表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/49

放課後の帰り道

 4月14日水曜日 16時23分


 魔獣襲撃から二日。

 全国のニュースでは「防壁警報は二十年ぶり」と繰り返していたが、サイレンは三十秒で止み、SNSの憶測も、激しい情報の波に流されていった。


 午後の下校時刻。

 学校近くの通りには、立ち並ぶビルの飲食店から、焼き鳥や焼肉の匂いが漂っていた。

 香ばしい煙が夕方の風に乗って流れ、通りを歩く生徒たちの腹をさりげなく刺激する。

 ツバキとリーゼは、そんな帰宅ラッシュの中をいつものように並んで歩いていた。

 そこへ、背後から声が飛ぶ。


「おーいツバキー!」


 夕暮れの雑踏に、ひときわ元気な声が響いた。

 振り返るより先に、ツバキの耳がタレックの足音を拾う。その背後には、レイスとマオの姿も見えた。


「なあ、二人っていつも一緒にいるけどさ、どういう関係なんだ? 兄妹ってわけじゃなさそうだし……」


 出会って早々突拍子もない質問に、ツバキは特に気にするふうもなく、いつもの調子で答えた。


「あー。俺は家族でいいと思うんだけど、リーゼはどう?」

「えぇ?!」


 不意に振られた問いに、リーゼは思わず足を止める。大きく見開いた目が、ツバキをまっすぐに捉えていた。


「いや、私が自分の都合で勝手に住んでるだけだから、私が居候なだけ……で」

「ってことみたい」


 何食わぬ顔で補足するツバキ。その様子に、マオが首を傾げた。


「ん? 同じところで住んでるん? なんか、結構複雑な関係……?」

「まあ、ちょっとね」


 柔らかく笑ってみせるその横顔を、レイスがじっと見つめていた。


「最近出会った一人暮らしの男の家に居候ねぇ……。リーゼちゃん?」


 レイスがふっと歩調を上げ、自然な流れでリーゼの隣へと並ぶ。そして、誰にも聞こえないように、声を潜めて耳元へ顔を寄せた。


「ねぇ……何か変なことされてない?」


 その声は、小さく、それでいて真剣だった。穏やかな口調に隠してはいたが、その奥には、同じ女としての警戒と懸念が滲んでいた。

 しかし、そんな心配を前に、リーゼはキョトンとしていた。


「ん? ……変なこと? 今のところは特にはないが……まさか、何か思い当たることが?」


 リーゼが首をかしげる。意味が通じていない__と悟り、レイスは息を吸って、ツバキに視線を投げた。


「ツバキ君。あんまり細かい事情は聞かないけどね。この子は、大事にしなさいよ」


 その言葉に、説教じみた響きはなかった。ただ、まだ未熟なリーゼのそばにいる彼への、ひとつの願いだった。


「うん。家族だもん」


 即答だった。迷いも、照れも、見栄もなかった。

 当たり前のように口にされたその言葉に、リーゼは視線を伏せ、頬をわずかに染めた。


「わぁ……」


 レイスの唇から漏れたのは、小さな感嘆。

 ツバキのまっすぐな返答と、それに素直に反応するリーゼ。

 危うさと無垢さが、奇妙な均衡を保っている。

 まるで何か、まだ名前のない関係を見せられたようで__言葉にはできなかった。


「三人も、いつも一緒に帰ってるの?」


 ツバキには少し意外な光景だった。

 マオはともかく、レイスとタレックの間には、言葉にできない火花のようなものがある。あまり行動を共にする印象はなかった。


「偶然こいつがいただけよ」

「お前が勝手について来るんだろ」


 言い合いのようで、歩調はぴたりと揃っていた。

 意識しないで、足取りだけは自然と噛み合っている。そんな不思議な温度だった。


「リーゼちゃんとは二年間、あまり話す機会がなかったからね。どんな子かちゃんと知りたかったの」

「俺も同じく。一人だとささっと行っちゃうし、こうやってツバキと一緒なら話せるんじゃないかって思ってな」


 言い方こそ違えど、伝えようとしてることはほとんど同じだ。それが可笑しかったのか、マオは一歩後ろで小さく笑っていた。


「そ、そうなんだ」


 リーゼは小さく俯き、右手の指先でそっと頬をなぞる。

 ぎこちない動きだったが、影が落ちた顔は、自然と緩んでいた。

 ただ、この感情をどう処理すればいいのか。

 そんな揺れが、微かに滲んでいた。


 しばらく歩くと、歩道の先に地下鉄へと続く階段が見えてきた。


「じゃあまた明日な!」


 タレックが大きく手を振る。マオもその隣で軽く手を上げ、レイスは視線でそれに応えていた。

 ツバキも同じように手を振り返す。

 ナサラべ駅。看板の下では、人の波が地下へ吸い込まれていく。

 何気ない分かれ道。しかし今日は、そこに少しだけ、特別な空気が混ざっていた。


 三人と別れ、ふたたびツバキとリーゼだけの帰り道になった。

 夕日がビルの隙間を縫って、道に斜めの光を落としている。

 その中で、リーゼはじっと横顔を見つめていた。

 そして、言葉を選ぶでもなく、素直に思ったままをぶつける。


「貴っ様ぁ……。さっきは家族だのなんだの、適当言いやがってぇ……」


 言いながら、頬はわずかに赤い。

 睨みつけるような目も、完全な怒りとは違っていた。


「俺は本当だもん。家族だと思ってる」


 ツバキは飄々とした調子で、さらりと答えた。

 その口調はあまりに自然で、逆にリーゼの方が言葉を詰まらせる。


「こいつ……」


 舌打ちとともに、歩幅が一歩ずれた。

 そんな折、ふと何かを思い出したように、リーゼの目が大きく開いた。


「はっ?! そうだ」


 急に立ち止まり、真顔で言う。


「貴様、さっきレイスに言われたぞ。変なことされてないかって」

「ん? 変なこと? 俺がリーゼに?」


 ツバキは、本気で首を傾げた。

 悪びれた様子も、はぐらかすような気配もない。ただ純粋に、思い当たらなかった。


「ああ。何か……したのか」

「変なこと……えー変なこと……」


 ツバキは腕を組んで、しばし考え込む。

 そして、ぽつりと何かを思い出したように呟いた。


「あ」

「なんだ」


 その声に、ツバキは遠慮もなく告げた。


「ごめん。今日はリーゼのシャンプー使ってみた」

「は?」


 リーゼの声が一段高く跳ねた。


「か、勝手に使ったのか貴様」

「ちょっと気になっちゃって。でもね。俺が使ってる方よりなーんかさらっとするんだよな。いや、つるっとかな」


 悪びれもせず、素直に感想まで述べる。

 リーゼはもはや、呆れを通り越し、何か言いかけてから大きくため息をついた。


「は、はぁ。別にいいんだが」


 怒鳴るわけでも、笑うわけでもない。

 ただ、少し拍子抜けしたような表情を浮かべた。

 __レイスの一歩先を超えた懸念は、結果として、何気ない日常の雑談へと帰結していった。


 学校近くの喧騒が背後へと遠ざかり、ふたりの足が静かな住宅街へと踏み入れていく。

 ざわめく駅前の音は次第に薄れ、その代わりに、夕餉の支度を知らせる香りや、遠くの子どもたちの笑い声が耳をくすぐる。

 ツバキとリーゼは、いつもの分かれ道に差しかかっていた。


「そろそろ俺も行くよ」


 歩みを緩めたツバキに、リーゼも自然と足を止める。


「今日は初めての出勤なのだろう。遅くなるのか?」

「多分。それじゃあね」


 簡素なやり取り。それでもそこには、日々を重ねるごとに形作られた、ふたりだけの穏やかな習慣があった。

 別れの言葉も、戻る時刻も、歩幅さえも__静かに揃ってきている。


 ツバキは手をひらりと振り、リーゼもそれに倣って、ぎこちなく返す。

 街灯が静かに灯り始める中、ふたりの影がゆっくりと、別々の方向へとほどけていった。


 ツバキは一人、夜景に変わりつつある街を行く。

 無数のノイズが支配する頭の中で、一際目立つ反応にツバキは空を仰いだ。


「……今の魔力。なんだろ」


 ぽつりと呟きながら、ツバキは早足になって向かう。

 目的地は“GUILDLINEカレストロ支店”。ニコレスに誘われた会社。今日がその初出勤である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ