ツバキ宛の奇妙な依頼
4月14日月曜日 16時53分
ビルの谷間に埋め込まれるようにして、GUILDLINEカレストロ支店は建っていた。
外壁は落ち着いた赤茶と黒のモノトーン。郵便局のような実務的なたたずまいだが、装飾をそぎ落とした分だけ重厚さが際立つ。
ガラス張りの自動ドアを二重にくぐった先、右手に見える受付カウンターにはシャッターが下り、すでに受付の終了を知らせていた。
対照的に左手の飲食スペースからは、笑い声とグラスの音が響いてくる。ネクタイを緩めた会社員たちが、今日という一日に乾杯の区切りを打っていた。
この左右で分断されたような音の世界は、新鮮に感じられた。
「あ、きたきた」
カウンターのすぐ隣の扉から出た来たのは、背広のある男性。そのフランクかつ威厳のある雰囲気から、すぐにその人が店長だと確信した。
「おはようございます!」
「ニコレスから聞いてるよ。ここで店長をやってるオーレスっていう。初めてで緊張するかもしれないけど、俺も高校生のバイト採用は初めてなんだ。うまく回せるように頑張るよ」
「はい! よろしくお願いします!」
軽く声を張りながら、スタッフルームへ案内される。
だが次の瞬間、目に入った光景に、ツバキの眉がわずかに動いた。
__やけに、騒々しい。
PCが数台並び、中心に大きなテーブルが置かれたオフィスのような雰囲気。
九人のスタッフが、沈黙のまま一枚の紙を囲んでいた。空気は張りつめ、魔力の色も焦りを含んでいるように見えた。
「っ?! あ、ツバキ君……」
振り向いたニコレスの頬が引きつった。
彼女の視線はツバキの顔と壁の時計を往復し、紙片を胸に隠すように握りしめる。
「その紙どうしたんですか?」
テーブルを囲むギルドの面々も、誰一人として、ツバキの目をまっすぐ見ようとせず、気まずそうに目線をそらすか、視線を泳がせていた。
新人の初出勤を迎える雰囲気としては、あまりにも気まずいものだった。
「なにかとんでもない依頼でも来てたんですか?」
初対面のギルド社員に話しかけながら、テーブルの上に置かれた一枚の紙を見ようと、ゆっくりと一歩だけ足を進める。
「これは私たちの問題だ。気にするな。それより、誘いに乗ってくれたこと、感謝するよ。早速だが__」
中央にいたニコレスが踵を返してその場を離れようとしたが、
「多分それ、俺宛てですよね」
「……っ?!」
ツバキの放った言葉がニコレスの背中に刺さり、ぴくりと跳ねた。
「何を言っているんだ。いいから、店の案内に」
驚愕の顔をこちらに向けた時、覗き込もうと歩を進めたツバキから遠ざけるように、紙を頭上へ上げた。
「だめだ。これは__」
まるで子供がおもちゃを取られまいとする光景。
言葉が最後まで届くよりも早く、
ピシュン。
風を裂く音が走った。
次の瞬間、紙はニコレスの手から消えていた。
「なっ?!」
全員の視線が反射的にそちらへ向かう。
そこには__すでに紙を手にして、内容を読み始めているツバキの姿。
「……やっぱり」
スタッフルームに、張り詰めた静寂が満ちていた。
誰もが言葉を失ったまま、ツバキの手元をただ見つめていた。
「壁の外で探索かあ。へぇ……」
書類の内容をざっと読み進めると、その任務の全貌が見えてきた。
カレストロ市の西端、外壁の向こう。
未開区域の一角にある洞窟にて、異常な魔力反応が感知された。
当初はドローンでの偵察が試みられたものの、投入から約一時間後に何かに撃墜され、以降の通信は不通。
ツバキによるドローンの回収、および洞窟内の調査が、この依頼の目的だった。
箇条書きのように無機質な文面。しかし、その裏に漂う空気は、明らかに普通の依頼とは異なる。
まるで何かを試すような、奇妙な圧を孕んでいた。
ツバキの目が、一行の名前で止まる。
__差出人“ロマノフ”。
「ニコレスさん。差出人のこの人。知り合いですか?」
紙から目を離さぬまま、ツバキは淡々と尋ねた。
それを聞いた瞬間、ニコレスの肩がピクリと跳ねた。隠そうとした意志が、微細な動きとなって現れる。
「……それは。はぁ」
押しとどめていた感情が、溜め息とともに漏れ出した。
諦めたように、ニコレスはわずかに背を丸め、言葉を紡ぐ。
「ロマノフ大佐。対魔獣制圧局・第三戦術部の作戦統括官……つまり、私の上司だ。こないだの魔獣襲撃のとき、戦車隊を指揮していた人がいるだろう。彼がそうだ」
「へぇ〜。じゃ結構偉い人なんですね」
ツバキの声には感嘆の響きがあったが、感情の起伏はほとんどない。
「君のことは黙っていたのだがな。……一昨日の件で勘づかれたらしい」
最後まで目を通したツバキは、紙をひらりと下ろし、肩をすくめる。
「そんな人が俺宛てに依頼かぁ……」
そこに驚きはない。ただ、不思議と納得するような調子だった。
「とりあえずこの洞窟に行って、調べるついでにドローンを回収すればいいんですよね。出勤初日ですけど、とにかくやってみます」
あまりに軽く放たれたその一言に、室内の空気が凍りつく。
「……待て!」
抑えきれず、ニコレスが声を上げる。
「そもそもこの規模は、本来軍の作戦チームで動く案件だ。普通ギルドに依頼してくるものではない。それに、こちらでやるならやるで、入念に計画して臨まなければ、最悪死者がでる」
捲し立てる口も声色からは、必死の色を隠しきれていない。
「じゃあ、尚更俺が行くべきじゃないですか」
ツバキはあっけらかんと笑ってみせる。
「今すぐいけますし、ギルドの装備代も浮きますよ」
「それはだな……はぁ」
冗談とも皮肉ともつかない口調に、ニコレスは言葉を失った。言い返そうとしたが、喉の奥で言葉が絡まり、何も出てこない。
自分を指一つで吹き飛ばした姿。たった一人で魔獣の群れをなぎ倒した姿。自分の力を遥かに超えながら、何も気取らない、あの顔が頭から離れない。
「しかし、君は……」
だからこそ、心のどこかで、その強さにあやかろうとする自分がいた。
そんな邪念を、大人として否定しなければならなかった。
「君はまだ子供だろう!」
「大丈夫ですって! 大丈夫」
なのに、ニコレスの沈黙を覗き込むようにツバキは柔らかく笑って親指を立てた。
「年がどうとかじゃないですよ。使いたいから使う。やりたいからやる。それだけですよ。普通に考えればいいんですよ。それじゃあ」
そして軽い足取りでロッカールームへ。
「店長。ここの制服って」
「……これだ。着ていくといい」
数分も経たないうちに、制服姿のツバキが戻ってきた。
誰にも目を合わせることなく、軽やかにスタッフルームを出て行った。
「お、おい!」
ニコレスの制止の声が空を切る。
閉まる扉の音が、終わりの合図のように響き、しばらくの間、機械のノイズだけがスタッフルームを満たした。
「はぁ……止められなかった」
後悔と悔しさがため息となって静寂に漂う。
二人のやり取りの一部始終を見ていた社員の一人が、苦笑いを浮かべてぽつりと漏らした。
「ごめんニコ……色々急すぎて、固くなっちゃった」
「とりあえず、ツバキ君に位置情報は送ったよ」
オーレスがタブレットを操作しながら、硬い声で呟く。
その表情には、もはや笑顔はなかった。責任感と、わずかな後悔の影が、深く刻まれていた。
「ごめんな。俺も同じ気持ちではあるんだけど、……カツカツなところにああ言われると、いかんせん」
「それは、仕方ありません。おそらく大佐も、今のギルドの資金事情を知っていて、ツバキ君を動かすためにこんな大規模な依頼を送りつけてきたんでしょう。あの人らしい」
ニコレスの言葉に、全員が無言で頷き、ただ静かに、スタッフルームの重さだけが残された。
ツバキは、既に街の外壁の上に立っていた。
夕日が地平に沈みかけ、橙から群青へと変わっていく空の下。
彼はただ、静かにその光を見つめていた。
「……っし、いくかあ」
背後の街では、一つ、また一つと灯りがともり始める。
その光は、もうツバキの背中には届かない。
燃えるような夕暮れの中、彼の影だけが音もなく壁外に溶けていった。