第7話「『夢幻界症候群』だな」
その後は特に話すこともなく、昼休みは終わった。
そして放課後。部活をしていない僕は、いつもならすぐに家に帰るものの、今日は用事があってとある場所に来ていた。
「ようこそ、オカルト研究部へ……って、なんだ、お前か」
オカルト研究部。部員は現在、今挨拶をしてくれたモサモサ頭の暗い男、物部怪ただ一人。
そのモサモサ頭はもはやアフロと言って差し支えなく、目元まで隠れてしまっている。
部室が狭く暗いのも相まって、正直不気味だ。
「なんだとはなんだ」
「そんな言葉も出るだろうよ。せっかくお前にとっての数すくなーい友人がお前のためを思って入部勧誘をしてやったというのに、断るって即答したんだから」
「それは悪かったけど……」
「まあいいよ。それで、今日は何の用だ?」
怪がランプの電源を入れると、入り口ほどの幅しかない暗い長方形の教室に、ぽっとちいさな明かりが灯る。
ほんの少しあたりが見やすくなったところで、僕は怪の目の前に置かれている椅子に座り込む。
「コーヒーでいいか?にがーいブラックのやつだ」
「僕は甘いものが好きだ」
「そうか、砂糖は出さない」
「そーですか」
軽口を叩きながら、インスタントコーヒーが淡々と作られていく。コーヒー独特の香ばしい香りが教室に蔓延する。こうして匂いだけを嗅ぐと、別に苦いのでもいいなと思えてくる。
出来上がったコーヒーのその色は黒く、本当に苦いものにしたのだとわかった。
恐る恐る一口すすると、案の定苦い。僕は飲むのを諦めて、本題に入ることにした。
「夢を見たんだ」
「は?」
僕がそう切り出すと、怪は何を言っているんだと言う表情になった。もっとも、目元までは隠れてしまっていて確認できなかったが。まあ出てきた声から察するに間違いないだろうし、僕だっていきなりこんなことを言われたら困惑する。
「すまん、ちゃんと順序立てて説明するよ」
と、僕は今朝見た夢の話、二人の夢さんの話、そして昼休みの話をすべて話した。
「……まず一言いいか?」
「ん? ああ」
「お前、すげーな。あの夢さんと一緒に弁当とか。あの人が一緒に弁当を食べてるなんて情報聞いたことがない。さすがの俺でもできない」
「お前自己評価高いよな」
「そりゃあそうだろう。なんたって俺だからな」
「そうかい。それで、なにか意見は?」
「まあ、羨ましい」
「そういうことじゃない」
「悪いわるい、調子に乗った。それで、その話から察するにそれは……」
と怪はスマホの画面をつつき、目的のページを見つけたらしくそれを僕見せてくれる。
「『夢幻界症候群』だな」
「なんだそれ」
僕は怪のスマホを受け取って、そのページを読む。
「簡単に言うなら、夢と現実の区別がつかなくなる病気みたいなものだな。ただ、医学的根拠のあるものじゃない、ただネットで噂されているだけのもので、そういう病気とか、そういうものじゃない。ただ一つ言えるのは、そんな事が起こるのかってくらい信じられない超常現象的みたいなもんだよ」
「なるほど」
「まあ、実際に経験したってヤツの話もみんなバラバラで、よくわかってないんだけどな」
確かに、怪の言う通りスマホのページにはこれと言って中身のあることは書いてない。
ただ、いくつか気になるところがあった。
「『夢の世界』と現実の世界で二人の自分がいるみたい……?」
「あぁ、『夢の世界』は何もかもが本人の理想通りになるそうだ。そもそも、『夢幻界症候群』自体、『理想の自分と現実の自分の大きな差』が原因になって発症するらしいし。ただ、そうやって『夢の世界』に入り浸ったりすると、やがて夢と現実の区別がつかなくなる」
「なんか怖いな……けど、あれ?」
怪に教えてもらったことを頭の中でもう一度整理する。
『夢幻界症候群』は、理想と現実の差に反発して発症し、『夢の世界』と『現実世界』、二人の自分が存在している状態。夢と現実の区別がつかなくもなる。
それを確認してから、もう一度夢さんのことを考える。
確かに、『夢の世界』と『現実の世界』、二人の自分がいる。だが……。
「夢さんは夢と現実の区別がついているみたいだったぞ?」
「それは……あぁ、もしかして夢さんじゃなくてお前が『夢幻界症候群』なんじゃないか?」
「え?」
言われてから考えてみる。たしかに、今の状況はどちらかというと僕のほうが『夢幻界症候群』らしい状態だ。
けれど、ならどうして『夢の世界』の夢さんは僕に手首を見るように言ってきたんだ?それに、僕は現状、理想と現実の自分との差に反発を抱いていたりしない。
「どうなんだ?心当たりはあるか?」
「……わからない」
「そうか。まあ、一応調べておくけど、あまり期待するなよ? 何せ、オカルト研究部だからな」
「あぁ、頼む」
僕はコーヒーを一気に飲み干して、立ち上がる。口いっぱいに、目がさめるようなコーヒーの苦味が伝わって来た。やっぱり苦いものは苦手だ。
「じゃあな」
僕はそう言って狭い教室を出る。教室からは確認できなかったからわからなかったが、もう外は日が落ちて真っ暗だった。