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神の使い

 4月12日月曜日 12時10分


 カレストロ東防壁・第三駐屯区

 軍の施設らしく、無骨な鋼の回廊に靴音が跳ねる。

 赤いランプが走査線のように床を染め、白衣と軍服がせわしなく交差していた。


「ニコレスさん! お疲れ様です」

「どうも」


 横切る軍人に声をかけられながら、その流れをまっすぐに切り拓く黒い影__ニコレスが、青いポニーテールをしなやかに揺らし前方の扉へ向かった。


「お久しぶりです、レグル博士」


 扉を開くと同時に目の前に声を投げる。

 白で満たされた研究区画は、機材の駆動音すら吸い込む静けさを湛えていた。


「おお、ニコレス君か」


 マグカップを掲げた中年が、遅れて椅子を半回転させる。

 寝癖まじりの銀髪にコーヒー染みだらけの白衣が特徴的だった。


「ギルドの調子はどう?」

「依頼はいつも通りです。博士はどうです? 魔獣の活動データに変化は」

「うーん。微妙だね」


 適当な調子で答えつつ、キーボードとマウスの音を大きく立てる。モニターにグラフの波形を映し出した。


「確かに小競り合いは増えてるよ。0.8%だけど。それより、今は守護龍の報告をしたいかな」

「……解析が済んだのですね?」


 ニコレスのやや食い気味の声に、レグルは曖昧な笑みを浮かべた。


「収集と解析は終わったんだよ」

「ほう」

「でも、ドライバーに組み込むのは無理だね」

「えぇ?」


 あまりにキッパリと言うものだから、裏返るような声が飛び出してしまった。


「無理って事はないでしょう博士。少しでも遺伝子データが取れたら多少の強化には」

「無理ったら無理なの。見てよこれ」


 レグルはうんざりした様子で画面を切り替える。

 “マナグナムドライバー”と銘打たれた変身ベルトの設計図と、守護龍の遺伝子マップが並ぶ。


「はい」

「な…………っ?!」


 その画面が示したデータに、思わずニコレスの瞳が揺れた。


「ちょっと! はいじゃないでしょう」

「守護龍の細胞は分裂も修復も完全停止。遺伝情報はズタズタで、解析に使える塩基がほとんど残ってない。つまり終わりってこと」

「世界を支えてきた存在が……これではほぼ遺骸じゃないですか。あの巨体はどうやって動いていたというんだ」

「さぁね。奇跡か、あるいは別の何かか」


 レグルは肩をすくめ、苦く笑う。


「いずれにしろ実験素材としては瓦礫も同然。強化ユニットを設計した俺の努力もパーさ」


 手元のマグを空にして、散らばった書類の山を恨めしげに見やる。

 しかし次の瞬間、何かを思い出したように顔を上げた。


「あ、そうだ」


 レグルは立ち上がり、壁際の大型保冷庫へ歩く。

 シールを剥がす音や真空パッキンが開く音が響き、やがて彼は両手で掌サイズの標本瓶を運び戻る。


「これ」


 コトンと卓上へ置いたそれを、ニコレスは顔を近づけて中を覗き見る。

 厚いガラス越しに見えるのはすすけた鉛色の結晶。

 粗い肌理に霞んだ縞が走り、どこか不穏なものを感じた。


「これは……」

「龍の胸腔からでてきた石っころだよ。反応はないんだけど、捨てるには惜しい形でね」

「……直接触れても?」

「いいよ」


 ニコレスはひとつ呼吸を整え、金属のスクリューキャップをひねった。

 中身を手に乗せると、冷たい。見かけに合わず鉛の延べ棒のような質量が手にのしかかった。


 __カリッ。


 突然、氷の割れるような乾裂音と同時に、石肌の亀裂から白い閃光が噴き上がる。


「っ!?」


 反射的に手を放したが、落下音はなかった。

 床面に触れる瞬間、白い光が水紋のように広がり研究室全体を満たした。


「なに?!」

「ニコレスさん?!」


 研究員たちは一斉に腕で顔を庇う。レグルは椅子を蹴って後退しながら、細めた視線で光を追った。

 呼吸さえためらう静寂の中

 そして光が収束した時、床に転がっていたはずの石は影も形もなかった。


「これは……これはっ!」


 レグルが息を呑み、感嘆の声が漏れる。

 光の残滓が揺らぐ床の中央には、まるで抜け殻から零れ落ちた魂のように、少年が一人立っていた。


「子供……?」


 誰かのつぶやきが静かな室内にぼやけた。

 雪のように淡い髪に、ところどころ乾いた朱が混じる癖毛。

 病室で着るような長シャツが、細い膝下でひらひらと揺れる。

 血の気の失せた指先。そして律動のない深紅の双眸が異様な光を湛え、実験室の温度を数度下げた。


「…………」


 まだ十歳ほどにみえるその少年は、見知らぬ視線を感じてか、小鳥のように小首を傾げる。


「……誰? 」


 揺らいだ声は、まだ未発達な見た目通りに澄んでいた。

 少年はつま先で床をちょんと突き、無垢な眼差しを巡らせる。


「僕を起こしたのは、どっち?」


 その極めて無邪気な問いかけが、研究員たちの背筋に氷の爪を這わせた。


「私だ。ニコレスという。君は?」


 淡々と告げたつもりが、指先にはかすかな震えが残る。

 少年はそれを嗤うでもなく、ふっと白い息を漏らして頬をゆるめた。


「……また自己紹介か。まあいいか。僕はフェクター。この世の安寧を司る者さ」

「……なに?」


 ニコレスは膝を折り、彼と視線の高さを合わせる。


「君は何者だ。絶命した守護龍なのか、それとも__もっと別の存在か」


 低く沈んだ声に、少年は肩をすくめる。


「やだ怖い。そんな目で可愛い子供を見ないでよ」


 人を舐めきったような笑み。

 ニコレスは構いもせずに勢いよく両肩を掴んだ。

 ピクリと跳ねた貧相な服越しに伝わる体温は、異様に低い。


「答えてくれ。世界平和に関わるんだ」

「おっと……わかったわかった、教えるよ」


 指先の圧力が強まった瞬間、フェクターは一瞬目を見開いて、小さく息を吐いた。

 また小さく笑うと、白い指先を床に転がった結晶に向ける。


「この核石と僕が本体。あの龍の体は借り物の器にすぎなかった」


 あっさりと語るその様に実験室にざわめきが走った。

 既知の生態系を支えてきた神話が、子どもの声一つで書き換えられていく。


「…………どういうことだ」

「はぁ。詳しく言ってやったほうがいいね」


 ニコレスは困惑に唸り、そんな顔を前にため息をついたフェクターは、儚げに指を宙に向ける。周りの研究員たちの顔を見上げながら室内をトボトボと歩きだした。


「こないだまでは龍という器と融合してたんだ。あれは古い時代から君臨していた__いわば“生物の頂点”ってやつだった」

「生物の……頂点」


 ニコレスの中で、なぜかその言葉が強く響いた。


「僕はそこへ魔力を流し込んで、世界に生きる魔獣たちの力を抑えたってわけ」


 子供の適当。などと、そう思えることができればどれほど良かったか。

 この子の赤い目から放たれるプレッシャーは、その考えを簡単に捨ててしまう。


「君たち人間が言う“世界の安寧を守る存在”ってのはドンピシャの大正解だよ」


 さらりと言い切る。

 これまで積み上げられてきた学説や世界観も、砂の城のように崩れた。


「……ちょっと待て」


 低い声が割って入る。

 レグル博士がそっとカップを置き、硝子のきしみを止めた。


「さっきから君の言っている事は、嘘に聞こえない。しかしそうなるとだ。そもそも君という存在はなんなんだ。人間なのか?」


 フェクターは肩をすくめ、子どもの無邪気さでウインクを放る。


「前置きが長かったかな。じゃあ単刀直入に。__僕は“神の使い”さ」


 不適な笑みを浮かべ、それでいて力強く響いた言葉。

 部屋の温度が数度下がったような感覚が、研究室全員の肌を撫でた。


「……変な冗談はよして__っ?!」


 冷めた目で見下ろすレグルだが、次の瞬間、吐く息が白く凍った。

 実験台のメスシリンダーが内側から結露し、パキッと氷のヒビが走る。

 誰もが動けなくなる。室温は一拍で零度近くまで落ち込んでいた。


「ちょっと。そんなに震えないでよ」


 少年は苦笑し、人差し指をくるりと回す。

 霧散しかけた書類が渦を巻き、目にも留まらぬ速さで棚へ収まった。

 整列が終わると同時に、警報ランプが真紅に点滅し__


「ま、魔力の特級反応です! 座標は……この部屋です!」


 研究員の叫びに、レグルは開いた口が塞がらない。


「しゅ、守護龍と同じ波形じゃないか……じゃあまさか本当に」

「信じる信じないは自由だよ」


 フェクターは頬杖をつき、靴先で霜を砕いた。


「でもまあ、考えてみなよ。魔力が存在するこの世界とその成り立ち……何も知らずに使ってるなんてのは、ちょっと滑稽じゃない?」


 鼻で笑うような声。

 周りの研究員を含め、誰もがその語りを理解できていなかった。

 ニコレスはその軽薄な響きにさらに眉をひそめた。


「何が言いたい」

「常識に囚われないで欲しいかな」


 変わらず緊張が続く研究室の空気だが、研究員の女性一人が、台上になにかを置いた。

 ビニールの個包装がされたお菓子だ。袋が空いており先ほどまで食べていたのだろう。


「よ、良かったら食べる? 喋ってばかりじゃなんだし」

「ミハル……今そういう雰囲気じゃ」


 突然の行動に、思わず冷や汗が走る。

 フェクターはというと、しばらくお菓子とミハルと呼ばれた女性のにこやかな顔を行き来た後、包装を裂いてビスケットをひとつ口に入れた。


「ま、そんな滑稽な世界でも、“生物の頂点”に僕が融合したら安寧が生まれたわけだけど」

「……食べながら喋るんじゃない」


 特に味の感想を述べるわけでもなく、口にものを入れたままダラダラと息を吐く。


「なんだけど、そいつが死んじゃった以上、器を無くした世界はまたカオスになるしかない」


 また一つビスケットを口に入れながら、なんでもないようにぼやいている。

 ニコレスは言葉の重みと態度の釣り合わなさに深く息を吐いた。そして、あえて真正面から踏み込んだ。


「……なら一つ聞かせてもらおうか。その“生物の頂点”とやらが、どうしてツバキ君に敗れた?」


 その名を聞いた途端、少年の手が三枚目をつまんだままぴたりと固まった。


「……そもそも死にかけだったからってのもあるけどさ」


 床板が鳴った。無音の圧力がビスケットを押しつぶす。


「あれは規格外だ。ルール違反だ!」


 刹那、見た目通りの子供が駄々を捏ねてジタバタしていた。フェクターは息を吐き、瞬時に気配を引っ込めた。


「はぁ……。別にもう、過ぎたことはいいよ。問題は次」


 赤い瞳が壁の方角を向く。


「もう気づいてるだろ? 少しずつだけど、魔獣たちが活発に動き出してきてる。魔獣は僕の支配を失えば本能のままに殺し合いを始める。近いうちに人間の気配を追って、街にも押しかけてくるんじゃない?」


 研究員の顔色が戸惑いの色に染まる。


「頂点が決まるまで闘争は続く。君たちの街も国も、百年もすればボロボロさ」


 静かに告げられる未来予想図。それはあまりに冷たく、救いがなかった。

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