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龍殺しの異名

 4月12日月曜日 8時09分

 正門をくぐった直後、ツバキとリーゼは足を緩めた。

 通路両脇の生徒たちが談笑を切り上げ、視線をこちらへ向けてくる。ひそひそと呟く様がみて取れた。

 ツバキはその理由を察しながらも、特に構うことなく教室へ直行した。


「おはよう」


 扉を開けると、クラスメイト全員が一斉に振り向いた。

 その中でもタレックは真っ先に駆け寄ってきた。


「おお! ツバキじゃねーか! 無事でよかったぁ!」


 思わず半歩退いたツバキの肩を、タレックが嬉々として叩いた。


「マジで心配したんだからな! リーゼちゃんも怪我はなさそうだな。いやーよかった」

「あ、ああ」


 タレックが早口でまくしたて、同時にざわつき出したクラスの声と重なる。


「タレックが急いで伝えてくれたんだよね。ありがとう」

「そりゃあ、なんもないところからいきなりあんな龍が出てくるんだからさぁ……世界の終わりかと思ったぞ」


 昨日、突如として姿を現した白銀の龍__翼を広げれば校舎を丸ごと覆いかねない巨体は、それほど衝撃的だった。


「でさツバキ。先生から聞いたぞ。お前、その龍をぶっ飛ばしたんだって?!」


 ギラギラと輝かせ、憧れのように見つめる目があった。

 ツバキの手に、あのときの龍に叩き込んだ瞬間の感覚が蘇る。骨が砕ける鈍音と腕に残った嫌な震えがツバキの胸を冷やし、視線が床に落ちた。


「う、うん。そうだよ」

「マジかよお前。昨日の手合わせでやべぇ奴だとは思ったけどさ、いやまさかここまでとはなぁ」


 ただただ、ツバキは小さく頷くことしかできなかった。


「ところでお前、グループでなんて呼ばれてるか知ってるか?」

「なに?」


 タレックがスマホを差し出す。メッセージアプリ“シャイン”のグループチャットが「龍殺し」という言葉で埋め尽くされていた。


「龍殺しだぜ龍殺し」

「龍、殺し」


 単純明快。龍を倒す強さを称える異名だ。

 しかし、ツバキの胸を刺したのは誇らしさではなく、罪悪感。あの白銀の龍が担っていた本当の役割。それを壊してしまった、あの感覚がよぎる。


「シンプルでかっこいいよなぁ。よっ龍殺しのツバキ。待てよ? ドラゴンスレイヤーとかでもかっこいいか?」

「俺は龍殺し派かなぁ」


 タレックはひとりで盛り上がり、ツバキの肩をバンと叩く。


「あとお前の連絡先しらねぇんだよな。シャイン交換しようぜ。このグループに入れておかねぇと」


 ツバキがスマホをポケットから取り出してタレックとをシャインを交換する中、その様子をじっと見ていたレイスが、リーゼの真正面にぐいと割り込んだ。


「ねぇ。龍の話、聞いていい?」

「え。あ、いいぞ……なんでも聞いてくれ」


 リーゼの声が上擦る。マオまで隣ににじり寄り、背後ではクラスメイトが半円を描くように二人を取り囲んでいた。


「あの龍。ツバキ君が倒したんでしょ? 実際、どんな感じだったの?」


 身長差で見下ろされ、リーゼは壁に押し付けられる勢いだった。教室中の好奇心が一斉にこちらへ傾いた。


「あ、ああ……。と、とんでもない、光景だった。空中からぶっ飛ばして、え、えと……余波で地上にクレーターができる、ほどの威力だった」


 リーゼは声帯ごと強張らせながら、記憶の断片を必死に言語へ変換する。

 そこへ連絡先交換を終えたタレックが身を乗り出した。


「マジかやべーな。それでそれで?」

「あうぇわわうぇ」


 詰まった喉から謎の音しか出てこない。

 クラス全員の視線が突き刺さり、冷や汗が襟元へ伝う。それでもリーゼは息をのみ、一語ずつ押し出した。


「それで、龍は一撃で、倒れた」

「わ、ワンパンかよ……。あ、なんか動画とか残ってない?!」


 タレックがスマホを振るが、リーゼは首を振った。


「あ、あの時スマホは、教室に置いてきちゃってたし……」

「あちゃあ…………んじゃしょうがねぇな」


 真実が決定打となり、教室は蜂の巣をつついた騒ぎに。

 その熱は午前中のうちに校舎全体へ伝播し、休み時間のたびに他クラスの生徒が押し寄せる。

 “龍殺し”をこの目で見た証言を求めて、波のような質問攻めが二人を飲み込んだ。


「私新聞部の者です。ぜひお話を__」

「わ、私?! た、倒した本人がそこにいるではないか!」

「あの状況じゃ取材できないですよー」


 ツバキは筆記用具やノートを持ったまま、廊下の中央で人垣に埋もれていた。


「本当に一撃だったんですか?!」

「どんな魔法を使ったんですか?!」

「軍から声をかけられたりしました?!」


 矢継ぎ早の問いに、ツバキは戸惑いながらも苦笑で応じる。


「軍からはなかったけど、ギルドには誘われてて、そっちでバイトするかも」


 編入初日にナンバーツーのタレックを破り、翌日には龍を落とした。その二連続のインパクトに、堰を切った噂は教室の壁を越えていた。


 新聞部の生徒はその状況をみて、共に龍に連れ去られたリーゼに取材をしていた。


「それで、どうでした? 連れ去られている時の感覚は」

「__ほ、本当に死ぬかと思った。これで、いいか」


 休み時間ごとに押し寄せる質問の津波。ツバキは平然として見えたが、リーゼは押し寄せる人の波に、みるみる青ざめていく。


 そして質問攻めの時間を合計三度挟み、四限目の授業。終わりのチャイムと同時に挨拶をした瞬間、リーゼは机の陰から手を伸ばし、ツバキの袖をぐいと引いた。


「に、逃げるぞツバキ!」

「え? うん」


 あれ以上は限界だと悟ったリーゼは、ツバキを連れて校舎の外へ走った。

 体育館を背後に挟み、昼休みに入った生徒たちのざわめきがかすかに聞こえてくる。

 幸いにも、購買へ向かう集団と鉢合わせることなく隠れることができ、リーゼはツバキと日陰に腰を下ろして、ほっと息をついた。


「いやー災難だったね。もうちょっと空いてきたら購買行こうか」

「ああ。あ、その……悪いな。一緒に来てもらって。お前は平気だったのに」

「いいよ別に。あんなに慌ててる人初めて見たもん」

「う……」


 ツバキの茶化しに、リーゼは頬を赤くする。


「他の人たちからあんなに囲まれるの、初めてだったし?! き、緊張しない貴様がおかしいんだ!」


 声こそ潜めているが、ムキになった語尾が裏返っていた。


「まぁ、元を辿れば俺のしたことだし、ちゃんとリーゼに付き合うよ」

「………たすかる」


 風が吹き抜け、体育館の外壁をかすかに鳴らした。

 ふたりの間には手のひら一枚分の距離。リーゼは膝を抱えてうつむくが、不思議と気まずさはなかった。

 ただ、静けさと同じだけの安堵が、その隙間に満ちていた。


「あとさ」

「なんだ」


 リーゼは静かに目線だけ隣へ移す。


「こないだ買い物に付き合ってくれたじゃん。他に良さげな店があったら教えてよ」

「……ここで暮らして長いが、そんなにいっぱい知ってるわけではないぞ。それでもいいなら、まぁ」


 しぶしぶ頷いたリーゼはスマホを取り出し、地図アプリを開く。

 そこからは、自分でも驚くほど舌が回った。


「というのも、ここの地下街が広すぎてだな__」


 スマホの地図を開き、ツバキに見せながらマシンガントークを繰り広げる。


「この並びはハズレが全くないんだ。最近だとここだな。ラーメンももちろん美味いんだが、セットの炭火焼き鳥丼が特に美味いんだ。タレが甘くてな……それとこの近くだと百貨店があって、それから__」


 堰を切ったように、好きだけを連射していく。

 積もり積もった話題が雪崩れ落ちるたび、ツバキは「いいじゃん」「そんなのあるんだ」と首を小刻みに揺らして受け止めた。

 体育館の壁越しに、高い予鈴がキンと鳴る。リーゼは肩をびくりと揺らし、スマホをしまう。


「もうそんな時間か……すまんな。久々に話しすぎてしまったらしい」

「ううん。よかったら今度そこ行こうよ」


 ツバキの笑顔にリーゼはわずかに口角を上げ、ふたり並んで教室へ戻っていった。


 本鈴が鳴る三分前。

 ツバキとリーゼが廊下を急ぎ足で戻ると、すれ違う生徒たちがひそひそ振り返ったが、みな教科書とノートを抱えており、追いすがる余裕など無い。二人はそのまま教室へ滑り込む。


「お、ツバキもリーゼちゃんも無事だったか?」

「ちゃんとやり過ごせたよ」


 ツバキが笑う横で、リーゼは小さく肩をすくめた。

 そこへレイスが身を乗り出す。


「リーゼちゃん。さっきはごめんね。ちょっと興奮しすぎちゃってたみたい。……あんな大きな龍に襲われて、怖かったわよね」


 レイスは両手を胸元で合わせ、眉尻を下げる。


「ああいや、構わないんだ。あまりみんなと喋った事がなかったから……私が緊張しすぎていた」


 リーゼは両手をひらひら振り、恐縮気味に笑った。

 さっきまでの硬さはなく、頬のこわばりも解けている。体育館裏で好きを語り尽くし、胸の内を一度吐き出したおかげか、無自覚ながら表情筋がようやく自由を取り戻した。


「確かに襲われた時は、人生で二度ないほどの恐怖を感じたが、……ツバキに救われて、なんとか正気に戻る事ができた」


 言いながらリーゼは、机の端を指の腹でとんとん叩き、充血しかけていた耳たぶをそっと撫で下ろす。

 拙いながらも自分の言葉を選び、最後にはツバキをちらりと見て小さく頷いた。


 チャイムが鳴るまで、あと二十秒ほど。

 次の授業の先生が出欠簿を開きかけたとき__

 キィィン、と、耳を刺す金属音が校舎ごと震わせた。

 警報でもチャイムでもない、聞き覚えのない周波数だ。


「__なんだこの音は」


 リーゼが眉をつり上げ、周囲の生徒も一斉に窓際へ雪崩れる。

 遠くの街路灯が赤紫に点滅し、壁上のサイレン塔から白煙が噴き上がっていた。

 ざわめきというより、教室そのものが脈打っている。

 焦りと好奇心が入り混じった気配が、空気をざらつかせた。


 ツバキは窓枠に手を置き、外へ視線を凝らす。

 肌の内側を針でなぞるような、三日前に感じた“魔獣のざわめき”が、壁の向こうから滲んできた。


「タレック。この音は?」

「……俺も初めて聞いた。けど、明らかに警報……だよな」


 タレックが唇を噛みながら答える横で、リーゼも同じ気配に気づき、肩を強張らせる。

 ツバキと視線が合った。互いに言葉は要らなかった。


「…………そういうことか」


 ツバキは小さく呟き、リーゼへ首を振る。


「俺……行ってくる」

「……戦うのか」


 リーゼの声はかすれた。ツバキは暴力を嫌うことを知っている。それでもツバキは、決意をにじませた笑みで答えた。


「うん。俺が行かないとやばそう」


 言い終えるが早いか、窓を引き開け、二階の高さから地面へ無音で着地。

 教室中から短い悲鳴が上がる。


「え? ちょ、おい!」


 タレックが身を乗り出す。


「どこ行くんだ!」

「仕事! できるだけ早く戻る!」


 ツバキは片手を振り、跳躍する。

 コンクリートを一蹴りし、となりのビル屋上へ身を弾いた。

 次の瞬間にはさらに影が跳ね、もう一つ先の屋根へ。その背中は壁の外、紫煙の上に走る。

 残された教室には、警報の残響と、生徒たちの乾いた喉音だけが震えていた。

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