216. 報酬
匂いを嗅いで、退席しようとドアノブに伸ばした手が止まる。
「おい。どうしたんだ。シープート。さっさと帰ろうぜ。このおっさんやべぇよ。」
この香ばしい匂い、なんておいしそうな匂いなんだ。
「いや、レロンチョ。じゅるり。おっと、よだれが、やっぱり報酬だけ見て判断しよう。」
未だかつて嗅いだことのない、いや、どこかで似た匂いは嗅いだことがあるような気がするが、アスタロートはおいしそうな匂いの上限値が更新されたのであった。
この異世界には、これほどのおいしそうな匂いを発する食べ物があるのか!
意識して口を閉じないと涎が垂れてきてしまう。
もう一度交渉の席に着くため、ソファへと座る。
「おっ、おい。」
レロンチョが、戸惑いながらもついてくる。
バカな奴だな。
こんなにもおいしそうな匂いがしているのに気づかないなんて、きっと食べたら飛んじまうぞ。
「ハッハッハ。やはり亜人の方にはこれが効果的ですね。こちらは、将軍バッタパウダーを使用したクッキーにございます。」
机の上に並べられたクッキーは、どれも宝石のように輝いて見えた。
そうか、どこかで嗅いだ匂いだと思っていたが、将軍バッタの匂いか。
生きている将軍バッタの嗅いだ匂いよりもかなり上品な匂いだ。
見た目バッタだから精神的に拒絶反応を起こしていたが、これはクッキーだ。
見た目も良し、匂いも良し。
ならば、食べて良し。
「あっあぁ・・・。ほちぃ。」
無意識のうちにアスタロートは率直な欲望を口走っていた。
「うんうん。ほちぃでしょう。ほちぃでしょう!このクッキーは特別製で、亜人の人が正気を保てるぎりぎりの量の将軍バッタパウダーを使用しております。正気を保ちながら食べる将軍バッタは格別ですよ。」
アスタロートが、よろよろと亡者のように手をクッキーに伸ばすが、おっさんに皿ごと回収される。
「ぁぁ。なんで・・・。」
こんなに、おいしそうなクッキーをお預けするなんて、この人はなんて意地悪な人なんだ。
「シープートさん。ご褒美は任務を達成してからですよ。」
そっそうか。
そうだった。
このクッキーは任務達成のご褒美だった。
「おい、シープート。こんな奴らの言うことなんて聞くなよ。どうせ、いいように使われるだけだぞ。」
「いっ、いやっ、でも・・・。」
隣でレロンチョが騒いでいる、確かにこのおっさんの依頼を聞くのはあほらしい。
それに、モコモッコ羊教に関わるとろくなことにならないだろう。
分かっている。
分かっているのだ。
だが、それ以上に、食べたい。
レロンチョが、アスタロートに呼びかけるが、アスタロートは陥落寸前だ。
そこに、モコモッコ羊教祖の魔の追い打ちが来る。
「実は、このクッキー。将軍バッタのパウダーだけじゃないんです。なんと、モコモッコ羊産のバターを使用しております。シープートさん。久しぶりにママの味を堪能できますよ。」
「マッママの味・・・。」
「何をためらっているんですか?何も犯罪をして来いと言っているのではありません。私の夕食の食材を調達してきてほしいと言っているだけです。」
「シープートだめだ。流されるな!」
気が付いたとき、アスタロートは依頼を承諾していた。
「ってことで、レロンチョ。頼むぞ。」
「嫌だから、無理だって。」
町はずれの丘でモコモッコ羊が放牧されているところにアスタロートとレロンチョはやってきていた。
モコモッコ羊たちが群れとなって日向ごっこや草を食べているのが見える場所で、アスタロートはレロンチョにお願いをしていた。
「お前、魔人だろ。モコモッコ羊の一匹や二匹ぐらい盗んで来いよ。」
「いやいやいや、無理だって無茶を言うなよ。」
「なんで、ダメなんだよ。魔人ギルドの人は人間に嫌がらせをしているんだろ。」
「はぁ~。あのなぁ。お前たまに常識が抜けてるよな。」
「なっなんだよ。何がいけないんだよ。」
この世界の常識が欠如していることを自覚しているアスタロートは、今までやれよやれよと悪乗りを助長する悪友のようなノリをしていたが、レロンチョの指摘に言いよどむ。
「魔人ギルドを通さずに嫌がらせをしたらただの犯罪になるじゃないか。俺たちは魔人ギルドという組織のバックがあるから堂々と胸を張って嫌がらせができるんだぜ。そんなリスク犯せないぜ。バックに魔人ギルドがいないと西国の人に襲われたら一人で対処しなくちゃならなくなるんだ。俺の実力じゃそんなことは出来ないね。」
「おい。そんな連れないこと言うなよ。後で、クッキー1枚上げるからさ。なっ。なっ!」
「いらねぇよ。俺は魔人だ。人が作った料理なんか食べねぇよ。それにしてもどうするんだよ。モコモッコ羊がモコモッコ羊の肉を売ってくれなんていろいろとマズいだろ。まっ、まぁ~。お前が俺のツガイになって守ってくれるなら、考えてやってもいいが?」
「そうか、じゃぁ。仕方ない。諦めよう。」
「おい、即答かよ!」
アスタロートのことが気になるレロンチョがアスタロートのオスになることが出来るか探りを入れるが、即答される。
「では何か他の方法を考えないとな。」
「おっ、おい。本当にするのかよ。」
「当たり前だろ。じゃなきゃあのクッキーもらえないだろ。」
「まじかよ。本当に亜人って将軍バッタが絡むと目の色変わるな・・・。」




