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蹂躙するイレギュラー

「ちっ……!」


 空中で身をひねると同時に、セルディーの全身が赤く染まる。変身と同時に、彼女の視線は鋭く地上を射抜いた。

 そこには、自らを打ち上げた魔獣__獰猛な口を開き、今にも跳びかからんと待ち構えている。

 しかし、彼女の目はさらにその先を捉えていた。


「もうそこまで……」


 戦車隊の砲撃が続いていたはずの前線。そこに、想定以上の速度で魔獣の大群が迫っていた。


「くっそぉ!」


 ツバキの言葉が脳裏をよぎる。軍の戦力だけでは、やはりこの数は止められない__。

 その苛立ちを叩きつけるように、セルディーはドライバーの上部スイッチを力強く押し込んだ。


 機械の駆動音。石の中心部が高くうなり、赤い火花がバチバチと散る。光は一点に収束し、右足へとまとわりつく。


「せいやああっ!!」


 体をねじり、脚を振り抜く。セルディーは脚に炎を纏わせて落下した。

 踵が着く。地面がめくれ、半径十メートルの魔獣が一斉に吹き飛ぶ。

 それでも前線は崩れない。戦車砲は外れ、群れは三十メートルに迫った。


 前線では怒号が飛び交い、戦車が後退しながら砲塔を旋回させる。次々と撃ち出される砲弾が、地面を抉って炸裂するが__


「くっそー! 当たれやチクショウ!」


 砲撃隊の絶叫も虚しく、魔獣たちはその間隙を縫うように滑り込み、軽快な動きで砲撃の雨をすり抜けてくる。


 五十……四十……三十メートル__


 そのとき、一台の戦車へと、ラプトルのような小型魔獣が飛びかかった__


「ギャッ?!」


 何か掴まれたような音。魔獣の動きが、不自然に止まった。そして次の瞬間、戦車の前には、一人の少年が立っていた。


「後は任せてください!」


 そう言ったツバキは、掴んだ魔獣を地面に叩きつける。

 拳を振るう。乾いた音が響く。魔獣の息は、瞬時に絶たれた。

 その目には、怒りも高揚もない。ただ、ほんの一瞬だけ、痛みが走ったような陰が宿る。

 ツバキは静かに視線を上げた。

 その先には、なおも押し寄せる魔獣の群れ。

 彼はひと呼吸の間、何かを飲み込むように口を閉ざし、見えない一歩を踏み出した。


「ゴッ?!」

「ギエっ?!」

「ばあっ?!」


 その瞬間の出来事に、理解が追いつかなかった。

 戦場に響いたのは、悲鳴にも似た咆哮。そして__沈黙。

 魔獣たちが、次々と崩れ落ちていく。音も、振動も、前兆もない。ただ結果だけが、そこに残っていた。

 まるで、時間の隙間に何かが走ったような__誰にも視認できない、異常な静けさ。


「……何が、起きてる」


 誰かが呟いた。だが、返す者はいない。

 すべての兵が、ただ唖然とその場に立ち尽くしていた。

 砕けた魔獣の肉塊。散らばる赤黒い液体。


「見せてもらおうか。守護龍を倒した力とやらを」


 唯一、指揮官の男だけが、冷静に顎に指を置いて見据えていた。


 ツバキの動きは、もはや人のそれではなかった。

 兵士たちの目に映る光景は、全てが結果となって視界に入った。

 地面が裂け、魔獣が弾け飛び、遠くの地面に爆煙が上がる__

 あるものは一撃で地に伏し、あるものは空へ放り投げられ、あるものは形も残らず消えていた。

 それらが、一切の声も、叫びもなく処理されていく。


 わずか数十秒。

 気がつけば、戦場には動くものがいなかった。

 焦げた煙が漂いと血の匂いが、風に乗って遠ざかる。


「はぁ、はぁ。くっ……ツバキ君が終わらせたか」


 ニコレスは片膝をついたまま、息を吐く。変身が解けた体は疲弊し、全身が鉛のように重くなっていた。

 その視線が捉えるのは、辺りに横たわる無数の魔獣の死骸。焼け焦げ、砕け散ったその惨状を前に、彼女はただ呆然と立ち尽くしていた。

 軍の苦労が、たったひとりの少年によって瞬時に片付けられた。どこか頭では分かっていた結果でも、ニコレスには悔しさが余る思いだった。


「ニコレスさん! 大丈夫ですか!」


 軽やかな足音とともに、ツバキが駆け寄ってくる。

 迷いなく差し出された手。その手を取った瞬間、ニコレスは胸の奥に鈍い痛みを感じた。


「大した怪我はしていない。ツバキ君……君に助けられるシナリオは、あまり考えたくなかった。どう礼を言えばいいか」


 視線を逸らしたくなる。だが、ツバキの瞳は、まっすぐこちらを見つめていた。

 何も誇らず、驕らず、ただ当然のことをしたかのように。


「礼なんて良いですよ。それより……魔獣たちは任せていいですか。俺、授業があるんで」

「ああ……」


 一仕事終えたように、足早にこの場を去ろうとするツバキだったが、その背中を小突く声があった。


「ツバキ」


 その声に、彼の足が止まる。

 視線を向けると、すでに実体化し、地上に降り立っていたフェクターがいた。

 赤い瞳が鋭くツバキを射抜いている。


「フェクターさん……」


 その視線に、ツバキがわずかに眉をひそめる。だがフェクターは何も言わず、ただ無言のまま彼を見据えていた。


「僕のこと、分からないでしょ。色々事情が事情だから、手短に説明するよ」


 フェクターの口から語られたのは、あまりにも現実離れした内容だった。

 自分が倒した“龍”は、本体ではなかった。

 あの巨躯はただの借り物にすぎず、内部に埋め込まれていた石と少年の肉体こそが、真の核だった。

 新たな器を見つけるため、今はニコレスと共に行動している。


「ざっくりと言えばこんなもんかな。要は人類大ピンチってこと」


 どこか軽く茶化したような口ぶりだったが、話の内容は重すぎるほどに重い。


「……そっか。その、生物の頂点っていうのが決まるまで頑張りますよ。俺」


 ツバキは一拍おいて、まっすぐにフェクターを見た。

 その目に宿っていたのは、戸惑いや警戒ではない。静かな、それでいて確かな覚悟だった。

 そして、ほんのわずかうつむき__


「あの時、倒して、すみませんでした」


 それは、心からの謝罪だった。


「あ?」


 一瞬、煽りにも聞こえた真剣な謝罪に、フェクターはきょとんとして、妙な声を漏らす。


「今の襲撃も、元を辿れば引き起こしたのは、俺ですから」


 ツバキの言葉は淡々としていたが、その声色には、何かを背負おうとする硬さが滲んでいた。


「ツバキ君!」


 自分を責めるような物言いに、たまらずニコレスが声を上げる。

 フェクターは、そんな二人のやり取りを眺めながら、面倒くさそうに頭に手を添えた。


「……ふん。まあ別に、世界がどうなろうと知ったこっちゃないんだけどね? 僕は」


 フェクターは深々とため息をつきながら、肩をすくめて見せた。


「まあ、どのみちあの龍は死んでいたも同然。いつプチって途切れてもおかしくなかったさ」

「なに? そんなにギリギリだったのか」


 驚いたように目を見開いたのはニコレス。

 千年単位で生きていた存在の寿命が、そこまで迫っていたとは思わなかった。


「なら、この戦いはどの道起こる運命だったというわけだな」

「そうだね。君が早々に再スタートを切ってくれたという見方もできる」


 まるでツバキを庇うように呟いたニコレスの横で、フェクターが小さくうなずいていた。


「ん……? フェクター。さてはかなり気を遣っているんじゃないか?」

「僕は事実を言ったまでさ。それで、ツバキ」


 不意に名を呼ばれ、ツバキが足を止めて振り返る。


「……君のその気持ち悪さはなんだ」


 唐突すぎる誹謗中傷だった。


「気持ち悪さ? え……なんか臭かった?」


 戸惑いながら、自分の制服の袖を引き寄せて匂いを嗅ぐツバキ。


「砂埃で多少汚れてるけど清潔だよ。気持ち悪いっていうのは、その存在そのものさ」

「こらフェクター。人に向かって気持ち悪いなんて言うんじゃない!」


 すかさず、ニコレスが後ろからフェクターの両頬をむにっと引っ張る。


「だか、だから、ちが、わ……悪かったよ! 無駄に含みのある言い方してぇ!」


 抵抗しながらも、やがて観念したようにフェクターはニコレスの手を振り払った。


「前にも言ったよ? 一体どこからやってきたのかって」

「ああ! そのことか」


 フェクターの何気ない一言に、ツバキが思い出したようにうなずく。

 そのやり取りに、ニコレスだけがきょとんとしたままだった。


「どこから……? フェクターが言っていた、イレギュラーというやつか」

「正解」


 ニコレスの問いに、フェクターが軽く指を鳴らして応じた。

 あの研究室での会話を思い出しながら、ツバキが首をかしげる。


「俺そんな名前になってるんだ」

「僕が勝手に読んでるだけー」

「ちょっとかっこいいね」


 あっけらかんとしたツバキの反応に、フェクターは肩をすくめた。


「でそれで、俺がこの世界のものじゃないっていうのは、多分合ってると思う」


 ツバキの声はあくまで穏やかだった。

 リーゼにも説明したことを、今度はより流暢にまとめて説明した。


「だから、世界がどうとかわかる人には、気持ち悪く感じるんじゃないかな」


 冗談めかして言ったツバキに、フェクターは視線を細める。その目には、もはや“半信半疑”の色はなかった。


「……君はもしかしたら、世界を大きく変えちゃうかもね。きっとこの出会いも運命だよ」

「そっか。ありがとうね。やる気出てきた」


 ツバキはふっと小さく笑う。

 意味の分からない笑みに、フェクターがなぜか気圧されていた。


「……なんで」

「ここにいる事が無駄じゃないってわかったから」


 フェクターが思わず聞き返す。

 ツバキは、ゆっくりとニコレスの方へ視線を向けた。


「そろそろ行きます。お疲れ様ですニコレスさん」

「ああ、お疲れ様」


 ツバキは小さく手を振って背を向け、スタスタと歩き出した。

 戦場を後にするそのやりとりは、まるで仕事終わりのようだった。

 その背中を見送りながら、フェクターがぽつりと漏らす。


「変なやつ」

「だろう?」


 横から返ってくるニコレスの声に、フェクターは苦笑しながら肩をすくめた。

 緊張感の抜けた空気が、ようやく戻ってくる。


「私の戦いはどう見えた。器には適しているのか」


 戦場の片隅で、ニコレスが静かに尋ねた。

 その声に、フェクターはほんの少しだけ、考えるような間を置く。


「うーん」


 しばらく口を閉ざしたあと、肩越しにニコレスの方を見やりながら答える。

 ニコレスはバイクの置かれた場所へと、ゆっくり歩き出していた。


「その辺の魔獣よりかは強いけど、まだまだだね」

「そうか。なら……他の器でも探しに行くか?」


 わかりきっていた問いだった。だが、ニコレスはあえて口にしてみた。自嘲でも、未練でもない。ただ、自分の立ち位置を再確認するように。

 しかし、返ってきた答えは、少しだけ違っていた。


「……いや、もう少しここで君を見ているよ」


 フェクターの口ぶりはあくまで軽い。それでも、その中にある選択は確かなものだった。


「まだ強くなる余地は残しているみたいだし、龍の体より楽しめそうだから」

「……フェクター。君は何がしたいんだ」

「器に魔力を注ぎ、イレギュラーを排除し、世界の安寧を保つ。僕はただ、与えられた役割をこなしているだけさ」


 どこか皮肉めいた笑いをみせ、視線をよそに向けたまま、白い光と化してニコレスの中へ入っていった。


 嵐が過ぎ去った後のように、静かな時間が流れていく。

 風が吹き抜け、焼け焦げた空気を少しずつ洗い流していく。

 __そして、ツバキの名前は、龍を倒した事件、そして今回の襲撃対応を通じて、軍内でも広く知られることとなる。


 ***


 学校へ向かう途中、ツバキは黒い壁の縁で腰を落としていた。


「はぁ……はぁ……」


 額からは汗が滝のように流れ、顎の先から一滴、一滴と滴り落ちる。


「まただ……また殺した」


 颯爽と立ち去った余裕の面持ちはなく、ズキズキと疼く頭に手をやり息を荒げる様は、誰かに見られでもすれば“限界”と評されそうなものだった。


『ゴッ?!』

『ギエっ?!』

『ばあっ?!』


 脳裏に蘇る断末魔。

 死に絶えようとする生き物が抱く、原初の恐怖。

 それは怨念のように黒く濁り、深く心の底に沈殿していく。

 不快な魔力は、真冬の雪のように、冷たく静かに、だが確実に内側に積もり続けていた。

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