縁談の裏事情
読んでいただきありがとうございます。
「あの、本当にすみませんでした」
はしたないと思いつつ、ベッドの上で土下座する。
「やだなぁ、ちょっとやめてよ。安心して、不埒なことはしてないから。お腹空いたでしょ?朝食にしよう。着替えを持ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言われて、初めて私は自分が酷い恰好をしていることに気がついた。
服装は昨日の仕事着のままだし、涙でほぼとれているとはいえ、化粧も落としていない。髪もボサボサだろうし、この瞼の重さから考えて、泣いたまま寝たお陰で目はパンパンに腫れているだろう。仕方なく、その言葉に頷いた。
「はぁ……何やってるんだろう、ホント」
昨日の自分の醜態を思うと、羞恥で死にたくなる。
昨日、私はあまりのショックにマルスさんに抱きついたまま、泣き続けていたそうだ。とても話が出来る状態ではないと悟ったハワード様は、後日また来ると言って帰っていったらしい。
私はハワード様の言葉も届かず、堰を切ったように泣き続け、どうしようもなくなったマルスさんはそのまま私を自宅に連れ帰った。ベッドに寝かせて自分はソファで寝るつもりだったそうだが、子泣き爺の如くマルスさんから離れなかった私はそのまま寝てしまった。仕方なくマルスさんは私を寝かせたベッドの隣で椅子に座って、そのまま夜を明かしたらしい。
朝私が右手に握りこんでいたのは、マルスさんのシャツだった。涙でぐちょぐちょに濡れたところを私が握り込んだまま乾いてしまったものだから、マルスさんの着ていたシャツはその部分だけ酷く皺がついていた。
仕事帰りの疲れている最中、あんな話し合いに付き合わせた上、こんな迷惑をかけてしまうとは……なんと詫びたらいいのか。
暫くして、マルスさんが着替えを片手に戻って来た。彼は今、両親と妹さんの四人で暮らしているらしく、着替えにと渡されたワンピースは妹さんのものらしい。ジョアンナさんに借りた服やアクセサリーもまだ返せていない内に、別の人から新たに服を借りることになるとは……と、そこまで考えたところで、私は昨日ジョアンナさんとの約束をすっぽかしたことに思い至った。
「ど、どうしよう。私、昨日ジョアンナさんに――」
「大丈夫。妹に頼んで、今日は君は行けなくなった、って伝えてもらったから」
蒼い顔をする私に、マルスさんがにっこり微笑む。
そうだ。マルスさんという人はこういう人だった。職場でも、皆が気が付かないような細かいことによく気が付き、先回りして行動するような所がある。身体的ハンディから力仕事が出来ないにも関わらず、彼が商会長に重用されているのは、そういう彼の長所を気に入っているからだろう。
「あの、ありがとうございます。私、迷惑かけ通しで情けないです……」
俯く私の頭に、マルスさんが優しく掌を乗せる。
「ね、お腹空かない?ダイニングに朝食を用意してあるんだ。うちの家族と一緒で嫌でなければ食べていかない?」
固辞しようかとも思ったが、これから寮に帰って一人で寂しく朝食を摂ると思うと、断る気になれなくて、図々しいかなと不安になりながらもマルスさんの言葉に甘えることにした。
「まぁまぁ、お綺麗なお嬢さんだこと!」
「マルスに変なことされてないかい?」
「兄さんって面食いだったのね~」
口々に話すご両親と妹さんに、マルスさんが顔を赤くする。
マルスさんの家族は皆、とてもいい人だった。優しそうなご両親に、マルスさんを揶揄うお茶目な妹さん。
ぽんぽんと温かい会話が飛び交う食卓は、私の知らないものだった。
マルスさんは私が貴族だということはご家族の方には伝えず、同僚のひとりとだけ紹介してくれた。そういえば、マルスさんには昨日の話し合いで私が侯爵令嬢だということも分かってしまっているはずだが、彼は普段と態度を変えることは無かった。
「今日、仕事は休む?」
「……いえ、行きます」
「そう、じゃあ仕事までまだ時間があるから、少し話さない?」
恐縮しながらも食事を終えたところで、私とマルスさんを残して、ご両親と妹さんは自室へといなくなった。気を遣われているのが分かり申し訳なくなるが、確かに彼らの前では話しづらいことでもあるので、私は心の中でお礼を言うに留めた。
「あのさ、話したくなかったらいいんだけど……昨日あの男の子が言っていた縁談の相手って、王弟殿下のことだよね?」
私の前に湯気の立つお茶のカップを置きながら、マルスさんが切り出す。
口に含んだお茶は昨日ハワード様たちと飲んだ紅茶とはまるで違う。けれど、今の私に馴染みがあるのはこちらのお茶だ。
たった半年。
されど半年。
私は今の生活を手放したくない。もう、ケイトリン・ローリエに戻りたくはないのだ。
「……マルスさんも、ナルサス卿をご存知だったんですね」
「知っているっていっても本当に名前だけだけど、その……学園時代に随分と良くない噂を聞いたものだから」
歯切れ悪く言うマルスさんに、そういえば彼も学園に通っていたのだと思い出す。
「どんな噂をお聞きになったかは分かりませんけど、多分事実ですよ」
ナルサス・コーウェン公爵といえば、貴族の間では“歩く悪評製造機”として名高いお方だ。彼は先代国王陛下とその側妃様の間に生まれた王子で、現在の国王陛下の異母弟にあたる。
王子時代のナルサス卿は、お世辞にも素行がいいとはいえず、酒に溺れ女に溺れ賭博にも手を出す、放蕩王子として有名だったそうだ。あまりの放蕩ぶりに王位継承権を剥奪する話も出たそうだが、先代国王陛下の御子は三人しかおらず、末の姫様は他国に嫁入りすることが決まっていたため、当時王太子であった現在の国王陛下に御子が生まれるまでは、と結局そのままにされていた。
そうして王太子殿下に待望の御子が生まれ、国王に即位されるタイミングで、ナルサス卿は継承権を放棄して臣下に降り、公爵位と共に王領地の一部を下賜されることになった。
しかしながら、当の本人は相変わらずの放蕩ぶりで、これに危機を覚えた兄である陛下は、幼い時から才女と名高い伯爵家の令嬢を強引に夫人に据えた。実質的に公爵領を支えているのは夫人と彼女の側近だったという。その細腕でとんでもない仕事量を長年こなしていた夫人は、三年前過労からついに身体を壊し亡くなった。
そこで困ったのが王家である。ナルサス卿と夫人の関係はあくまで事務的なもので、実際の夫婦関係はなかったらしく、二人の間に子供はいない。噂からすると、婚外子ならわんさかいそうではあるが。
長年利益だけを享受してきたナルサス卿に、今更まともな領地経営など期待出来るわけもなく――つまり、公爵家――というより王家は、コーウェン公爵夫人の後釜を探していたのである。
どうしようもない放蕩ぶりを別に置けば、ナルサス卿自体は血筋も良く、王族らしい艶やかな美貌を保っている。継承権を放棄しているとはいえ王族の一員であるには違いなく、与えられた公爵領は豊かな水源と肥沃な土壌で知られる風光明媚な土地だ。
それにも関わらず、未だ後妻の地位に収まる女性がいないのは、賜った公爵位が一代限りのものだからだ。基本的に臣下に降った王族の爵位やそれに付随する領地は、本人が亡くなると同時に王家に返還される。
それでも大抵は王族の血を引き、公爵家で教育を受けてきたとなれば次世代の子ども達は婿入り先、嫁入り先に困らないのが普通であるし、未亡人となった配偶者には恩給という形で大金が渡されるので、通常は相手に困るようなことはない。
しかし、ここで効いてくるのがナルサス卿の悪評である。結婚しても王子時代から続く放蕩ぶりをまるで改めない彼は、義務を果たさず利益だけを享受する鼻つまみ者として、社交界でそっぽを向かれている。王家は夫人亡き後、いくつかの家に婚約を打診したらしいが、使い潰されるのが見えている貧乏くじを引きたい貴族家などあるはずもなく、打診する端から令嬢には逃げられてしまった。
問題はそれだけではない。ナルサス卿の結婚相手には、広大な公爵領の領地経営が行えるだけの手腕が求められる。
しかし、そもそもの話、領地経営を完璧に行えるような教育を受けている令息令嬢は、自らの家の爵位を継ぐために幼少期から研鑽を積んでいるのである。いくら王家とはいえ、手塩にかけて育ててきた後継者を奪い取るような真似をするわけにはいかない。
そうして妻の座が空席のまま三年経ってしまったところに、ケイトリン・ローリエの登場である。
王族と婚姻を結んでもおかしくない高位貴族家の出身で、幼い頃から領地経営に関する教育を叩き込まれている。父と娘ほど年が離れているが、家庭の事情とはいえ、一度婚約を解消されている傷物だからむしろ釣り合いが取れているとも言える。
侯爵家にとっても、婚約破棄されて行き場を無くした姉を後継にすることができ、おまけに王家にも恩を売れるいいチャンスだ。
どちらから言い出した縁談なのかは知らないが、王家や侯爵家にとっては厄介事が一気に片付くいい縁談に違いない。
「もしかしたら両親は最初からそのつもりでレイモンドの婚約者を姉に置き換えたのかもしれません」
「そんな……それじゃああまりにも君が……」
愕然として呟くマルスさんに、私は微笑んだ。
「両親や姉、レイモンドにとって――ケイトリン・ローリエという人間は、踏みにじっても許される人間だった。ただ、それだけですよ」
ただ、それだけ。
だけど私はもう、ケイトリン・ローリエではない。
「だから私はただの“ケイト”になりました。ケイトリン・ローリエという貴族令嬢は、あの雨の日に死にました。私は彼らの言い成りになるつもりはありません」
「ケイト……君は」
「あ、そろそろ仕事の準備をしないと。色々ご迷惑おかけしてすみません。ありがとうございました。お洋服は洗濯してお返ししますから。また、あとで」
マルスさんはテーブルの向い側で複雑な表情を浮かべていたが、私が立ち上がると、玄関まで見送ってくれた。




