世界崩壊への覚悟
「リーゼはちょっと離れてて」
「え? あ、ああ」
ツバキの隣でニコレスと対面していたリーゼ。
彼女は困惑を浮かべつつも、二人から滲む戦いへの思いを感じ取り、そそくさと距離を取った
異形の姿を前に、ツバキは動じることなく、むしろ感心するように自分の姿を見ていた。
異形の戦士はそれを確認して、右足を一本後ろに引いた。
「行くぞ」
そして、まるで戦闘の合図のように、セルディーは白い息を吐く。
__そしてツバキを見据え、動いた。
「………ん!?」
刹那、異形の戦士はツバキの懐に現れた。
彼の視線を赤い複眼が捉える。がしかし、攻撃することなく、直角に軌道を変えた。
瞬く間にツバキの周囲を巡り、幾重にも残像を引きながら動いた。__ツバキの視線は寸分違わずこちらの動きを追っていた。
「くっ……?! 見えるのか私が」
“目が合う”。それが動きの全てだった。どれほど高速で動こうと、ツバキの視線から逃れられない。
先制して動き相手を動かそうとしたが、いつの間にかその主導権はツバキに渡っていた。
背後以外、どこに位置を取ってもツバキの視線がまとわりつく。実質的に背後も見られているような状況下だが、彼女の選択肢はもはやそこしか残されていなかった。
「でやぁっ!!」
ツバキの死角からセルディーが飛び出した。異形の拳が鋭く疾走し__
ドゴォン!!
直撃。
フルスイングの拳がツバキの背を捉え、轟音と共に衝撃波が炸裂した。爆風のように拡散した空気が草木を激しく揺らす。
セルディーは手応えがありすぎるほどの一撃に、思わず拳がひりついた。しかしそれだけ。ツバキの体は微動だにしない。
「……固い。守護龍と闘っても平気なわけだ」
「誰かを守るには、必要な耐久力です」
薄い反応を、セルディーは背中越しに受け取った。
ならばと彼女は、ツバキの背中から手を離し一歩身を引いた。
「そうか。なら次は、君が私を攻撃する番だ……できるな」
「…………」
ツバキの肩が僅かに動いた。
身震いするような、落ち着きを欠いた動作だった。
「君の力を直接確かめられなければ、覚悟の判断すらできない」
そんな態度に、ニコレスは毅然とした口調で続ける。
「君は龍を倒した。そうだろう? それができたのなら、これぐらい__」
「倒す気はありませんでした」
「……なに?」
ツバキは食い気味に答えた。僅かに低く、言い切る様に吐き捨てた言葉に、ニコレスは異形の仮面越しに、ただならぬ悔しさを感じた。
「俺はただ、暴れる龍をを止めようとしただけです。自分の力を理解していなかったから、ああなってしまったんです」
「……自分を襲った者を相手に、そこまでの情をかけられるのか。優しいんだな君は」
「中途半端なだけです」
一定のトーンを保ちながら低く淡々と言葉を続けた。その顔が静かにこちらを向いて、徐に左手を掲げた。
「ニコレスさん。軽く、押してみますね」
「むぅ……。こい」
肩幅に足を広げ、異形の戦士はどっしりと構えた。
一体どれほどの衝撃が来るのか。巨大な龍をも吹き飛ばしたその力を受け止めようと、息を静かに吐き出した。
ニコレスの目の前にツバキが立ち、左手の指が戦士の腹部に触れたその瞬間、
ズオッ!!!
「うおおおっ?!」
二人の距離は一気に弾き離れた。
両足で抉れる地面と舞い上がる草が轟音となって前へ前へと遠ざかっていく。
バランスを崩さぬ様に必死に踏ん張り続け、土煙を上げながらようやく静止した。
「押しただけでこの威力か……?!」
ツバキと自分の間にできた、二本の抉れた溝が目の前に広がる。
思わず彼が触れた腹部を右手で押さえて、赤い複眼が遠くで小さくなったツバキと交互に見つめた。
腹部に痛みはない。ただ彼の触れた指先が強く記憶されており、ヒリヒリとした感覚が残る。
「俺の力、認めてくれますか」
「____なっ?!」
なぜか目の前からツバキの声がして顔を上げた瞬間、声にならない声と共に飛び退いた。
音もなく、瞬間的に彼は距離を詰めてきた。
圧倒的な力とスピードが畳み掛けられ、セルディーは恐怖すら覚えた。
「……二百メートルはあったぞ。これは……中途半端な力でどうにかなるわけだ」
慄くように、声を低くしたセルディー。
彼女はしばらくしてベルトのレバーを引き抜いた。
変身が解かれ、スーツ姿の女性が再び姿を見せる。
「怖くならないか? 君は」
「すごく怖いし、やっぱり痛いです」
「……暴力を嫌っていながら、それでもこれからの戦いに身を投じるのか」
ツバキは黙って、脱力した己の拳を神妙に見つめた。
依然震えたままのその手は、溢れんばかりの強さと打たれ弱さを合わせ持つ。
静かに、長い時間をかけて息を吐くと共に、諸刃の拳を強く握りしめた。
「無理はす__」
「俺が蒔いた種です」
心配の一声が届くよりも先に、ツバキは一歩踏み切った。
「この手で、必ずやりきってみせます!」
ニコレスはその間に、言葉は挟めなかった。
彼の目に宿る、ありとあらゆる感情を支配した強い光。
その重圧に、彼女は気圧されるばかりであった。
「…………わかった。もう、帰ろう。リーゼさん!」
「は、はい!」
短い緑のカーペットに腰を下ろし、遠巻きに戦いの様を見ていたリーゼが、跳ねるように立ち上がる。
「向こうに私が乗ってきたバイクがある。君は後ろに乗ってくれ。ツバキ君は……悪いがそのまま走れるか」
「全然大丈夫です」
ニコレスが乗ってきたというバイクは、泥にまみれたスリムなオフロードタイプだった。
フレーム後方には重々しい鋼鉄製の荷台が改造で組まれ、黒いキャリアケースが二つ、しっかりと固定されている。ニコレスはベルトや、なぜか近くで転がっていた拳銃を収納すると、エンジンをかけた。
「私、乗れますか?」
「多少の無理はしているが問題ない。しっかり捕まってくれ」
ニコレスとリーゼ。二人を乗せたバイクは、ゆっくりスピードを上げて草原を走り去っていく。
それに続いてツバキも当然のように追いついていった。
「ツバキ君。胸のバッジを見るに、今は三年生だろう? 将来の夢はあるか?」
ニコレスのバイクは、後ろで自分にしがみついたリーゼに配慮した安全運転が続く。
その隣で並走するツバキに、首はまっすぐなまま、問いかけをした。
「将来ですか……? なんとなく、ギルドで働いてみたいなって思ってます」
「そうか……。ならちょうどいい。君には、是非ギルドに来て貰いたいんだ」
「えっ……ほんとですか?!」
突然の勧誘に、思わず変な声が出た。
「ギルドってその、俺が言った何でも屋の?」
「その通りだ」
それは、ツバキにとって朗報も朗報であった。
株式会社GUILDLINE。ギルドの名で親しまれるこの民間の会社は、総合請負業として世界中で展開されている。
ツバキにとっては、この世界で目指したい職業の一つだった。
「それは、すごくありがたいんですけど、あそこって正社員しか募集してなかったような」
「私が話を通す。私は軍所属の人間だが、同時にギルド職員でもあるんだ。なんなら本業はそっちの方だ」
「え、そうだったんですか!」
「君ほどの力の持ち主だ。色んな人たちが欲しがることだろう。だから、戦いに限らず様々な事業で力が活かせるギルドは君にはピッタリじゃないかと思ってね」
「へぇ……」
目を輝かせていたツバキだが、ふとニコレスの言葉から、理由がそれだけでないことを悟った。
しかし、今わざわざ尋ねるほどのものでもない。
ツバキはにこやかに笑って答えた。
「なら、よろしくお願いします!」
ツバキとニコレスのバイクは、大自然の中を一時間ほど駆け抜け、しだいに高い壁がつくる影が落ちてくる。
大自然から、静かにカレストロへと帰還していくのだった。