87. 完治までの日々 友好の誓い
「はぁ。良かった。そういうことか。」
一通り友好の誓いについて聞いたアスタロートは、心底安堵した。
ただ、一緒に生活するだけとは、思わなかった。
「私も悪かったです。アスタロートさんの知識量は赤ちゃんだと思っておかないといけないのに・・・。」
「赤ちゃんってひどくない!」
「実際、アスタロートさんは会話ができる赤ちゃんですよ。何も知らないじゃないですか。」
「いや、そうだけど・・・。」
「分かったならいいです。じゃぁ、私はこれで。」
そう言い残すと、ノーズルンは踵を返しどこかへ行こうとするが、アスタロートが呼び止める。
「おい。どこに行くんだよ。」
「どこって、自分の巣に帰るんですよ。」
振り返って、返事をするノーズルンは少し怒っているような悲しいような表情をしている。
今日一日でノーズルンの表情をだいぶ読み取れるようになったアスタロート。
そんな、残念そうな表情をさせた原因は俺にある。
もともとは、すぐに意味を聞かなかった俺が悪いのだ。
友好の誓いを結んだ直後のノーズルンはあんなにの喜んでいたのだ。
自分の巣に帰ると告げたノーズルンはすぐに家の方へとぼとぼと歩き始めた。
「俺の巣に来いよ。」
「えっ!」
「だから、俺の巣に来いよ。」
「えっ、いいんですか?」
振り返ったノーズルンの表情は先ほどから一転して明るい表情になっている。
「あぁ、留守にすることが多いと思うが、俺は窪地の中について疎いからな。一人だろ心細い。」
「シュシュシュ。赤ちゃん並みですもんね。」
「改めて、これからよろしくな。」
これが、日本人としての性なのだろうか、自然と右手が前に出る。
その言葉にうれしく思ったのか、左右に大きく口を広げて喜んでいる。
最初であったときは、とても受け入れがたい容姿をしていたが、こうして一緒にいる時間が長くなると馴れるものなのだな。
数日前の自分にノーズルンと一緒に過ごすなんてこれっぽっちも思わなかった。
異世界って何が起こるかわからないものだな。
感慨深く思っていると手が何か温かいものに包まれる。
ヌチャァ。
右手に視線を戻すと、ノーズルンの管状の舌が右手を包み込んでいる。
「ヒィ!」
思わず悲鳴を上げそうになるが、こらえる。
しまった、そうだった。
東国には握手の文化がないんだ。
右手を差し出したら、友好の誓いを結ぼうと言っているようなものだが・・・。
「どうして、俺の手しゃぶってるの?」
「すみません。うれしくてつい・・・。」
舌の外側はヌメヌメしていなかったが、舌の中はどうやら違うようだ。
ゆっくりと引き抜くと粘液まみれの右手が出てくる。
ギルドの近くにある井戸で洗おう。
「じゃぁ、行こうか。」
「・・・はっはい。」
ノーズルンが、少し恥ずかしそうに返事をする。
一瞬、会話が途切れるが、アスタロートにはすぐに思いつく話題が浮かんでこなかった。
共同生活を送る仲になったとはいえ、知り合ってまだ日も短い。
無言でいると少し気まずいものがある。
アスタロートが何か会話が無いかと思案していると、ノーズルンから声を掛けてきた。
「先ほど、しばらく留守にすると言っていましたが、どこかに行くんですか?」
「あぁ。もともと、好奇心から窪地にやってきたからな。いろんなところを見て回りたいんだよ。」
「なら、私も・・・。」
「いや、すまないが、飛んでいこうと思っていてな。少しここを開けるかもしれないけど、帰ってくるからそれまで、俺の巣を好きにしていていいよ。」
当然、正直に勇者の仲間になるために旅をするなど言えるはずもなく、嘘で誤魔化すかすタロート。
せっかく、仲良くなれたのにすぐに分かれるのは少し申し訳ないが、魔王を倒した後はここに住む予定だ。
少しの間だけ、辛抱してもらおう。
出来れば、フルーレティーとも一緒に住みたいものだ。
アスタロートの巣がある場所まで、2人で来ると辺りは暗闇に包まれつつあった。
道沿いにところどころ埋め込まれている光る石が明かりとなって薄っすらと辺りを照らしている。
「俺は、そこの井戸で手を洗ってから巣に戻るよ。」
「では、私は、マンドラゴラがいたことをギルドに報告してきますね。」
ギルドはいまだに明るく、人で賑わっているようだ。
アスタロートが井戸で水を汲んでいるとギルドの方から悲鳴が聞こえてきた。
「脳ぐらいだ。脳ぐらいが入ってきたぞ。」
「違います。いや、脳ぐらいですけど、私です。ノーズルンです。」
視線を向けるとノーズルンがギルドの扉を開けたところだ。
少しの騒動の後、すぐにギルドが静かになり、ノーズルンがギルドの中に入っていった。
どうやら誤解は解けたようだ。
アスタロートは、何も聞かなかったことにして、汲んできた水で右腕を洗い巣に戻っていく。
巣に戻ってすぐに木の幹を確認すると、四角く切り込みが入っており、引きだせるようにツタで取っ手が作られている。
「あ。全然気づかなかった。」
確かに、言われれば気づくが、まさか木の幹に引き出しを作るなんてな。
引き出しを開けると、中にはシャツと以前着ていたローマ服と通貨が入っていた。
以前来ていたローマ服を取り出すと全体的に焦げているし、赤黒く変色している。
これはもう切れそうにないな。
ボロボロのローマ服を引き出しに戻してシャツを取り出して広げてみる。
「うお。」
シャツのつくりを見て思わず声を出してしまう。
ノースリーブのシャツで、普通だが裏返すと胸の場所に大きな丸い穴が2つ開いている。
なんて服だ。
これじゃぁ、大事なところが丸見えではないか。
シャツを見て固まっていると、ノーズルンが帰ってくる。
「おい、ノーズルン。これ見てくれよ。胸のところに丸い穴が2つ開いているんだよ。こんなの着れるわけないよな。」
「お邪魔します。アスタロートさん。シュシュシュシュ。その穴は、胸を出す穴ではなくて羽を出す穴では?」
「あっ。」
しまった。すっかり失念していた。
恥ずかしい。
どうして、気づかなかったんだ。
前世では、もっとしっかりしていたと思うのだが、如何せん最近こんなことばっかりだ。




