奮闘する教師たち
カレストロ魔法学校・北校舎一階。学年ごとの担任が詰める職員室とは別に、教員全体の本拠となる広い職員室がある。
職員室の引き戸を跳ね飛ばす勢いで、三年A組の担任、ヤクマが駆け込んだ。
「ヤクマ先生! 三年A組は」
「待機の指示を出してきました。今の状況は」
額に汗を浮かべながら答えるヤクマに、小太りの数学教員が眉を寄せて返す。
「いきなりすぎてなんも分かんねーよ。一年は生徒がパニックになってて他の先生方は落ち着かせるのに精一杯だ」
「とにかく、校内放送を__」
「ダメだ。試したがまるでいう事をきかねぇ」
「そんな……」
ヤクマは顔をしかめ、ポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には依然として“圏外”の文字。さらに表示される時刻は崩れ、数字の桁も動作もバグそのもの。
「衛星通信まで遮断されたのか……一体どれほど強力な結界を張ったんだ」
呆然とつぶやいたそのとき、職員室の扉が再び開いた。
「皆さん。無事ですか」
「校長先生!」
毅然とした声が室内に響く。
白髪をオールバックに撫でつけた、背筋の伸びた初老の男が現れた。
その姿を見た瞬間、十数名の教員たちが一斉に振り向き、声を上げる。
「時間が一刻も惜しい。早急に状況を整理します」
その一言で、場の空気が切り替わる。
ばらついていた教員たちが次々と集まり、校長を囲むように身を寄せた。
「現在、本校は強力な魔力結界に包まれており、通信・放送設備はすべて機能を停止しています。各担任はただちに教室へ戻り、生徒の点呼を行ってください。その後速やかに全員をグラウンドへ誘導し、集合を完了させてください」
ヤクマ含め、担任を務める教員それぞれに目をやり、指示を出していく。
「他の教員は別棟の職員室や関連部署に連絡し、教職員の安否確認と連携体制の構築を急いでください。なお、状況に応じての魔法使用を許可します。ただし、生徒の安全確保を最優先とすること。以上です」
無駄のない口調で指示を出し終えた校長の言葉に、教員たちは一瞬の迷いもなく動き出した。
「どうなってんだよお!」
「これ訓練じゃないよね!?」
廊下にはざわめきが満ち、教師たちが教室へ駆け出していく中、生徒たちも戸惑いながら整列を始めていた。
騒然とした空気の中、ヤクマもまた動き出す。
足元の振動を気にする間もなく、すれ違う教師と生徒の流れをかき分けるように、三年A組の教室へと急いだ。
__だが、その前で、彼の足は止まった。
「……なんだ、これは」
教室の前に立った瞬間、視界を圧迫するような黒紫の“膜”が目に飛び込んできた。
まるで闇を液状にして塗り重ねたような、異常な空間の歪み。
ヤクマは反射的にスマートフォンを取り出すも、表示されたのは無慈悲な圏外の文字列。
苛立ちを押し殺しつつ、廊下を走っていた若い教師に声を張り上げる。
「三年A組が入れなくなってる! 校長先生に報告を頼む!」
「……はい!」
若手教員が足音を鳴らして駆け去るのを見送ったあと、ヤクマは再び教室の前に視線を戻した。
三年A組の扉の向こうには、漆黒の膜が不気味に揺れていた。
それはただの結界ではない。まるで空間そのものがねじれて別の次元に接続されているかのような、圧力と歪みを孕んだ魔力の渦だった。
「二枚も結界貼りやがって……しかも内部起動型か……中にもう誰かいるってか?」
ヤクマは舌打ちひとつ。額に汗をにじませながら、右手を軽く持ち上げる。
指先に魔力を集中し、空中へ印を描くように円環を刻んだ。
__〈解析式展開〉。
脳内に直接流れ込んでくるのは、結界魔法を構成する演算式の数々。
一つひとつは高校の授業でも扱えるレベルの基礎魔法構文。それを何重にも重ねて、畳みかけるように並列稼働させている。
「っ……これは……!」
ヤクマの表情が苦悶に歪んだ。
「なんだこの量……!」
構文が、層になって押し寄せる。
ひとつの式を追う間に、別の演算が横からねじ込まれ、次の式が前後から重なる。
それらが分岐し、再統合し、渦を巻きながら脳を焼くような速度で迫ってくる。
__これは“質”ではなく“量”。
高度な理論など必要ない。暴力的なまでの数で、解析者の思考力を削ってくる。
「こんなの暗記で解けるかぁ!」
この情報を一つずつ手動で紐解くには、頭脳だけでは足りない。演算結果を保持するためのメモリが、処理装置が必要だ。
悪態と共に、ヤクマは踵を返した。
「PCがいるっ! 待ってろ皆んな!」
結界の熱量を背に、ヤクマは職員室へ向かって走り出した。
彼の頭の中で、解読マトリクスのテーブル設計図が次々と展開していく。
その背中には、教師として、生徒をこの結界から救い出すという確固たる意思が燃えていた。