目覚めた魔獣の言葉
『ゴラああああっ!!」
金属が軋むような甲高い悲鳴と、地の底から響くような重低音が同時にぶつかり合う。
まるで複数の獣が一斉に咆哮を上げたかのような、不協和音の咆哮。
空間そのものが震え、音の濁流が耳の奥を打ち抜いた。
「くぅぅ……?!」
ツバキは反射的に両耳を覆う。骨を揺らすような轟音に耐えながら、膝を踏みしめ、体を前傾させる。
だが、その目は逸らさない。睨み据えるのは、音の主__巨大なトカゲ型の魔獣。
牙を剥き、咽喉を震わせるその姿は、威嚇というより、己の存在そのものを叩きつけてくるようだった。
強さを証明しなければならない。
しかし、理性の通じる相手だ。無闇に痛めつけたくはなかった。
「だったら俺も__」
奥歯を噛みしめ、肺を限界まで膨らませる。
「でありゃああああああああっ!!!」
ツバキもまた、獣のように吼えた。
体中の筋肉が震え、内臓までもが振動するような咆哮。
それは声というより、魂をぶつけるような爆発だった。
轟音と轟音が空中でぶつかり、空間に波紋が走る。
『グウっ?!』
「ああああああ!!!」
洞窟の天井が悲鳴を上げるように震えた。
石壁に亀裂が走り粉塵が舞い上がり、パラパラと崩れた岩が足元に転がる。
振動は音だけにとどまらなかった。ツバキの叫びに乗った魔力が、空間そのものを支配していた。
その力のうねりは、地中を伝って遥か遠くへ__
***
「……なんだ、この感じは……ツバキなのか?」
キッチンで煮物を作っていたリーゼが、思わず顔を上げた。
視線は自然と、ツバキのいる方角を向いている。
魔力感知に引っかかった、異様な気配。
ツバキの血中魔素が__煮え立つように脈動していた。
その濃度、量、波長すべてが、爆発的に跳ね上がっていた。
「あ……」
呆然とする視界の片隅で、鍋の蓋がカタカタと震えている。
中から噴きこぼれる煮汁が、静かなキッチンにこぼれ落ちた。
***
「あああああ!!!」
『ゴ、ゴルァ……』
地鳴りのような怒声が収束していく。
だが、その威圧に耐えかねたのか、トカゲ魔獣の瞳が揺れる。
一歩、そしてもう一歩と後ずさりする巨体。その動きは、明らかに怯えを含んでいた。
『ァ……降 参 貴 殿 強 者』
その言葉は、洞窟の重たい空気を震わせながら、低く、確かに届いた。
「はぁっ……はあっ……。やった。認めてくれますか?」
肩で息をしながらも、ツバキの声はどこか安堵に満ちていた。交渉成立の喜びに笑みを浮かべ、一歩後ろに下がる。
トカゲ魔獣の血走った双眸は、少しだけ熱を失っていた。
鋭かったまぶたの縁がゆっくりと緩む。
険しさが引いていくその顔に、わずかだが穏やかな色が滲んでいた。
その隙を逃さず、ツバキはポケットからスマホを取り出す。
録画モードに切り替えレンズを魔獣に向ける。
『ウゥ……ぺっ』
魔獣が喉を鳴らし、呻いたかと思えば、次の瞬間、口から何かを吐き出すように唾を飛ばした。
洞窟の床に叩きつけられた金属片が、キンッと高い音を立てて転がる。
「あ、ドローン。あなたが、食べちゃってたんですね」
光沢の失われたボディ、ところどころへこんだ外装。
それは、確かにツバキが捜索していた機体だった。
『我 侵 入 者 排 除』
どこか当然だと言わんばかりの口調に、ツバキは乾いた笑いをこぼす。
「すみません……こういうの、獲物と間違えたら大変ですよね」
軍手越しに粘液まみれのドローンを指で摘み上げ、袋にそっと収める。
すると__
『二 度 目』
短く、だが確かに届いたその言葉に、ツバキの手が止まる。
一度ではなかった。
やはり、すでに誰かがこの場所に__。
「その前に、誰か人がここに来ませんでしたか? 何か知ってたら教えてほしいんです」
探るような質問。だが口調は柔らかい。
敵意ではなく、共に過ごしたこの数分の信頼を壊さないように。
『人……嗚呼』
魔獣の瞼が静かに閉じ、記憶の奥に触れるような仕草。
そして、ゆっくりと、断片的に語りはじめた。
『我 違 和 感 覚 醒。此 所 出 現 小 僧 魔 法 使用。彼 奴 我 視 認 動 揺 逃 走』
「うん……」
ツバキは言葉の断片を頭の中で組み立てる。
誰かがこの洞窟にやってきて、魔法を使っていた。
だが、トカゲ魔獣を見た瞬間に動揺し、逃げ出した。
「ありがとうございます。それとその、違和感で起きた? っていうのは、何があったんですか」
自分の中にひっかかっている予感を確かめるように、問う。
『……我 老 衰 寸前……。突 如 興 奮 痙 攣 覚 醒。体 調 不 全 不 動 退 屈……』
鈍い悲哀が、声の奥から滲んでいた。
老いに侵され、死の淵をさまよっていたところを、何らかの刺激によって引き戻された。
動けもせず、ただ時間を持て余していただけの存在が、再び目を覚ました。
「…………そっか」
ツバキは頷いた。
おそらく、それは守護龍を倒した影響だ。
この魔獣もまたその崩れた安寧に巻き込まれたのだ。
「それ、俺がやったんです。迷惑かけてすみませんでした」
ぺこりと頭を下げる。その顔に、少しの申し訳なさと__
「また来ますね!」
冗談めかした軽さが乗る。
その言葉に、魔獣の口角が、わずかに上がったように見えた。
『御 意……貴 殿 名 前 何』
低く、温もりを帯びた問い。
そこには敵意も、威圧もなかった。ただ、純粋な興味。
「……あ、俺、ツバキって言います。貴方は?」
『ツバキ 記 憶。我 名 称 無シ』
名もなき存在。
そもそも言語を扱わない獣の世界では、名前という概念すらないのだろう。
こうして人間と関わる事で、初めて言葉という概念で交信ができているのかもしれない。
「そうだな……じゃあ、さっきゴラって叫んでたから、“ゴラゴン”とかどう?」
ツバキはにっと笑う。
軽口のようで、どこか真剣だった。
『ゴラゴン。記 憶』
名付けられたその魔獣は静かに頷いた。
ツバキは親指を立て魔導書を回収すると、一息で跳躍し__
「うおっ!?」
上で滑って落ちて盛大な音を立てる。今度はうつ伏せで硬い地面にびったりとへばりついた。
「うおぁ……」
呻くツバキのそばで、ゴラゴンが瞬きひとつせずにその様子を見つめていた。