同じ帰り道の先、同棲
龍を葬り、カレストロへ戻ってきたツバキたち。
こんな大事に巻き込まれたからには、さぞかし長い話が待っていると覚悟した二人だったが、予想外にもバイクは魔法学校の前で止まった。
「このことは私が報告しておく。君たちとはここでお別れだ」
「俺たち、黙って帰っちゃっていいんですか?」
「ああ。その代わりに、先生方には君たちから無事を伝えておいて欲しい。心配してるだろうから」
「は、はい。……ここまでありがとうございました!」
ツバキに続いて、リーゼも深く頭を下げた。
「ありがとうございました!」
ニコレスはにこやかに頷き、リーゼからヘルメットを受け取って装着すると、ふと、なにかを思い出したように再び振り返った。
「それと、守護龍やセルディーの事は黙っておいて欲しい。あくまでも君が倒したのは、ただの巨大な龍だ。いいな?」
「……はい。わかりました」
そう言い残し、場を去っていった。
ふと校舎の時計を見ると、気がつけば時刻は三時を過ぎていた。
荷物を取りに戻るより先に、急いで職員室に向かった二人は、教員たちに取り囲まれることとなる。
「……よかったぁ! 二人が龍に連れ去られたって聞いた時はもうほんと……無事でよかったぁ!」
担任のヤクマが泣きそうな顔で安堵していた。
龍を倒したことや軍の人間に助けられたことを話すと、無事を喜ぶあまりか、悲鳴にも似たものすごい声が室内を埋めることとなった。
嬉し泣きをするヤクマの隣に校長が静かについた。
「君たちが連れ去られたのを見たタレック君たちが急いで知らせてくれたんです。通報が間に合ったようで何よりでした」
「あ、それで助けがあんなに早く……」
リーゼと共に連れ去られてから、三十分が経ったかという僅かな時間だった。ニコレスが迅速に駆けつけることができたのは、早期の対応が功を奏したのだろう。
壁外の景色や龍について軽く質問を受けたあと、二人は帰宅を許可された。
しかし、ツバキの中で疑念が浮かぶ。
軍では守護龍とも呼ばれた存在らしいが、学校でその名前や話題が出る事は一切なかった。龍も、あくまで巨大な体をもつ魔獣としての触れ込みしかなされなかった。
「しかしよく生きて帰って来れたなぁ。その龍は、なんとか撃退できたのか」
ヤクマの疑念の言葉にツバキの肩は揺れた。
その龍の正体は伏せなければいけない。それでも嘘はつけない。少しの間を空けて、内心気まずそうにして言った。
「倒しました……俺が」
「……へ?」
職員室は瞬時に静まり返った。
遠慮するように言い放った編入生の言葉一つに、戸惑い、嘘を疑い、謎を呼ぶ。
この後の騒がしさは、午後の元気さとは思えないほどの熱量だった。
***
「いやぁ長かったねぇ」
「主に貴様のせいでな」
一時間ほどツバキと龍の話でヒートアップし、ようやく解放された二人。
タレックとの戦いを前に教室に置いていった荷物を取ると、他の生徒のいない帰路についた。
「…………それで」
今日は家に帰って、明日に向けて羽を休めようといった頃。
数が多すぎて、もはや何の店や企業が入っているのかもわからない、雑多なビル群の谷間に、人影が二つ並んでいた。
「ほんと今日は災難だったね」
今日の出来事を、なんて事ない感想にして呟いていた。
その隣で、眉をぴくぴくと動かしながら、今にも弾けそうな面持ちのリーゼがいた。
「いやその……それそうだな。こんなに不可思議な事象が立て続けに起こるとは」
みるみると早足になるリーゼに合わせて、ツバキもペースを合わせて行く。
それが突然、ぴたりと止まった。
「だぁ……! なぜ私について来るんだ!」
カバンを抱え、こちらを見上げるように声を荒げていた。
理由は朧げだが、確かに敵意を向けていたリーゼ。隣で歩いている状況は、気分の良いものではない筈だ。
しかし、ツバキは全くそういうつもりではなかった。
「ついて行ってないよ。帰り道がこっちなんだよ」
「は? でも、いや……はぁ……」
うだうだと頭を書いた挙句、大きくため息をついた。
ふと、思い出したように、再びツバキに目を向けると、言いづらそうに口を開いた。
「あの、さっきは殺すとか言って、刃物を突きつけて……えっと、悪かった」
校舎裏での一件。ツバキは、明確に殺意を向けていたあの目を思い出した。
彼は怒るわけでもなく、至って平然としていた。
「ああ……いいよ全然。それなりに事情はあるんでしょ? 本気なのはすごい伝わったし。聞かせてよ」
「か、軽いな」
そんな態度だから、リーゼはかえって反応に困ってしまっていた。一つ咳払いを挟むと、話を始めた。
「信じてもらえるか分からないが、私は約十ヶ月後の未来からやってきた」
「うん」
「どうやって過去に戻ってきたかは謎だ。しかし私がいた未来の世界は、全てが真っ白に染まって、消えたんだ」
「…………」
ツバキは大きく反応するわけでもなく、言葉を挟まずにリーゼの説明にひたすら耳を傾けていた。
「人も建物も無くなっていく中で、唯一残ったのは、私と、貴様だけだった」
「俺?」
「ああ。もう少し雰囲気は違ったがな。身長も、そのむかつくほど能天気な顔も、瓜二つだった」
「俺そんな顔なんだ」
さらっと嫌味を言われてしまい、僅かに動揺した声が出た。
「……やはり何も知らないんだな。それで、私は貴様に頭を掴まれて、意識を失った。気がついたときには、四月九日。今日の朝だ」
「そっか……」
この話が事実なら、先ほど戦った龍__その内部にいたフェクター。彼はリーゼの命を狙った理由に、本来ないはずの記憶を持っていることを挙げていた。
その記憶というのが消えた未来の事を指すのであれば、彼女の命が脅かされた因果に、自分が直接関与している事になる。
その責任がツバキには重くのしかかってきた。
「そりゃびっくりするよね。いきなりタイムスリップして、それで登校したら俺が入ってくるんだから。……あと、そのせいでフェクターさんに狙われたんだったら、ほんとごめん」
「…………やっぱりわからん」
リーゼは目を逸らし、低くボソッとつぶやいた。
その横顔に、ツバキは続けた。
「そうだ。じゃあもうその未来っていうのは、もう変わってきてるんじゃないかな。俺がいてびっくりしてたって事は、そもそも前の世界の俺は、あの学校にいなかったって事でしょ? んで、今の俺は世界を消そうとか、そんなの考えないし……。大丈夫だよ」
「本当にそうなれば良いんだがな……」
そんな未来の話を交わしながら歩くこと、二十分ほどが経とうとしていた。
周囲の高層ビルは比較的低くなりつつ、一般住宅も見え始めた郊外付近。徒歩往復にしてはかなり長い距離だったため、互いに疑問を抱いたところで、両者の足が止まった。
「……まだ着いてくるのか? 早く行ってしまえ」
「俺、帰るのはそこのアパートだよ」
「……は?」
立ち止まったすぐそばに伸びるのは、二階に別れた一般的なアパート。
各部屋のベランダがこちらを向いて構える、質素な作りのそれを、リーゼは知っていた。
「そこ……なのか」
「リーゼはどこなの」
「……こっち」
アパートと、道路を挟んだ向こう側を指差した。
瓦屋根の一軒家で、塀の外からでも伺える広い庭が、昭和らしい高級な雰囲気を漂わせていた。
「ここなの……?! 目の前だったんだ」
「くそ……こんなに近くにいて気がつかなかったのか」
「こっちで暮らすの今日からだもん。それじゃあ、また明日」
ツバキは気さくに手を振って、アパートの共用入り口へ入っていった。
「……あ、ああ」
オドオドとした返事をして、しばらくの間呆然とした後、自分も家に帰っていった。
ツバキが暮らすことになったアパートは、まだ部屋と呼ぶには少し早かった。
「うわぁ……」
白い壁と無垢の床が印象的な、小ぢんまりとした空間。
そこに四角く折り畳まれたダンボールの塔が、壁を背にして何層も積み上げられており、中央の床だけが、なんとか一人ぶん腰を下ろせるスペースを確保していた。
「トルモさん。これはちょっと多すぎるんじゃないかなぁ……」
転移魔法であらかじめ送られた、無機質なダンボールの壁を前に、ツバキは呆然と見回しながらも、流れるように片付け作業に入っていった。
そしてかれこれ掛時計は回りに回り、いつのまにか五時を差していた。
「……暗。っと、電気どこだろ」
初めての部屋を前に、壁に目線を沿わせて電源を探す。
その視線は、突如なったインターホンに反応し、出入り口の方へ弾かれた。
「はーい」
十七年もの間、日常から隔離されたこの体であったが、意外にも普通の反応がでた。
といっても、この扉の先にいる人物は、魔力感知の影響で丸わかり。すでに目線だけは、その影を見るように、軽く下を向いていた。
「どうしたの?」
「…………」
扉を開けた先には、気難しそうにこちらを見上げるツインテールが、共用廊下の明かりに照らされていた。
リーゼは黙ったまま口をもごもごとさせていたが、その隣に置かれていた、大きなキャリーバッグにツバキは眉を顰めた。
「んー…………?」
「えっと、その」
なにやら妙な予感がして固まるツバキ。
リーゼはしばらくして、喝を入れるように自分の頬を両手で叩いた。
「単刀直入に言うぞ。私は貴様の部屋に住まわせてもらう!」
「………………」
ツバキは顔がぴたりと静止した。
「え?」
頭の中では、一度言葉を整理し、読み間違いがないか改めて確認する動作が入った。
私は、貴様の、家に、住まわせてもらう。
「ごめんなんて?」
おそらく何かを聞き間違えたのだろうと、尋ねるも、
「むっ?! ……わ、私は、貴様の家に、住まわせてもらう」
「あぁ……」
最初に聞いた言葉がリピートされた。
「…………えーっと。ちょっと、えー、わけが聞きたいな」
あまりに突飛で、一般常識という名の歯車と、リーゼの言葉がまるで噛み合わない。
取り乱しそうになったツバキだったが、虚空を仰ぎながら、なんとか言葉のキャッチボールを成立させた。
「決まっている。貴様が世界を消してしまわないか、しっかり見ておく必要があると思った」
「家近いんだし、わざわざそこまでしなくても……」
「人の本性は外では中々でてこんだろう。一緒に住めば、貴様の化けの皮を剥がす事もできる」
「うーん……」
ツバキがこの提案に強い抵抗を示しているのは、あまりに唐突なおしかけである事も理由の一つだが、人として当然である、重大な懸念があった。
「リーゼ。君の気持ちは大体わかったよ。……心配だよね」
ツバキはリーゼを諭すように、しっかりと目を合わせて言葉を紡いだ。
「けど、俺は男で、一人暮らしで、君とは今日初めて出会って、そういうところで一緒に住むっていうのは……リーゼが良くても、お母さんやお父さんが許さないと思うよ」
「私、親はいないぞ」
「ん……?」
なんでもないように口にしたリーゼの言葉に、ツバキは思わず目を右往左往とさせる。
冷や汗が額から垂れてくるのを感じた。
「どこかで、出張?」
なぜか嫌な邪推をしてしまい、そこからズラすような問いかけをした。そして、その答えを知ったツバキはすんなりと考えを改める事になった。
「もう、亡くなってる」
「あ…………」
ツバキは、言葉がでなくなった。
瞳孔が震え、リーゼを見る目が神妙なものに変わった。
「そっか、わかった。まだ散らかってるけど……あと、ここの大家さんにも話をしてみるよ。ダメだったらごめん」
そして、何かに取り憑かれたように、徐に扉を広く開けては、空いた手でリーゼを手招いた。