第6話「そう。私に見惚れてたのね」
澄み渡る青い空が一面に広がる。
風が吹き荒れている。10月ということで体に吹き付けるその風は、僕と夢さんの体温を簡単に下げていく。
「さむ……屋上やめない、夢さん」
「こ、これくらい平気よ……」
そういう夢さんの足はガクガクと震えており、体も小刻みに震えている。
無理をしているのが丸わかりだ。
ちなみに、僕と夢さん以外に人影は無い。やはり皆寒いことを見越してこの時期には来ないのだ。
「はぁ……せめて風が吹かないとこに行こうか」
何を言っても聞いてくれなさそうな雰囲気だったので、手首を取って出てきた方角へ戻る。
不思議とこんなことが前にも会ったような気がしたが、すぐに気のせいだと忘れた。
そして学校の中に入る。寒さは先程より断然マシになった。隙間風が少し気になるが、そんな細かいことは言っていられない。
「よし、じゃあ食べようか」
そう言って、僕は持ってきていたカバンから弁当箱を取り出す。
蓋を開けると、卵焼きとミニトマト、ブロッコリーがいくつか。それと磯辺のちくわ揚げ、ミニハンバーグ。そしてそれとは別に白米が敷き詰められている箱もある。
今日お母さんが朝早く起きて作ってくれたものだ。もちろん、全部手作りというわけではなく、大半が冷凍食品だが普通に食べる分には美味しいので文句はない。
「へえ、ちゃんと野菜が入っているのね。手作り?」
夢さんも弁当箱を取り出しながら言う。
「いや、お母さんが朝早くに起きて作ってくれたやつ。というか多分男子高校生で手作りの弁当を持ってくるやつのほうが珍しいんじゃない?」
「え、そうなの?」
「えっ」
意外そうな顔をする夢さんに、僕はおもわずそう返してしまう。
違うのか?お母さんに限らず、お父さんとか、とにかく親に弁当を作ってもらうとか、購買でパンを買って済ませるとかが普通じゃ無いのか?僕のほうがレアケースなのか?
「あ、ごめんなさい。私あんまり人とお弁当とか食べたこととかなくて、そういうのに疎いの」
「な、なるほど……って、え。お昼友達と食べたりしないの?」
夢さんほど見た目がいいなら、一緒にお弁当を食べたりする友達が何人もいそうなものだし、そうでなくとも夢さんを狙う男子たちが放っては置かないと思うんだが……。
「しないわ。だって私基本一人でお昼は食べるもの。良いスペースがあるのよ。まあ、あなたに教えたりはしないけれど」
「さいですか……」
サラリとひどいな……夢の中の君を見習ってほしい。というか夢の中と現実で性格に差がありすぎでは?
「それに、私に話しかけてくる男子なんて、だいたいこの『見た目』が目的でしょうし。まあ、あなたはただの変態だったけれど」
「さいですか……っておいなに人を勝手に変態扱いしてるんだ!?」
きれいな顔して出てくる言葉は棘ばかりだ。薔薇か何かなのか。
……まあいい。お腹も空いていることだし、さっさとご飯を食べよう。
そう思いながらふと夢さんの弁当を見た。というか、目に入った。
なぜなら、毎日学校に持ってくる弁当にしては、あまりにも手の込んだものだったからだ。
パット見ただけでもわかる。
一つの箱の中で白米とおかずで区分されながら、きれいに並べられた野菜と肉物が絶妙な色合いを醸し出しており、一種の芸術作品のようにすら感じられる『それ』は、今僕の持っている弁当のおかずと比べ、圧倒的に食欲をそそる。
弁当ということで、冷めているだろうにも関わらずそれでもなお食欲をそそるそれに僕は一瞬目に入っただけでも目を奪われた。
「……なに? 気になるの、私の弁当?」
別に長いというわけではないが、見つめるにしては長い間見つめていたからか、夢さんは訝しむような視線を僕に向けてくる。
「ああ、いや。ごめん。お弁当がめちゃくちゃキレイだなって思って……」
「そう? これくらい普通だと思うけれど……?」
「いや、絶対普通じゃない……」
「そうなの?」
夢さんは本当に意外そうな顔を浮かべながらおかずを口に運ぶ。
それが妙に様になっていて、僕は少し黙って見入ってしまう。
「……? どうかしたの?」
「いや、ちょっと見惚れ……いや、なんでも無いよ」
「そう。私に見惚れてたのね」
「聞き流してくれよ……」
「いやよ。それに、気にしなくていいわよ。私がきれいなのは事実だもの」
普通の人間が言ったのならとてつもなく嫌に聞こえるが、彼女が言うとそんなことを一切感じさせない。むしろ肯定感さえ抱けてしまうから不思議だ。
それからしばらく僕たちは会話もせず黙々と弁当を食べ始める。
その沈黙は思いの外嫌なものではなくて、むしろなんだか落ち着くような、懐かしいような、そんな感じがした。
「……ねえ」
弁当を食べ終わり、一息ついた頃。夢さんが唐突に口を開いた。
「どうして、私のことを見ていたの?」
「え」
「え、って。早く話しなさいよ」
夢さんがその整ったきれいな顔を寄せて僕に聞いてくる。
意識的に取っていた物理的な距離が一気に縮まり、甘い女の子と特有のいい匂いがする。ち、近い、近すぎる!
「ねえ、聞いてるの?」
「はい……」
正直近すぎて話しどころではないし、そもそも理由を話したところで信じてもらえる気がしない。
誰が信じるだろうか、「君が夢の中で手首をよく見ろって言ってたんだ」なんて理由。それはただ言い訳が下手な変態だ。
「ねえってば」
「あっいやその、手首につけてたミサンガが気になって!」
迫る彼女にもはやどうしようもないと思い、とにかく信じてくれそうな言い訳をひねり出した。
言われた本人は「ふーん……?」と、自分の右手首に付けている袖下に隠れていたミサンガを見つめる。ミサンガを見つめる彼女の表情は、見たこともないほどに穏やかなもので、先程までの高飛車な感じの態度とは打って変わって、純粋無垢な少女のような表情だった。とても可愛らしくて、ずっと見ていられると思うほどに。
「……なによ」
「いや、そのミサンガ誰かからの貰い物?」
「ええ、そうだけど。なんでそう思ったのかしら?」
「それを見ている時の君の顔が、とっても穏やかだったから……とても大事なものなんだな」
「そうよ。と言っても、誰からもらったのか、どうしてもらったのか。なんでこれを見ていると落ち着くのか。なんにもわからないのだけれどね。ただ、自分にとってこれがとても大事だということしかわからないわ」
はぁ、と夢さんは軽くため息をこぼす。
とっても大事なものだったはずなのに、それが何に由来しているのかわからない。それなりによくあることかもしれない。それはとても悲しいことだと思った。そのものの大事さを忘れてしまうということは、きっとそのものに関連する人たちさえも忘れてしまっているということだから。
でも、それでも。
「……そっか。思い出せるといいな」
「うん。ありがとう」
彼女は笑顔でそう答える。
初めて見る、彼女の自然な笑みだった。