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ローリエ侯爵の憂鬱1

読んでいただきありがとうございます。誤字報告も感謝です。

「なんで私が格下にあんなことを言われなきゃなんないのよっ!」


 愛娘クラリッサの怒声と共に何かが床に叩きつけられ割れる音が響く。

 今夜も夜会で気に障ることを言われたらしい。

 30分経過しても止まない騒音に私は眉を顰め何度目かになる溜め息を吐いた。


 近頃のクラリッサはこうして頻繁に癇癪を起こし、使用人や夫となったレイモンドにきつく当たる。お陰でこの一年でクラリッサ付にした侍女は三カ月と持たず、既に三人も辞めてしまった。今は専属を決めず屋敷の侍女たちに交代で付かせてはいるが、使用人たちがそれを快く思っていないことは誰の目にも明らかだった。


 予定では、クラリッサとレイモンドの結婚式を終えたら早々に爵位を譲って夫婦二人でゆっくり過ごすはずだった。

 今の状態のクラリッサでは、とてもではないが隠居など出来ない。


 少し前までは家族で穏やかな時間を過ごし、領民との関係も良好だった。あちこちから夜会やお茶会の招待状が届き、選別しなければならないこともあったのに、今ではこちらから招待状を出してもやんわりと断られることもあるくらいだ。


 この数年で屋敷の雰囲気はすっかり暗くなり、妻も塞ぎ込み部屋から出ることが少なくなってしまった。


 一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。


 ――否、本当は分かっている。


 長女であるクラリッサを優先し、次女のケイトリンに理不尽な仕打ちをしたこと。

 すべてはそれが原因だ。



***



 クラリッサが王太子殿下の婚約者に選ばれたのは、僅か八歳の時だった。我が家は祖父の代に隣国の王弟の娘を娶っており、僅かながら隣国の王族の血が入っている。王家がクラリッサを婚約者に選んだのはその隣国との縁を求めてだと分かってはいたものの、婚約者候補の有力貴族家の令嬢は他にも何人かいた。その中でクラリッサが選ばれたのは、父親の私から見ても見目麗しく、八歳にして立派にマナーを身につけた賢い立ち居振る舞いが王家にも認められたからだろう。自慢の娘が周囲に認められ、私は鼻高々だった。


 侯爵家の長女であるクラリッサは本来であれば侯爵家を継ぎ婿をとる立場だが、ローリエ侯爵家(うち)には次女のケイトリンもいるので問題はない。

 利発で愛嬌あるクラリッサと違い、ケイトリンは物静かな性格だった。手が掛からないと言えば聞こえは良いが、あまり大人しすぎては家督を継ぐ高位貴族としてやっていけない。将来クラリッサがこの国の国母となった暁には、ローリエ侯爵家が立派な後ろ盾とならなくてはならないのだから。


 クラリッサの婚約が決まってすぐ、私はケイトリンの婚約者を探し始めた。クラリッサ程頭が回らなさそうなケイトリンを立派な侯爵に育てるため、当主教育を早い内から施すことに決めた。

 クラリッサが王族と結婚する以上、妹のケイトリンまでもが高位貴族と結婚するとなると、権力の集中を懸念する周囲から要らぬ口出しや邪推を受けるかもしれない。

 妻と相談して、我が家の分家筋であった子爵家からケイトリンと同じ年の令息、レイモンドを婚約者に選んだ。


 レイモンドとケイトリンは顔合わせの日が初対面であったが、幸い気が合ったようで特に喧嘩もせず仲良く過ごしていた。


 クラリッサが王宮で毎日のように妃教育を受けている間、私は執務の合間を縫ってケイトリンとレイモンドに当主教育を施し始めた。女性でも爵位が継承出来るようになってからそれなりに経つが、未だその数は少ない。

 女侯爵となったケイトリンが恥をかかぬよう、かなり厳しく教えこんだ。あまりの厳しさに泣き出すこともあったが、「お前が頑張っている時間はクラリッサも王宮で頑張っているんだぞ」と励ませば、ケイトリンは頷いて再び机に向かっていった。


 王宮から帰ってくるクラリッサはいつも疲れていて、我が儘を言うことが多くなった。

 それでも健気に頑張る姿が愛しくて、私はついつい我が儘を聞いてしまう。ドレスや宝石、ぬいぐるみのおねだり程度、可愛いものだ。

 当主教育で長い時間共に過ごす機会が多いケイトリンと違い、一日の大部分を王宮で過ごすクラリッサとは共に過ごせる時間が少ない。その分、共に食事を囲う時間やサロンで過ごす際には私も妻もついついクラリッサばかりを構いがちになってしまう。

 何度かそれを見た周囲の親戚に注意されたことはあったが、普段はケイトリンと過ごすことが多いのだから、()()()クラリッサを優先することくらいはいいだろう。ケイトリンも納得してくれるはずだ。実際、ケイトリンはいつもニコニコと笑っていて特に文句を言ってくることもなかった。



***


 

 結んでいる貿易協定の改訂のため、隣国の大使が訪問してくることになった。大使として選ばれたのは、祖母の生家である公爵家を継いだ男性だ。


 私にはひとつ、懸念があった。

 王家に求められている隣国とのパイプだが――本当のことを言うと、確かに我が家には隣国の高貴な血が流れてはいるが、肝心の祖父母亡き今、それ程付き合いはない。

 隣国の王弟の娘であった祖母には、兄がひとりいた。父である王弟から公爵位をそのまま引き継いだ彼は、妹である祖母を溺愛していた。年齢的に今はもう彼もその息子も隠居しているはずなので、今回やってくるのは祖母の兄の孫ということになる。


 先方たっての希望で大規模な夜会は開かれないが、王宮での晩餐会は開催されるとのことで、殿下の婚約者であるクラリッサだけでなく、親戚と言えなくもない我が家もそこに招待されることになった。


 祖母は母国にいる時、三国一麗しいと言われていたそうだ。私はそれなりに年齢を重ねた姿しか知らないが、王弟の娘という立場へのお世辞を除いても、祖母は美しかった。

 長女のクラリッサは色味も顔立ちも亡き祖母に似ている。きっと気に入られることだろう。

 対して、ケイトリンはそれなりに美人ではあるものの、麗しいクラリッサと並ぶとどうもパッとしない。


 見た目が駄目ならせめて語学力や知識でカバー出来るようにと、私はケイトリンに付けている語学の教師に更なる指導をするよう言いつけた。

 それを指示された教師のなんとも言えない顔を、それが意味する事を、あの時理解出来ていたのなら、今もまだケイトリンはこの国にいたかもしれない。


 晩餐会で顔を合わせた公爵は、目元の皺が重ねた年齢を想起させるものの、成程高貴な血を引いているだけある、と思わせる目の覚めるような美貌だった。語学も堪能で我が国に対する見識も深く、非の打ち所がない。「今回は時間がないので難しいが、大叔母が暮らしていたローリエ侯爵領に改めて見学に行きたい」とまで仰ってくれて、我が家としての交流は大成功に終わった。


 ただひとつ気になったのは、公爵の態度だ。

 公爵は食後の歓談の際、意外にも物怖じせず、スパルタ指導の末会得した隣国の言葉で流暢に会話するケイトリンに慈愛の眼差しを向ける一方、クラリッサには一言も話しかけず、視線を送ることすらしなかった。

 不思議に思いながらも気のせいかと思い、特に追求することのなかった私がその理由を知ったのは、公爵が帰国後――彼の家から届いた手紙からだった。


 手紙の差し出し人は公爵の父で、祖母の甥である前公爵から。正確には彼は代筆で、内容は前々公爵――高齢ながら未だ存命中である祖母の兄からだ。

 高齢故に領地で共に隠居している息子である自分が代筆する、という一文から始まった手紙は、公爵に会った際渡した祖母の遺品についての感謝を伝えるものだった。


 高齢になり、祖母()の墓参りにも行けないことを密かに前々公爵が嘆いていることを聞いたケイトリンから、我が家に保管されていた祖母の日記と形見の宝飾品の一部をお渡ししてはどうかと提案され、その通りにしたのだ。

 日記と一緒に託したブローチは、それ程高価なものではなかったが、かつて隣国にいた際兄である前々公爵からプレゼントされたものだったという。ケイトリンに言われるがまま公爵にそれを渡した私は知らなかったが、ケイトリンは語学の練習がてら隣国の言葉で書かれた祖母の日記を読み、それを知った上でそのブローチを選んだらしい。

 ケイトリンの心遣いに感謝すると述べられていた一方、手紙にはこんなことも書かれていた。



『老婆心ながら忠告させて貰うと、貴殿の長女の態度は感心しない。“見目の悪さを誤魔化すためにあんなに下品な宝石をぶら下げてくるなんて自分の妹ながら恥ずかしい”だったか。恐らくはそれが我が妹が貴家へ輿入れする際に持参したものだとは知らなかったのだろうが――亡き祖母の形見のネックレスを着けた妹君を公然と罵倒していたと言う。孫の話ではケイトリン嬢は容姿も内面も大変美しく、慈悲深い女性だったと聞く。反対に貴殿の長女に関しては、いくら顔の造作が美しくとも心根の卑しさは隠しきれない、とも。ケイトリン嬢がいなければ、貴家との縁は切れていたことだろう』



 あの心優しいクラリッサがまさか――と思ったが、視界に入れるのが不快だとばかりに、クラリッサの存在を無視していた公爵の姿を思い出す。手紙の中でケイトリンが名前を書かれている一方、クラリッサのことは“長女”としてしか書かれていない。名前を呼ぶのも厭わしいという気持ちがそのまま表れているような文面だ。


 公爵を招いての晩餐会の夜、クラリッサは王太子殿下の婚約者としての準備があるため先に王宮へ向かい、私たち家族とは別行動だった。


 私たち夫婦はこの夜、ケイトリンにネックレスをひとつ託していた。正面に赤子の拳大ほどの大振りなダイヤモンドがぶら下がり、それを囲うように最高純度のダイヤモンドが散りばめられたチョーカーに近いものだ。中央のダイヤモンドは“暁のダイヤモンド”と呼ばれ、赤から橙色、橙色から黄色へグラデーションしている大変美しく貴重なものだ。


 祖母の生家である公爵家はダイヤモンドの産地としても有名だった。その中でもカラーダイヤモンドは産出量も低く、これだけの大きさと純度の上、美しいグラデーションのダイヤモンドは滅多に見かけないどころか、後にも先にもこれひとつだけだったと聞く。

 国を離れる祖母のため、王弟自身が用意したものらしい。高齢になり夜会に出る機会がめっきり減った晩年も、時々これを取り出してはじっと眺め祖国に思いを馳せていたそうだ。

 間違いなく国宝級のそれはとても値段がつけられるものではないため、祖母たっての希望もあり代々侯爵家の家宝として当主に引き継いでいくことになっていた。


 本来であればケイトリンが当主を引き継いでから渡そうと思っていたが、祖母の生家の公爵が参加する晩餐会だ。次期当主であるケイトリンこそがこれを身に着けるべきだと、私と妻は勧めたのだ。ケイトリンはあまりの美しさに驚き、手が震えていたが、ダイヤモンドはケイトリンの真っ白い肌によく映え、とても似合っていた。


 普段は当主しか立ち入り出来ない鍵のかかった貴重品室に保管されているため、クラリッサはネックレスの存在を知らなかったのだろう。幼い時から王家へ嫁ぐことが決まっていたクラリッサには、ネックレスの存在を明かしたことは無かった。

 まさか公爵の耳に入るような場で妹を貶めるような言葉を言ったとは信じたくはないが、クラリッサはきっと、ケイトリンが私たち夫婦に我儘を言って高価な宝石を強請ったのだと思ったのかもしれない。


 私はその後、王宮から帰宅したクラリッサにやんわりと注意をするに留めた。毎日未来の国母たらんと努力を続ける娘を必要以上に叱責することはしたくない。

 クラリッサはそのようなつもりではなかったと涙ながらに語った。王宮での教育にストレスが溜まっていてつい心無い言葉を言ってしまったと。

 今後二度としないことを約束し、この話は終わった。



***


 クラリッサに続いてケイトリンも学園に入学した。

 日々多少のトラブルはあったものの、私たち家族は大きな問題はなく順調に過ごしていた。

 

 ケイトリンの当主教育は順調に進んでいる。婚約者のレイモンドも不器用なケイトリンの足りない部分を補い、二人ともよくやっている。領地経営の一部を領主代行という形で二人に任せ始めているが、特に問題もなく領民からの評判もいい。

 ローリエ侯爵領はそれなりに豊かではあるが、ここにしかない特産というものがないのがネックだった。ケイトリンとレイモンドの二人には、領民長と協力しながら新たな特産を開発する取り組みもさせている。学園を卒業し、二人が結婚する時までに大々的に売り出せるようになれば、と思っていたが思いの外順調なようで、この分だと中等部を卒業する頃には結果が出せるかもしれない。


 クラリッサが王族に嫁ぎ、ケイトリンとレイモンドが侯爵家を継いでいく未来がすぐそこまで来ている――それを疑ったことはなかった。


 風向きが変わったのは、クラリッサの学園卒業も間近に迫り、王太子妃として王族に嫁ぐ日が近くなってきた頃。


 王太子殿下に恋人が出来たらしい。


 そんな噂が私の耳に飛び込んできた。

 王太子殿下とクラリッサが、近頃あまり上手くいっていないらしいとは聞いていたが、幼少期から長期間一緒にいるのだ。ついつい気心知れた相手に辛くあたってしまうことはよくある。結婚を前に気分が落ち込むことも。結婚してしまえば仲睦まじくやっていけるだろう、と楽観視していた。


 私は大急ぎで噂の真偽を確かめる一方、クラリッサの様子を注意深く観察した。噂が広く囁かれるようになった後も、クラリッサは変わらず王宮を訪れており、特に変わった様子はない。


「クラリッサ、最近殿下とはどうなんだい?」

「どうって?」

「いや、その……殿下が平民上がりの女子生徒に入れあげていると言う者がいてな。上手くいっているのか心配なんだ」

「いやだわ、お父様。何も問題ありません。確かに最近殿下とは予定が合わずすれ違ってしまうことが多かったので、妙な噂が流れているだけですわ」

「そ、そうか……ならいいんだ」


 クラリッサがあまりにも平然と話すので、私はそれを信じてしまった。学園内はある意味治外法権とも言える場所で、外から内情を探るのは厳しい。我が家の密偵に指示しての調査は続けさせているが、暫くは様子見でいいだろう。


 それが間違いだったと突き付けられたのは、あの夜会の日だった。

 クラリッサのエスコートもせず、見慣れぬ女を腕に纏わりつかせた殿下は、あろうことか衆人環視の中でクラリッサを罵倒し、婚約破棄を宣言された。

 あまりにも理不尽で非常識な仕打ちに、怒りで目の前が真っ赤に染まった。憔悴するクラリッサを妻に任せ、その足で陛下の所まで抗議に赴いた。


 殿下の行いは決して許されるものではない。非常識な言動自体については、陛下は非公式ながら謝罪はしてくださった。

 しかし、陛下の意向ではなかったとはいえ、あれだけの人数の前で王族が口にしたことを取り消すわけにはいかない。婚約が破棄されることは決定されていた。

 それでも尚納得がいかず食い下がれば、殿下が不貞を働いていた相手に危害を加えるよう指示していたのがクラリッサの可能性がある、と伝えられ、私は目を剥いた。


「いじめですと!?我が娘ながら、クラリッサは心の優しい子です!そんなことをするわけがないでしょう!」

「……ローリエ侯爵。貴殿の娘が優秀であることは私も認めよう。我が息子が愚かであることもな。しかしながら……貴殿の娘に対する認識は改めた方がいい」

「どういうことですか!」

「クラリッサ嬢はな、自らより爵位が上の者、自らの利となる者に対しては大層心優しい女性であったが、そうでない者に対する態度――特に平民や経済状況が苦しい下級貴族など、立場の弱い者に対しては酷く傲慢に振る舞うと報告に上がっていた。数年前から問題視されていたのだよ。息子がクラリッサ嬢に対し嫌悪を抱くようになったのも、彼女のそういった二面性に嫌気が差してのことだろう」


 とんでもない侮辱に私は頭に血が上ったが、相手はこの国で最も高貴なお方だ。侯爵家当主とはいえ、一臣下の私が逆らえるような相手ではない。

 結局、形ばかりの僅かな慰謝料は貰ったが、殿下が廃嫡になるわけでもなく、我が家だけが泥を被る形で終わった。


 大切に育てた愛娘に手酷い仕打ちをされたあげく、陛下にまで暴言を吐かれても、なんの仕返しも出来ない自分が不甲斐ない。

 重い身体を引きずるようになんとか帰宅すると、クラリッサはそのまま部屋に籠ってしまった。妻は夜会の後からずっと泣き通しだ。

 私は玄関先で出迎えをしてくれたケイトリンに、事のあらましを語った。

 

 我が家の――そして姉、クラリッサの行く先を思ったのだろう。ケイトリンは蒼白になっていたが、それでも「自分とレイモンドと一緒にクラリッサも侯爵家を盛り立てていけばいい」とまで言ってくれた。

 いざとなったらそれも選択肢の内か、と思いつつ、翌日からクラリッサの新しい婚約者探しを始めた。



***



 婚約破棄から数日――クラリッサの縁談相手は全くといっていい程見つからない。唯一声をかけられた縁談は、跡取り息子がいる貧乏男爵家の後妻だった。相手の男は父親の私よりも年上で、明らかに我が家の金目当てだ。いくらクラリッサが婚約破棄された傷物とはいえ、身の程知らずにも程がある。


 あれからクラリッサは塞ぎ込み続けている。最低限の執務をこなしながら、私と妻は出来る限り傷ついたクラリッサに寄り添うようにしていた。そのせいで次女のケイトリンとは顔を合わせる機会が減っていたが、そのことにさえ気が付かないでいた。


 私と妻とクラリッサの三人でお茶を飲んでいると、クラリッサがぽつりと言った。


「お父様、私……修道院に行きますわ」

「な、なんてことを言うのだ!」

「そうよ、クラリッサ!貴方は何も悪くないのよ。修道院になんて行く必要ないわ」

「でも……このままでは私……侯爵家のお荷物になってしまいますわ……」


 クラリッサの瞳からぽつりぽつりと涙が落ちる。

 そのあまりに痛ましい姿に私は胸が苦しくなった。


「クラリッサ。そんな風に思うはずがないだろう」

「そうよ!クラリッサは私達の大事な娘なのよ」

「お父様……お母様……ですが、私はもう十八です。学園も卒業してしまいますし、おまけに婚約破棄された傷物。これがケイトリンだったらまだデビュタントも終えておらず、年も若いのでなんとかなるでしょうけど……。王族なんかと婚約してしまったばっかりに、長女に生まれたのにも関わらず侯爵家を継ぐことも出来ず……社交界で一生笑い者になるなんて耐えられませんわ」


 この会話はあの夜会の後からもう何度となく繰り返されている。悲痛な覚悟を語るクラリッサを私たち夫婦で引き留める。

 何度も何度も繰り返す内、ある考えが私の頭を過るようになる。


 クラリッサはもう十八。本人には大丈夫だと言ったけれど、実際の所、今から婚約者を探してもいい男性が見つかる可能性は限りなく低い。大抵の貴族の男性は幼い頃から婚約者がいるものだし、殆どがそのまま相手と結婚する。

 クラリッサと近い年回りにも関わらず相手が決まっていないというのは、家が借金まみれだったり、本人の素行に問題があったり、または容姿が醜かったり――と、なんらかの訳ありばかりだ。

 可愛い愛娘をそんな男に嫁がせたくはない。


 しかし、仮にこれがケイトリンなら――。

 ケイトリンはまだぎりぎりデビュタント前だ。お茶会にはそれなりに参加しているが、まだ本格的に社交界にデビューしているわけではない。例え今婚約が無くなったところで、それほどのダメージはない。

 おまけにまだ学園卒業までは三年間もあるから、相手の男性を探す時間もある。年下にまで範囲を広げれば、それなりの相手が見つかる可能性はある。少なくとも、クラリッサよりは余程。

 ケイトリンとレイモンドの婚約を解消し、代わりにクラリッサを後継に据えられれば――。


 一度考え出すと、思考が止まらない。


 レイモンドとケイトリンは仲のいい婚約者同士ではあるが、ふたりは恋仲というより、仲のいい幼馴染の域を出ないことは分かっている。結婚していればそれなりに円満な家庭が築けただろうが、お互いに熱烈に恋しているわけではないのだし、婚約を解消したところでそれ程ダメージはないだろう。


 問題といえば当主教育位だが、流石に幼い頃から当主教育を受けてきたケイトリンに、今のクラリッサは及ばないだろう。そう、()()だ。

 クラリッサは頭の回転が速く、ケイトリンより物覚えがいい。ケイトリンと一緒に、長年教育を施して来たレイモンドの支えがあれば侯爵家の当主として難なくやっていけるだろう。


 レイモンドのライト子爵家には、婚約者が変わるだけなのだから特に影響はない。こちらから連絡しておけばいい。そもそも、侯爵家である我が家の決定にたかが子爵家が異議を唱えることなど出来ない。


 問題はケイトリンだが、あの子は優しい子だ。三人で侯爵家を盛り立てていけばいいと言っていたくらいだし、傷心の姉のためと言えば素直に頷いてくれるだろう。

 姉のために自ら身を引き、婚約者と侯爵家の後継の座を譲ったと美談を流せば、ケイトリンの評判にも傷がつくことはない。


 試しに考えを話すと、妻は二つ返事で賛成してくれた。肝心のクラリッサは最初こそケイトリンに悪いと渋っていたが、最終的に了承した。実は昔からレイモンドのことは素敵だと思っていたのだと言う。


 私は意気揚々と子爵家へ赴き、婚約者の変更を伝えた。レイモンドの両親は酷く動揺していたようだが、私の決定であれば従うとの言質は取った。レイモンドとケイトリンには私から直接伝えるので、放課後我が家に寄るよう伝えるように指示しておく。


 これで全てが丸く収まる。

 ここ暫く目の前を覆っていた靄が晴れ、私の心は晴れ渡っていた。

 だから翌日、学園帰りのケイトリンとレイモンドと話をした日――それがケイトリンと顔を合わせる最後の日になるなんて、思ってもみなかったのだ。


PCのwifi接続の調子が悪く、スマホでぽちぽち書いていたら時間が空いてしまい、すみませんでした。

次回で最終回の予定です~


5/13 一部修正しました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 徹底的に甘いな親父は 家庭人としても、人の上に立つ者としても失格だわ
[一言] 前々公爵の手紙がポイントですね。 直接言及してないけど隣国の自分達との交流をサボってたことを元々よく思ってなかったこと クラリッサにまともな教養を受けさせなかったこと ケイトリンは素晴らしか…
[気になる点] 浮気で家名や心を傷つけるのはいいけど、虐めはダメ だとか、王子のマイルールの意味がわかりません。 王子もクラリッサと同じ、上の立場を利用した虐めだ と思うけど。そもそも王宮で教育してい…
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