表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/49

歪な再会

「……つまり、俺たちは今、完全に閉じ込められてるってこと」


 ツバキの低い声が、黒板に吸い込まれるように響いた。

 瞬間、それまで散発的に交わされていた私語や動作の気配が、ぴたりと止まる。

 誰も返さない。目線だけがわずかに揺れ、手元で止まったペンの先が、机に細く音を立てた。


「とにかく、先生たちと協力して__」


 張り詰めた空気の中、ツバキの眉がわずかに動いた。


「……ん?」


 気配の変化を誰よりも早く察知し、廊下の方を振り向く。

 学校全体を包む結界に走ったわずかな乱れ。

 目に見えぬ魔力の流れが、どこかで切り替わるような音もなく、静かな違和感として皮膚を撫でた。


「魔力が消えた……?!」


 ツバキがそう呟いた瞬間だった。

 扉、窓、教室を囲うすべての開口部に、黒紫の膜が張りついた。

 絵の具を流し込んだようにじわじわと浸食する闇。

 光が消え、音がこもり、教室が外から切り離されていく。

 リーゼが急いで壁際へ駆け寄り、指先を魔力の膜にそっと触れる。


「っ?!」


 その瞬間、痺れるような痛みが神経を駆け上がり、彼女は思わず手を引く。


 くそ……おそらく、結界がもう一枚」


 膜は手を拒み、空間を完全に封じていた。触れたとき、ただの障壁ではない意志のようなものがはっきりと伝わってきた。

 誰かが、ここを檻にした。逃げられないように。

 その時だった。


 __紫黒の閃光が、教室の中央を裂いた。


 床を這うように魔力の紋が浮かび上がる。空間が歪み、軋むような音もなく、無音の震えが走った。空気が引き絞られ、息を呑む隙も与えられない。


「下がって!」


 ツバキが叫び、最前列の生徒たちを庇うように前へ出た。

 魔法陣から噴き出す光と衝撃。逆巻く風が机を揺らし、黒板のチョークがひとつ、床に転がり落ちる音がやけに大きく響いた。


 そしてそれは、現れた。


 重力の軋みを無視するように、影がふわりと着地する。

 足音ひとつ立てず、地に溶け込むような静けさをまとって。

 深緑のローブを身にまとい、顔の半分を覆うフードの奥に、誰かがいた。


「あ……。ん?」


 誰かが、小さく声を漏らした。ざわめきはない。ただ、一人ひとりの呼吸音が、妙に生々しく耳に届く。


 ツバキは目を細め、フードの奥を覗き込む。見覚えはない。だが、周囲の反応が明らかに違っていた。

 張り詰めた空気の中にただ一人、タレックが足音も気にせず歩み寄り、真横からフードの奥を覗き込んだ。


「お前……もしかしてザカリじゃねーか?」


 気安い声が、教室の緊張に微かな波紋を走らせた。

 しかしローブの男__ザカリと呼ばれたその少年は、返事をするでもなく、わずかに視線を逸らす。


「なんだよその格好。……それ、ゾンキのコスプレセットのやつだろ。見たことあるぞ?」


 タレックの言葉に、教室の空気がふっと緩む。

 一部の生徒が思わず吹き出しそうになり、他の者も小さく目を見合わせる。

 しかしそれに応じたのは笑いではなかった。


「懐かしいなぁ……ようやく帰って来れた」


 低く湿った声。

 思い出に手を触れるような、感傷の音色だった。

 そのままザカリは、静かにフードを取った。


 次の瞬間、教室の空気がまた変わった。


 顔があらわになる。

 火傷の痕、古いあざ。どこかでぶつけたのか、腫れの残る頬。

 そのどれもが痛々しく、見ているだけで心がざわめく。

 数人の生徒が思わず目を背けた。

 その中でも、タレックだけは真っ直ぐにその顔を見つめた。


「……おま、どうしたんだよその怪我」


 今度は、笑いを含んでいなかった。

 その声には、明確な驚きと心配が滲んでいた。

 ザカリは視線を伏せたまま、ぼそりと答える。


「君には、関係ない……」


 その声は冷たくなかった。ただ、遠かった。


「ねぇ、この人が、例の?」


 ツバキが一歩、リーゼの横へにじり出る。

 冷たい眼差しが、傷だらけの少年に突き刺さる。

 リーゼはそんな彼の隣で、気まずそうに小さく顎をしゃくった。


「ああ。一年の最後で中退した、ザカリだ」


 昨晩、リーゼが話していた生徒。

 周りの反応を見るに、それは間違いはなさそうであった。

 タレックはその重たい空気をものともせず、屈託なく笑って肩をすくめる。


「けど、ありがとうな。まさか転移魔法で助けに来てくれるなんて」


 それは冗談とも、本気ともつかない軽さだった。

 だが、ザカリは応じない。沈黙のまま視線を落とし、唇だけがわずかに動く。


「……いや、タレック。違う。そうじゃないんだよ」


 思わずツバキがツッコミに回る。

 なのに、いまいち深刻感が薄くなってしまったこの空気に飲まれ、まるで友達を紹介するかのようき、彼の隣に立った。


「えっと、この人が、この結界を張った張本人」

「ええっ?!」


 クラス中が跳ねるように驚きの声を上げた。空気がはじけ、ようやく教室の全員が“異常”を理解したようだった。


「俺、ツバキ。よろしくね」

「え、いや……誰」


 ザカリが眉をひそめる。聞いたこともない名前に、明らかに困惑したような声。

 周囲もその間抜けな温度差に、思わず唖然とする。


「今年ここに編入してきたんだ」

「……は?」


 ザカリは言葉を失い、周囲の誰もが状況の理解に遅れていた。

 そのとき__一筋のナイフが、曖昧になりつつあった空気を、冷たく切り裂いた。


「話は終わりだ」


 鋭く、短い一言。

 魔力で錬成されたナイフを握るリーゼの瞳は、ひどく冷え切っていた。

 しかし、目の前に突きつけられたそれを前にしても、ザカリは一歩も引かなかった。むしろ、その唇が緩やかに持ち上がる。


「…….ふふ」


 静かな笑い声は挑発でも皮肉でもない、待っていたと言わんばかりの反応だった。


「二枚も結界を張って、三年A組だけを隔離した……目的を答えろ」

「……はは、待ってたよそういうの」


 ザカリは咳をひとつ、小さく払った。

 その目が一瞬だけ、まっすぐクラスを見据える。


「君たちはどうでもいいんだ……ただ、ここが一番都合が良かった」

「都合?」


 レイスが眉を寄せる。声の奥に、うっすらと苛立ちが滲んでいる。


「才能のあるエリートたちが揃っていてこの事態だ。当然騒ぎになるだろう。先生たちが手出しできないように、外からの干渉も遮断した」


 その場にいた誰よりも冷静な語り口だった。

 だが、言葉の切れ端が、どこか乾いていた。


 後ろでタレックが、じりと一歩踏み出す。


 ザカリはそれに気づきながらあえて反応せず、ぽつりと天井を見上げた。

 そこには何もない。ただの白い板張りだ。

 それでも、彼はそっと笑った。


「これは……魔法への復讐だ。タレック、レイス。二人を超えてこの俺が一番になる……。それで、全部終わりだ」


 __と、その瞬間。

 教室の空気がわずかに震えた。

 誰かが息を呑む音が、やけに大きく響く。

 そして。

 ザカリが、動いた。


「さぁ……始めようか」


 __パチンと指を、鳴らした。

 瞬間、教室の床に淡い紫の光が浮かび、幾何学的な魔法陣が一面に広がっていく。

 空間がひずみ、空気が一瞬にして重たくなる。


「え」


 タレックの視線の先。ツバキの身体が、床をすり抜けるようにして沈んでいく。


「は」


 レイスの隣にいた生徒も同様に、何かに飲まれるようにして姿を消した。

 あまりに突然の出来事に、二人は間の抜けた声しか出なかった。


 現実感のない光景だった。

 目の前で音もなく人が落ちていくだけ。

 次の瞬間には、教室全体が静まり返っていた。

 タレック、レイス、そしてザカリ。残されたのは、たった三人。


「……な、何をしやがった」


 闇が渦巻く結界の中、虚空に響いたタレックの震えた声。


「俺の目的は君たち二人だけなんだ。他の皆んなは、また別の結界に転移させた」


 ザカリの声音は、穏やかだった。淡々と今起きた現象を説明している。


「なんなの……なんなのよあんた……」


 レイスが唇を噛みしめる。

 拳を握ったまま、怒りと戸惑いが入り混じった目でザカリを睨みつけた。


「あんたがこんな結界貼ったんでしょ?! ……だったら、もう超えてるじゃない! こんなすごい芸当、プロの魔法使いでもそうそうできないわよ!」


 精一杯の怒りで叫んだその言葉は、なんの皮肉もない、純粋な賞賛だった。

 実際、ここまでで既に巨大な結界を二枚も貼り、転移魔法を使用し自分と人を移動させている。そのどれもが、常識の域を超えていた


「そうだよ! お前は昔っからずっと努力してたもんなぁ! 魔力が少ねぇからってあの手この手で工夫してよぉ!」

「くっ……!」


 タレックの声が、感情を抑えきれずに揺れる。

 その瞬間だった。

 “魔力量”という言葉に、ザカリの表情が凍りついた。

 ほんの一拍後、奥歯を噛み締める音が聞こえそうなほどに、顔が震えていく。


「実技も筆記も、俺よりずっと成績良かったし、教室で黙ってノート取って、質問したらちゃんと教えてくれて……そんな奴だったじゃねぇか」


 タレックの言葉には、澱みも皮肉もない。まっすぐで、真摯だった。

 しかひそれが、ザカリの顔を怒りの形相へ歪めていった。


「……それで、どうなった?!」


 押し殺した声。

 震え、詰まりながら、それでも吐き出すように。


「そんな努力も工夫も、全部意味がなかったんだ! 魔力量が少ないってだけで、俺は才能がないって決めつけられて! ……学校からも、家からも、追い出された!」

「追い出された……?」


 レイスが、息を飲む。

 それは、今初めて知った事実だった。

 知っていたようで、知らなかった。向き合ったことのなかった現実が突きつけられた。


「タレック。レイス。他のみんなも……強いんだ。最初からそうだった。だから、俺の苦しさなんてわかりっこない。理解なんてできない!」


 負の感情が顕になるかのように、ザカリの全身を闇のようなオーラが覆う。


「……っ」


 タレックが拳を握りしめる。

 だが、その手は震えていた。反論の言葉が、喉に詰まって出てこない。


「だったらなんだよ。あぁ?! それで俺らに八つ当たりってわけか?!」

「ち、違う……! そんなんじゃ、ない!」


 微かに震えた声をかき消すように、ザカリが手をかざした。

 教室の空気が跳ね、再び淡い紫の魔法陣が展開される。そこに込められた意思はひとつ__攻撃。


「来るぞ! あのバカを殴ってでも黙らせる!」


 タレックが叫び、机の上に飛び乗る。


「けどこんなところで戦ったら……教室が!?」

「言ってる場合か! であっ!」


 叫ぶなりタレックの身体が宙を裂いた。

 足を蹴り上げ、拳を握りしめ、一直線にザカリを目指す。

 その瞬間、魔法陣が光を帯びる。


 三人だけの教室。

 逃げ場のない檻の中で、火花が散る。

 旧知の仲、因縁の戦いが静かに幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ