。あと二十分ほどで突破できるそうです」
ニコレスの近くで膝をつき、巨大な黒い壁面に手を当てながらノート端末に魔法の構文を打ち込んでいる男。
エルリオと呼ばれたその男は、キャップを後ろ向きにかぶり、額から汗を滝のように流していた。
「中で何が起こっているかわからない。急げ」
「了解です」
彼女の声は落ち着いていたが、立ち姿にはわずかに緊張の色が差していた。
誰よりも冷静な顔で、誰よりも戦場に備えていた。
「ぐぅ……長ぇよ、長ぇってマジで」
血走った目でPCと結界を交互に睨みつけ、キーボードを乱打する、エルリオと呼ばれた金髪の男。
結界から迸る魔力と解析情報を同時に読み解きながら、その手はノンストップで動き続けていた。
「ニコ、水!」
「……ああ」
呼びかけに反応し、ニコレスは迷いなくペットボトルの水を取り出す。
両手をふさがれたままのエルリオに、ストローを差し込んで口元へ運ぶ。
彼の汗をタオルでぬぐう手つきは実に手慣れたものだった。
言葉少なに、黙々とサポートに徹する。
その時、背後から少し浮いた、けれど若さのある声が届いた。
「あの!」
反射的に振り向いたニコレスの視線の先には、
カレストロ魔法学校の制服に身を包んだ一人の女子生徒がいた。
警察のバリケードのすぐ向こう。
鮮やかな水色の髪が揺れ、彼女は緊張を隠せないまま、立ち入りを訴えるように背伸びをしていた。
「ここの生徒だね」
ニコレスが落ち着いた声で声をかけると、少女はパッと顔を上げ、食い気味に名乗った。
「マオです! 友達とずっと連絡が取れなくて、来てみたらこんなんやから、どうしたらいいか分からなくて……」
不安と焦燥が混ざった口調。手は宙を彷徨い、視線も定まらない。
それでも、誰かを想う心はまっすぐだった。
ニコレスは数歩前へ出て、少女の目線に合わせて屈む。
そして、驚くほど優しく、落ち着いた声で言った。
「安心してほしい。必ずこの結界を解いて、中の安全を確保する」
その言葉は、軍人としてではなく、一人の大人としての静かな約束だった。
その後、マオはしばらくの間、黙ってエルリオの作業をじっと見つめていた。
音も立てずに、ひとつの質問も挟まず、ただ目だけが真剣だった。
__そして数分後、不意に声を上げる。
「あの!」
その声は、突拍子のないひらめきに満ちていた。
作業に集中していたエルリオも、隣で控えていたニコレスも、一斉に顔を上げる。
「どうした?」
ニコレスが眉をひそめる。
マオは、まるで正論を放つかのように、はっきりと口にした。
「もうこれ、解くより壊したほうが早くないですか」
「……壊す? 」
ニコレスの声が一段低くなる。
その単語は彼女にとって、ただの物騒な発言ではなかった。
「……どういう事だ」
「あれ?」
魔法を解くのではなく、ニコレスにとって“壊す”とは、初めて聞く概念だった。
マオにはその反応が意外だったようで、間抜けな声がでた。
「今の魔法学校では、そんな事も学んでいるのか」
「えっと。ちょ、ちょっとやってみますね。すみません通りまーす」
言うが早いか、マオはひょいと身をかがめて、警官の隙間をぬうように抜け出す。
「ちょっと君!」
警官が慌てて腕を伸ばしたが__
「私がみておきますので。はい」
ニコレスがさらりと制し、同時にマオの背後を追って駆け足になる。
次の瞬間には、マオはエルリオのすぐ隣。何食わぬ顔で手のひらに魔法陣を展開していた。
「えい!」
小さく掛け声を上げると同時に、彼女の掌に浮かんだ魔法陣が、淡い白光を帯びながら回転を始める。
それはまるで、黒紫の結界とは正反対の性質を持つかのような、純白の魔力。
魔法陣が結界に向けて掲げられたその瞬間、空気がはっきりと揺らいだ。
「な、なんだそれ」
エルリオの作業が思わず止まり、ニコレスも動きを忘れる。
結界の外壁から、黒い螺旋が__まるで引きずり出されるように、音もなく漂い始めた。
白と黒、まるで世界が反転したような異様な光景だった。
「ふぅ……」
マオが静かに息を整える。
その表情は、ついさっきまで飛び跳ねていた少女のものではなかった。
瞳は研ぎ澄まされた刃のように細く、呼吸すらも魔力の律動に合わせるような静けさがあった。
あの柔らかく揺れていた水色の髪が、今は風もないのにふわりと舞っているようにさえ見えた。
ニコレスとエルリオは、言葉を飲んだ。
何もしていないはずなのに、あまりにも禍々しい気配だけが、そこに膨れ上がっていた。
白の魔法陣の上で、暴れ出す黒い螺旋。
もがくように、渦はあらゆる方向へ力を向ける。
まるで、自らを閉じ込めようとする“純白”を拒絶するかのように。
だが、マオは微動だにしなかった。
対になるもう片方の手をすっと掲げ、そこにも別の魔法陣が浮かび上がる。
今度は、黒。
白と黒、両極の力を掌で操るように__マオは両手をゆっくりと重ねていく。
「“ゼノバースト”」
その言葉は、驚くほど静かだった。
しかひそれは、確かな詠唱だった。
重ね合わされた魔法陣の狭間に、黒い螺旋が吸い込まれるようにして押し潰されていく。
握るというより、圧縮するというような動き。
魔力の悲鳴が空気を伝い、ミチミチ……と、肉を圧し潰すような嫌な音が響いた。
一瞬だけ、あたりの空気が硬くなる。
黒い渦はもがきながら、マオの手の中でゆっくりと沈黙した。
それはまるで、“魔法”という概念そのものが破壊されていく瞬間だった。
「結界の魔力反応が消滅した……開くぞ!」
エルリオの声が上ずる。
「……すごい。今、君は何をしたんだ」
ニコレスが驚きと警戒をにじませながら、マオを見つめた。
しかし、マオはその視線を真っ直ぐには受け止めなかった。
「つ、潰すのは、得意なんですよ。あはは……」
乾いた笑いを浮かべる少女は、さっきまで魔力を握り潰していた人間には見えなかった。
軽く肩をすくめる仕草も、その声の震えも、どこか噛み合っていない。
何が「得意」なのか__何を「潰して」きたのか。
今この場にいる誰も、それを問うことはしなかった。
次の瞬間、結界が“溶ける”ように崩れ始める。
上部からじわじわと色が抜け、黒紫の幕が霧のように晴れていく。
ニコレスは一瞬だけ目を細め、すぐに背後の荷台へ駆けた。
バイクの荷台に備えてあった装備ケースを開く。
中から取り出したのは、マナグナムドライバー。
即座に腰に装着し、変身の構えをとった。
『今度はどんな戦いを見せるのか、見せてもらうよ』
「ああ……」
頭に響くフェクターの声に頷き、結界の先を睨んだ。
風が結界の消失とともに吹き抜け、校舎の影が静かに姿を見せはじめていた。
複数人をリアルタイムで動かし続けるのがめちゃくちゃむずい!