世界を救う手段
「“生物の頂点”。それがが決まれば平和は戻ってくるんだな?」
再度確かめる安寧への条件。フェクターは片眉を上げて小さく笑う。
「そのとおりさ。だからこそ次の器を見つけなきゃいけない。僕の魔力を注ぎ込める最強の生物が」
少年の指先がニコレスを射抜いた。
「たとえば、君だ」
「……私?」
肌を撫でるような視線にニコレスの声が思わず裏返る。
「悔しいが……私より強い人が」
「ツバキはダメだよアイツは本当に」
言葉の焦りからして本当に無理らしい。
もはや生理的に受け付けていないようにすら見える。
「そもそも、生物の頂点っていうのは、魔獣の魔力を持ったものだけがなれるものなんだ」
「魔獣……」
その言葉がニコレスの中で残響した。頭では分かっているのに、捨てたはずの虚しさが胸を締めて視線が落ちる。
「……そして君は、人間の身でありながら血管に流れるのは“魔獣の魔力”だ。どうやって手に入れた?」
胸郭が軋むほど息を呑み、ニコレスは言葉を失う。
この情報を敵とも味方とも知れぬ相手に明かすべきか__逡巡の後、視線をレグルへ送る。
「……うん」
博士は静かにうなずいた。覚悟を促す合図だった。
ニコレスはすぐさま脇のアタッシュケースを卓上に滑らせロックを外す。
金属の響きとともに、枠に収まった黒銀のベルトが姿を現す。中央のコアが淡い光を鼓動させた。
「これは“マナグナムドライバー”我々が研究し開発した、対魔獣用の最終兵器だ」
フェクターは初めてみる妙な道具に、前のめりの姿勢で興味深げに目を細めた。
「内部に魔獣の遺伝子データを四つ入れたある。変身者の血流にデータ化した魔力を混ぜて性質を変化させる。骨格そのものを戦闘形態へ変身させる仕組みだ」
輝くバックルに映ったフェクターの瞳孔が揺らぎながら、彼は小さく笑う。
「なるほど。どうりで魔獣に似てると思った」
しばらくマナグナムドライバーとニコレスの顔を行き来した後、その笑みは不適なものに変わった。
「面白い。早速試運転と洒落込もうか」
「何をする気だ」
一言のあと、少年の身体が白い閃光へと変わった。
突然の光によろめいたニコレス。その胸へ何かが突き刺さった。光、声。合っているようで違う。
__意識が侵入してくる。
『やあ。ニコレス』
脳幹に直接囁きが跳ね、背骨が粟立つ。
ニコレスは反射的にベルトを手に構え、壁に背をつけた。
「離れてください博士!」
叫ぶと同時に、彼女の頭から床面へ向かって一条の光線が着地する。
そこに形を結んだのは、先ほどと同じ少年の姿だった。
「やれやれ、そこまで慌てなくていいじゃんか」
「その体でなければ殴っているところだ。……私を龍のように操る気だな」
フェクターは白い毛をかき乱し、肩をすくめた。
「いやいや操縦する気なんて微塵もないさ。融合して“器としての適性”を測るだけだし、老朽化した龍と違って君は自力で動けるだろ?」
苛立ちを見せるニコレスをなだめるように、フェクターは必死に弁明していた。
「ま、死にそうになったら、強引にでも動かして逃げてあげるよ」
言葉は柔らかいが、瞳の奥にはどこか無機質な光が宿っている。
自分の身体を秤に掛けているこの状況に、意識せずに唇を噛んだ。
「もし私が拒めば?」
「僕は石に入って、頂点が決まるまではお留守番かな。当然君たちの安全は保証できないよ」
フェクターは悪戯を思いついた子どもの声で告げ、指を鳴らす。冷気が刹那に立ち上り、資料棚がパキと凍った。
「くっ……! 私が器になれば、魔獣は大人しくなるんだな?」
「生物の頂点に届けば、だけどね。神に誓って約束するさ」
フェクターが掌を胸に当て、芝居がかったウインクを送る。
「ちょっと待った!」
そこへレグルの声が割って入る。
「ニコレス君、わかっているだろう。君の体はすでに不安定な状態だ。魔獣以上に不可解な存在を受け入れるのは危険すぎる」
低く、重い忠告。
ニコレスのまつ毛がわずかに震える。それでも瞳は逸れない。
「承知の上です。だからこそ私が行く。未来の運命を、子どもたちに背負わせるわけにはいきません」
「馬鹿言うな。大体そういう君だって__っ」
静かな宣言は、かえってレグルをたじろがせた。
その隙を縫うようにフェクターがニコレスの隣に立った。
「僕としても、アイツが街を守り続ける状況なんてごめんだからね。ニコレスには最強の生物候補として頑張ってもらわなくちゃ」
フェクターの赤い瞳とニコレスの青い瞳がレグルへ集中する。逃げ場のない説得に、博士は額を押さえ息を吐いた。
「分かった……今更後戻りはできないんだ。俺もできる限り協力するよ」
「助かります。博士」
「ただし、条件が一つ」
レグルはフェクターを指さす。
「お互い、目的は同じなんだ。仲良くしよう」
「やれやれ。最初から皆と仲良くするつもりだよ。君たち次第かな」
フェクターは唇を三日月に曲げ、ニコレスを見上げる。
ニコレスは小さく息を収めた。
ほんの瞬きほどの間に、闘志と不安がせめぎ合う。そして後者を飲み込むように、首を縦に振る。
「その上から目線は気に入らないが……この賭けに乗るしかないようだな。よろしく頼んだぞ。フェクター」
「こちらこそよろしくー。……ところでさ」
と言いかけたところで、甲高い警報が駐屯地全体に鳴り響いた。
『管制レーダー、魔力出力二級反応です! 座標、西に十キロメートル。数は……ぁあ?!』
スピーカー越しに聞こえる声に落ち着きなど一切ない。
『百……いや、それ以上の大群が接近してます! 到達までおよそ四十分です!』
「なんだと?!」
驚愕の声を上げるレグルの前で、ニコレスはモニターに目をやりながら、ドライバーを腰に装着する。
「流石に反応したか。早く出ないと薄いところに総攻撃してくるよ?」
「……行くぞフェクター」
「はいはい」
フェクターが肩をすくめるより早く、白光が糸のようにほどけてニコレスの頭部へ吸い込まれる。
慌ただしい研究室前の廊下を、パンプスを蹴って地下駐車場へ急いだ。
青空広がる壁外に、遥か先の平原へ向かって真っ直ぐ伸びる四車線の道路。その一部が機械的にせり上がり、地下につながる通路が展開される。同時に、オフロードバイクが発射台のように飛び出した。
タイヤが着地を咬み、白煙の尾を引く。
「__変身!」
片手で小さく構え、バックルのレバーを操作する。骨格が揺れ、魔力が血流に乗って注がれていく。
異形の赤い装甲、セルディーが再構築され、排気音が獣の咆哮へ転化した。
『おお……本当に魔獣の魔力を注いじゃった。また魔獣に一歩近づいたね』
「……私の選んだ道だ。静かにしていろ」
壁外へ抜けた途端、視界いっぱいに広がる濃緑の樹海。その奥底で、幾つもの魔力光が獣じみた輪郭を結び始めていた。
異形の戦士、セルディーがまたがるバイクは、激しい音を響かせながら、迎撃地点へ疾走した。