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突然の婚約破棄

読んでいただきありがとうございます。以前から煮詰まった時にちょこちょこ書いていたものです。今連載中のモノと少し設定が被る部分があるので迷いましたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです


「ア、アシュトン王太子殿下が夜会で一方的に婚約破棄を宣言した!?」


 父方の従兄であるカイル兄様によってもたらされたその知らせは、我がローリエ侯爵家にとってはまさに寝耳に水。青天の霹靂。窓から槍。諸行無常……は違うか。

 とにかく、思ってもみないことだったのだ。

 激震が走る――とは、正にこのことを言うのだろう。


 何故なら、アシュトン王太子殿下に一方的に婚約破棄された悲劇の令嬢というのが、我が家の長女であるクラリッサ・ローリエだったのだから。


 私――ケイトリン・ローリエはローリエ侯爵家次女にしてクラリッサの妹である。

 私と姉は三歳年が離れていて、私が五歳、姉が八歳の時に、この国の第一王子であるアシュトン殿下と姉の婚約が結ばれた。

 姉との婚約と同時にアシュトン王子が王太子に任命されたことも発表されたので、私は物心ついた頃から将来姉がこの国の王妃となることを疑ったことはなかった。


 今夜は殿下のご友人であり将来の側近候補のランドル様のお家である、ダンウッド公爵家での夜会だったはずだ。両親と姉は夕方家を出たまま、未だ戻ってきていない。


 この国の社交界では一般的に、十五歳のデビュタントを過ぎるまで夜会には出席できない。私は先月十五歳の誕生日を迎えたが、デビュタント達が集まる夜会まではあと半年程あり、そこで正式にデビューするまでは夜会への出席は認められていない。行ったところで常識知らずの烙印を押されるだけなので、今夜は私だけが屋敷で留守番をしていたのである。


 私はカイル兄様を応接室に案内し、傍にいたメイドにお茶を頼んだが、


「ああ、お茶よりも今はアルコールの方が有難いな。叔父さんのコレクションから適当に持ってきてくれ」


 まるでこの家の住人かのようにメイドに注文をつけるカイル兄様に呆れてしまう。


「もう、お父様に怒られても知らないわよ?」

「大丈夫さぁ。あんなに沢山あるんだから少しくらい飲んだってわかりゃしないって」


 貴族らしからぬ口調で言うカイル兄様に私はそっと溜息をついた。

 隣でどうすべきか困っているメイドに声を掛ける。


「右の一番下の棚にあるウイスキーなら持ってきて大丈夫よ。お父様には私から言っておくから」


 ほっとした顔で頷くと、メイドは部屋を出て行った。

 

「それで、カイル兄様。突然婚約破棄って、一体何があったの」

「それがさぁ、大変だったんだよ。俺もびっくり」


 その場にいたカイル兄様の話によると、アシュトン殿下は会場に着くなり姉のことを放り出すと、以前から殿下と親しくしているらしいと噂されていた件の子爵令嬢とファーストダンスを踊り、その後も彼女とべったりで、人目も憚らず仲睦まじい様子を見せつけていたらしい。


 殿下のその行動に眉を顰める者も当然いたが、その場で一番身分が高いのは殿下だ。というより、殿下より上には実質二人しかいないので、どこに行っても大体一番身分が高いのだが。

 そのため、表立って非難できる者はいない。私たちの両親も氷のような目でそれを見つめていたらしいが、その場での抗議はしなかったようだ。


 当然、そんな状況で姉は周囲からは好奇の目を向けられた。

 姉は一見穏やかな淑女に見えるが、ああ見えて山のようにプライドが高く、負けん気が強い。正当な婚約者である自分に見向きもせず、格下の伯爵令嬢にべったりする殿下。

 余程の屈辱に耐え兼ねたのだろう。本来なら衆目がある場では表面上だけでも笑顔で過ごし、後々別室などにお二人を呼び出し注意すべき所を、姉はなんとその場でお二人の所に乗り込んでいって言い争いになり、そして――衆人環視の中、婚約破棄を宣言されるに至った、という訳である。


「お姉さまはその後どうされたのですか」

「ああ、あまりのことにその場で気を失ってな。叔母さんに付き添われて、今は公爵家の客室で休んでいるところだ」

「そう、お母様が付き添っているのならばひとまずは安心ですわね。お父様は?」

「叔父さんは暫くリッサに付き添った後、鬼の形相でそのまま王宮に向かったよ。今夜は帰れないかもしれないからケイトに伝えて欲しいって言われて来たんだ」

「まぁ……」


 ウイスキーの入った器を傾けちびちびと堪能するカイル兄様に、それを早く言ってほしいわ、と内心思いながら、ケイトリンは疑問を口にした。


「ねぇ、カイル兄様。殿下が一方的に破棄を宣言したからといって、本当に婚約はなくなると思う?姉と殿下の婚約は家同士の契約でしょ?政略ではなく恋愛結婚する人も一部にはいるとはいえ、そんなのはあくまで下級貴族くらいなものだし……」

「普通に考えたら夜会で宣言したからといってすぐ婚約がなくなったりはしないだろうが、今回はなぁ……」

「なんですの」


 歯切れの悪いカイル兄様に先を促す。

 カイル兄様はウイスキーを飲み干しおかわりを要求すると、これはあくまで噂なんだけどさ、と前置きして話し始めた。


「今回の騒動の原因になった伯爵令嬢がいるだろ?」

「ええ、確か、ウェントワース伯爵家の方でしたわよね」


 その昔は仲睦まじく、とまではいかなくともそれなりに仲の良かったはずの殿下と姉がここ最近あまり上手くいっていないらしい、という噂は私たち家族も知っていた。姉に聞いても大丈夫、心配いらないと答えるばかりで両親は酷く気を揉んでいた。


 仕方なく姉に内密に調べてみると、殿下は同じ学園に通う女子生徒と随分親密に過ごしており、彼女が殿下の寵愛を得ているのはどうやら学園内では周知の事実となっている――という報告があがったのだ。その時に、その少女の名前も聞いていたので覚えていた。


「ああ、ミーシャ・ウェントワース伯爵令嬢。ウェントワース伯爵と後妻の間に出来た一人娘……と言われているけど、実際は違うらしいんだよ」

「どういうことです?」


 ウェントワース伯爵は十数年前に最初の奥様を亡くしている。亡くなった奥様との間には男児が二人おり、跡取りの心配はない。

 ウェントワース伯爵は奥様が亡くなってすぐに再婚した。それが現ウェントワース伯爵夫人だ。夫人は再婚した時点で既に生まれたばかりのミーシャ嬢を連れていた。髪と目の色が伯爵と同じ色合いだったため、伯爵が密かに市井に囲っていた愛人だと当時はかなり噂になったようだ。

 私はその時生まれていなかったので伝聞でしか知らないが、ウェントワース伯爵と亡くなった奥様はおしどり夫婦として有名だったらしいので、ちょっとしたスキャンダル扱いされたことだろう。


「今のウェントワース伯爵夫人は平民出身なんて言われてるけど、実際はバーナード公爵閣下の隠し子らしいんだ」

「な、なんですって!?」


 驚きのあまり、口に運んでいたティーカップを取り落としそうになる。


「実際、夫人の色合いは公爵閣下と同じだ。それに伯爵が夫人と再婚した頃から、公爵家は伯爵家にかなりの金を援助している。傾いた伯爵家がここまで持ち直したのも、公爵家からの支援金があってのことだ」

「まぁ……公爵家は支援金を盾に伯爵に再婚を迫ったということですか?」

「ああ、恐らくは」


 驚きに私は言葉を失った。ウェントワース伯爵の治める地域は冬は雪が数メートルにも渡り降り積もる厳しい気候で作物も育ちづらく、数年に一度は飢饉に襲われていると聞く。私ですら街道の整備も他の領地と比べて進んでいないという話を耳にしたことがあるし、領地を経営するためには王家からの支援金だけではとても足りないことだろう。


「それじゃあ、ミーシャ様は……」

「ああ、それが事実ならウェントワース伯爵の子ではないんだろう。実際、ミーシャ嬢と伯爵って色合いこそ同じだが、顔立ちなんかは似ていないと思わないか、って言ってもケイトはあまり見たことがないか」


 カイル兄様の言葉に私は頷いた。


 夜会には出られなくともお茶会には出席しているが、私が出席したお茶会でミーシャ嬢を見かけたことはなかった。

 もし本当にミーシャ嬢がバーナード公爵の孫だったなら、王太子の婚約者の後ろ盾としては十分だ。


「ここだけの話さ、ミーシャ嬢の本当の父親っていうのが、隣国のやんごとないお方らしいんだよ」


 私は驚きに目を見開く。

 

「そのお方の立場上、表立ってミーシャ嬢やその母親を国に連れて帰ることは出来なかったようだが、交流は続いているって話だ」

「それは……もし、もしそれが真実なら、お姉様との婚約は本当に破棄されるかもしれませんね」


 そもそも、王家が姉を婚約者に選んだのは、隣国との繋がりを強化したいという狙いがあったからだ。

 ローリエ侯爵家は先々代の更にその前――私の曾祖父の代に、隣国の王弟の娘が嫁入りしている。何でもたまたま我が国をお忍びで訪れていた曾祖母が従者とはぐれ、男に絡まれていたのを助けたのが曾祖父だったらしい。それが切っ掛けで二人は恋仲となり、身分差を乗り越え結婚したそう。

 恋愛小説のようだがこれが本当なのだから驚きだ。実際、曾祖父母夫婦の馴れ初めはラブストーリーとして人気を博し、歌劇にもなったらしい。


 隣国は元々魔法に関する研究が盛んで、国民も魔力持ちが多いことで有名だが、ちょうど私が生まれた頃くらいに、どの国でも失われていた古代魔法(ロストマジック)の再現に成功し、その技術を利用して国力は益々高まっていった。対して他の国では年々魔力持ちが減り、魔法に関する知識そのものも薄れつつある。隣国は今や周辺国では一番の強国だ。


 姉とアシュトン殿下の婚約は、隣国の王族の血を取り入れることで隣国との縁を強化しようと目論んだ王家側から打診されたものだ。

 その背景があるからこそ、そう簡単に婚約破棄されることはないだろうと不穏な噂を知りながらも両親は様子見をしてきたのだ。


 それが、ミーシャ嬢が本当は隣国の高貴なお方――誰かは知らないが――の血を引いていたのだとしたら、姉でなくミーシャ嬢と結婚しても、隣国との縁は繋げるのだ。

 むしろミーシャ嬢の父親の出自によっては、姉よりもミーシャ嬢の方が隣国の血が濃い可能性もある。


 私はカイル兄様と顔を見合わせた。


「なんだか、面倒事の予感がするわね……」


 その後、カイル兄様は家に帰るのが面倒くさいので泊まっていきたいとゴネていたが(大方父のコレクション()目当てだ)、いくら従兄とはいえ、私も未婚の令嬢だ。他の家族がいない屋敷に年頃の男性を泊めるわけにはいかないので無理矢理追い返した。


 父も母も姉もその日は帰宅することなく――家族と顔を合わせたのは、翌朝になってからだった。



***



 翌朝、家族が帰宅していないのを確認すると、私はひとり食堂で朝食を摂り、その後は部屋に籠って学園の課題を仕上げていた。


 両親と共に姉が帰宅したのは昼過ぎだ。

 課題に没頭していた私は、部屋に知らせに来たメイドによって三人の帰宅を知った。

 帰宅した三人は三者三様の顔をしていて、私は事態は望ましくない方向に収束したことを悟った。


 父は酷く疲れた顔、母は泣いたのか目の周りが赤く憔悴した様子で、姉は、というと感情の抜け落ちた顔で、私が声を掛けても目を合わそうとしなかった。


「ケイトリン、昨日の夜会の話は聞いているか?」

「ええ、昨夜カイル兄様から簡単に伺いました。その……王家と話し合いはされたのでしょうか」

「……お前も知っておいた方がいいだろう。来なさい」


 そう言うと、父は姉には自室で休息するよう指示して、母と私を父の執務室へ連れて行った。

 無言で去っていく姉の背中は、普段のプライドの高さが嘘のように萎んで見えた。


「お前も薄々感づいているようだが、クラリッサとアシュトン殿下の婚約は正式に解消された」


 絞り出すように告げた父の声は未だ怒りに満ちている。

 予想はしていたものの、実際に告げられると胸が痛む。私は努めて冷静な声で聞いた。


()()ではなく()()なのですね」

「公の場でああも宣言されてしまえば、陛下とて取り消せまい。しかしこちらに非がないのにも関わらず破棄されたとあっては納得できないからな。陛下は婚約の解消と我が家への慰謝料の支払いを約束してくださった」

「……アシュトン殿下やミーシャ嬢にお咎めはないのですか?」


 姉と殿下の婚約は政略結婚である以上、陛下の名の下に結ばれた契約だ。陛下の許しも得ず勝手に契約を破棄した殿下も、殿下がそう行動するに至る原因になったミーシャ嬢も、何らかの咎はあって然るべきだ。


 しかしながら、現王陛下のお子はアシュトン殿下ただ一人。

 アシュトン殿下の次に王位継承権を持つのは臣下に降った王弟殿下だが、陛下との仲はあまり良くないと聞く。

 陛下は常日頃から一人息子の殿下に甘い所があるので、恐らくアシュトン殿下が王太子の任を解かれることはないだろう、と分かってはいたが、念の為確認しておかねばならない。


「対外的には離宮にて一か月の謹慎だそうだが……陛下はどうやら二人の仲を認めるつもりらしい。伯爵令嬢の方はすぐに王宮入りし、妃教育を受けることになっている」


 母は父のその言葉を聞くなり、ハンカチを握りしめおいおい泣き出した。


「そんな……それじゃあ」


 それでは結局、我が家だけが泥を被ったことになる。


「お姉様はどうなるのですか」

「すぐに次の婚約者を探さねばならないが……」


 苦い顔で呟いた父の気持ちはわかる。


 姉は現在十八歳、王立学園の最終学年に在籍している。同じ学園に通うアシュトン殿下とは次の春に王立学園を卒業して直ぐに挙式する予定だった。


 我がローリエ侯爵家には、姉と私の二人しか子供がいない。姉は早々に殿下と婚約を結んだので、私は幼い頃から父の後を継ぎ、ローリエ女侯爵になることが決まっていた。そのための当主教育も婚約者と一緒に受けており、既に学生ながら領地運営の一部を任されている。


 そのため家を継げない姉は結婚し、この家を出ていくしかないが――我が家と釣り合いが取れる家格の男性は、既に婚約者がいる。家格が高ければ高い程、幼い頃に婚約を結び、早くから教育を施す傾向にあるので、残っているのは家が没落寸前だったり、本人の素行が悪かったり、と何らかの問題を抱えている人たちばかりだ。

 爵位の有無にこだわらなければ、それなりにいい人が見つかる可能性もあるが、あの気位の高い姉が継ぐ爵位もない貴族の三男、四男坊、ましてや例え裕福であっても平民であるというだけで拒絶するのは目に見えている。かといって、どこかの家の後妻や妾なんてとんでもない。


 私には父の苦悩が手に取るように分かった。

 恐らく父は明日から姉の縁談を纏めるため、通常業務の傍らあちこち奔走するはめになるだろう。次期当主である私にも影響があるに違いない。


 それでも私は、出来るだけ優しい笑みを浮かべて声を掛けた。


「お父様、お母様も……昨日からお疲れでしょう?少しお休みになってはいかがですか。お姉様のことならきっと大丈夫です。美人ですし、妃教育でも優秀だったと聞いています。アシュトン殿下よりも良い条件の方は難しくとも、お姉様を大切にしてくださる方がきっといるはずです。もしいなかったとしても、私やレイモンドと一緒にローリエ侯爵家を盛り立てていけばいいことです」

「そうか、そうだな……」

「ううっ、そうよ。クラリッサがいたいだけ侯爵家(うち)にいればいいわ」


 涙を零す母を抱き寄せる父を眺めながら、少し、ほんの少しだけ――もしも私が姉の立場だったら、両親は同じ言葉を言ってくれただろうか、と考えてしまう。


 両親は王宮で厳しい妃教育を受けているのだから、と昔から姉に甘い所があったが、反対に私には次期侯爵なのだから、と必要以上に厳しく接した。

 お陰で今は領主の仕事の一部を任せてもらえるまでになったし、姉については可哀そうだとも思うが、私にも思うところはある。


 ――いいえ、お姉様が辛い時にこんなことを考えるのは良くないわね。


 頭に浮かんだ考えを振り払うと、私は身を寄せ合う両親を残してそっと部屋を出る。


「それにしても……アシュトン殿下は一体どうしてしまったのかしら」


 自室に戻る道すがら考える。


 王族であるが、姉と結婚すれば私の義兄になるはずの人だったのだ。幼い頃はお茶会や、姉に会いに我が家を訪れた際にお話しすることもあった。


 私の中のアシュトン殿下は、あの頃のイメージで止まっている。時々やんちゃで無鉄砲だけど、基本的には穏やかで思いやりのある人だった。

 決して、婚約者の前で堂々と不貞を働いたり、陛下の許可も得ず公の場で婚約破棄を宣言したりするような人ではなかった。


 一体何が殿下を変えてしまったのだろうか……。

 最後に会ったアシュトン殿下の姿を思い浮かべ、私はそっと息を吐いた。



***



「大変だったな、ケイト。大丈夫か?」


 姉の婚約破棄騒動があってから一週間――休んでいた学園に着くなり、話しかけてきたのは婚約者のレイモンド・ライトだった。


 あれから社交界は王太子殿下の突然の婚約破棄事件で大変な騒ぎだった。渦中の我が家にも、心配するような体でその実情報を引き出そうと、自称姉の友人たちからの誘いの手紙が溢れかえって大変だった。


 そのため、父の指示で一週間程学園を休んでいたのだ。ちなみに姉はまだ登校していない。どうやら卒業に必要な単位は既に取り終わっているそうなので、ほとぼりが冷めるまで暫く休むつもりのようだ。


 レイモンドが心配そうな顔で私を覗き込み、労わるように頬に触れる。

 朝からわざわざ私を学舎の入り口で待っていたらしい。レイモンドの手はすっかり冷え切っている。


「レイ、手紙くれたのに連絡できなくてごめんね。お父様が誰とも連絡を取っては駄目って言って、送れなかったの」

「気にしないでいいよ、大変なのは分かってたし。今回のことは、その……残念だったな」

「うん……仕方ないよ」


 私たちは小声で話しながら並んで歩き出す。互いの教室は少し離れているが、レイモンドはこのまま教室まで送ってくれるつもりらしい。突き刺さる好奇の視線から私を庇うように、少し斜め前を歩いてくれる。


「クラリッサ嬢の様子はどうなんだ?」

「落ち込んでる……のかな。あまり部屋から出てこないし、何故か私とは顔を合わせたがらないの。話しかけても目も合わせてくれないし、それどころか時々睨まれているような気さえするわ……。お父様やお母様とは時々部屋で何か話してるみたい」

「そうか……」


 私と姉は昔から距離がある。なんというか――幼い頃から姉というよりも次期王妃として接することの方が多かったせいか、普通の姉妹の距離の取り方というものが分からないのだ。

 いずれ臣下に降るのだからと、両親は大抵の場合私より姉を優先させた。それもあって、積極的に関わることはしてこなかった。


 レイモンドもそれを知っているので、私の言葉に顔を曇らせたが、姉についてそれ以上何か言うことはなかった。


「実は昨日ウィリアム卿から連絡が来て、放課後侯爵家へ来るよう言われているんだ」

「お父様が?」


 今朝出掛けに顔を合わせた時には特に何も言っていなかったので、私は少し驚いた。


「何かしらね?例の特産品の件かしら。お父様は暫く領地のことに割く意識はないかと思っていたけれど」

「さあ、内容は俺も聞いてないんだ」


 私たちは放課後一緒に侯爵家へ向かうことを約束して、それぞれの教室へ足を向けた。


 

 教室へ入ると、一斉に皆の視線が私に集中した。妙な緊張感に気まずくなりながらも、友人たちに挨拶して席に着く。

 仲のいい友人も、この空気で話しかけることに躊躇っているのか、今朝は挨拶を返すと席に戻っていった。まぁ、大っぴらに色々と聞かれても困るので、ある意味その反応は有難いのだが、妹の私でこれなのだ。張本人である姉は学園を休んで正解かもしれない。


 なんだか気疲れしてしまい、いつも昼食を共に摂っている友人に断って、昼休みにひとり裏庭のベンチで昼食を摂っていると、不意に名前を呼ばれた。


「ケイトリン嬢」


 声を掛けてきたのは、()()婚約破棄事件の舞台となった夜会を主催していたダンウッド公爵家の次男であるハワード様だ。顔を上げると捨てられた子犬のように眉を下げて立っていた。

 普段あまり人の来ない裏庭で話しかけられたことを考えると、わざわざ私を探して来たのかもしれない。私は慌てて立ち上がり、ハワード様に頭を下げた。


「ハワード様、父から既に謝罪はいっていると思いますが、先日は我が家のことでお騒がせして申し訳ございませんでした」

「ケイトリン嬢、頭を上げてくれ。俺の方こそ君に謝らなければならない」

「そんな、ハワード様が謝ることなんてありません」

「いいや、違うんだ」


 苦い顔をするハワード様に私は首を傾げた。


「うちの馬鹿兄貴は、どうやら殿下があの場で婚約破棄することを事前に知っていたらしいんだ」

「えっ……?」

「そういう反応になるよな。俺もそれを初めて聞いた時は耳を疑ったよ」

「でも、その場にいた従兄から、姉とアシュトン殿下が言い合いになり、その流れで婚約破棄を宣言されたと聞きましたが」

「ああ、それは間違いではないんだが、元々どちらにしても殿下はあの日、クラリッサ嬢と婚約破棄し、ミーシャ嬢との婚約を宣言する気だったらしい。本来は夜会の最後でクラリッサ嬢を断罪した後、大々的に告げるつもりだったそうだよ。現実はクラリッサ嬢の堪忍袋の緒が早々に切れてしまって、言い合う内にその勢いで言ってしまったようだけど」


 ええー……。


 私は声にならない声を上げた。


 ハワード様の兄であるランドル様は、アシュトン殿下の幼馴染で、将来の側近候補として普段から行動を多く共にしていた。殿下が本当に婚約破棄をするつもりだったのなら、それを知っていてもおかしくない。

 しかし、それなら尚更アシュトン殿下を諫めなければならなかった。そうでなければ側近でいる意味がない。


「普通に引くよな?止めるどころか背中を押したと聞いて眩暈がしたよ」

「あの、それは……私に話して良いことなのですか」


 ランドル様が殿下の片棒を担ごうとしていたならば醜聞になるが、黙っていればわからない話だ。

 現に私は知らなかったのだから。


「ああ、いずれ分かることだから言ってしまうけど、父は兄の教育に失敗したといって、廃嫡も視野に再教育を施すつもりらしい。今は屋敷で謹慎させられているけど、近い内に辺境伯の騎士団にでも放り込まれるんじゃないかな。当然殿下の側近も辞退させられたよ」

「それは……随分と厳しいですね」

「妥当じゃないかな。辺境に放り込んだことで目が醒めるといいんだけど」


 言って、ハワード様は遠い目をした。ハワード様と兄のランドル様は、それなりに仲のいい兄弟だったはずだ。色々と思うところがあるのだろう。


「あの、事情はわかったのですけど、ひとつ聞いても?」

「なんだい」

「元々殿下は夜会で姉を断罪するつもりだったのですよね。姉は何かしてしまったのですか……?」


 私は恐る恐るハワード様に尋ねた。


「ああ、そういえば中等部の生徒にはあまり知られてなかったね」


 そう言ってハワード様は話してくれた。


 なんでも、アシュトン殿下とミーシャ嬢は二人が深い仲にあることを全く隠そうとせず、高等部でも普段からいちゃついていたんだとか。

 それだけならまだしも、ミーシャ嬢は殿下だけでなく、殿下の側近や仲のいいご友人方にまで貴族令嬢らしからぬ親しげな距離で接していたそうだ。

 当然、殿下だけでなく彼らにもそれぞれ婚約者がおり、彼女たちはその様子に眉を顰めていた。注意しても改善されることはなく、次第にギクシャクするカップルが続出したらしい。


 多くの令嬢たちの怒りを買ったミーシャ嬢は嫌がらせを受けるようになり、次第にエスカレート。遂には一歩間違えれば命に関わるような嫌がらせをされるようになり、ミーシャ嬢に泣きつかれた殿下がブチ切れた。

 そして、そのすべての嫌がらせを主導していたのが――なんとびっくり、私の姉のクラリッサだというではないか。


 ミーシャ嬢があちこちでやらかしているところまでは把握していたが、まさか高等部でそんな事態になっていたとは。


 ミーシャ嬢への嫌がらせの内容を聞けば、教科書を破かれた、靴を隠されたなどの些細なものから、池に突き落とされる、頭上から植木鉢が落ちてくる、階段の上から押される、など命に関わるような恐ろしいものまで様々だった。


「まさかミーシャ嬢がそれほどの嫌がらせを受けていたとは、知りませんでした……」

「知らなくても仕方ないよ。俺も生徒会で高等部の生徒と関わるから耳にしたことがあっただけだし」


 呆然とする私を慰めるようにハワード様が眉を下げた。


 私たちの通う王立学園は、十二歳から十五歳まで通う中等部と、十六歳から十八歳まで通う高等部に分かれており、基本的に貴族籍を持つものは皆入学が義務付けられている。


 私やレイモンド、ハワード様は十五歳なので、現在中等部の最高学年に在籍している。中等部には貴族の他に、裕福な平民や特待生といって成績の良い平民の生徒も通っているが、高等部に入ると、ほぼ貴族だけになるそうだ。平民は貴族の私たちより結婚が早いと聞くし、学費も高額になるためだろう。

 ()()()()学園内において身分差は考慮されないことになっているため、社交界に飛び出す前の最後の楽しみとばかりに、高等部では羽目を外す人もいるらしく、それが高等部の閉鎖的な雰囲気に拍車をかけているとか。

 仮に中等部で同じことが起きたなら、直ぐにでも外部から調査が入るだろうに……。


 姉が主導したとされる噂が表に出なかったことが良かったのか悪かったのか、私は複雑な気持ちになった。


「姉が嫌がらせをしていた、というのは本当なのですか?断罪されるつもりだったのであれば、証拠があるはずですよね?」


 もしハワード様の話が本当なら、立派な犯罪だ。高位貴族の令嬢とはいえ、なんらかの罰を受けてもおかしくないが、私は両親からも姉からもそんな話は全くされなかった。


「それが、ミーシャ嬢への嫌がらせがあったのは本当らしいけど、命に関わるような嫌がらせとやらは、ミーシャ嬢の証言だけで本当にあったかどうかわからないそうだ。殿下やウチの馬鹿兄貴が用意していた証拠っていうのもお粗末なもので、クラリッサ嬢が指示した証拠なんてなかったらしい。陛下も呆れていたし、この件について追及されることはもう無いと思うよ」


 ハワード様の言葉に私はひとまず胸を撫で下ろした。


「よかった……といって良いのかは分かりませんが、とりあえず姉が罪に問われるようなことが無くて良かったです。ただでさえめぼしい殿方は皆既に婚約者がいらっしゃるので、もし公の場でそのような話をされたら、例え無実でも姉の新しい縁談にも影響するところでした……」

「ケイトリン嬢は優しいね。俺が君だったらそんな風には思えないかも」

「え……」

「俺が言うことじゃないかもしれないけど、その……大丈夫?家でクラリッサ嬢に辛くあたられているんじゃないか?」

「あの、どうしてそう思うんですか」

「ごめん、俺知ってるんだ。君が以前からクラリッサ嬢に冷たく当たられてるの。前にパーティーで見ちゃったんだよね。ほら、覚えてない?王弟殿下の帰国を祝うパーティ」


 そう言われて、私は思い出した。

 あれは私がまだ七歳頃だったと思う。魔法の研究が進んでいる隣国に長らく留学していた王弟殿下の帰国を祝って、王宮でパーティーが開かれたのだ。王太子殿下が幼かったこともあって、子ども達も参加出来るよう、夜会でなくお茶会の形式が取られていた。

 王弟殿下がいくつか魔法を見せてくれて楽しかったのは覚えているが、あのパーティーで何かあっただろうか。

 首を傾げる私に苦笑しながら、ハワード様が続けた。


「あの日、隣国で勉強した成果を見せるっていう名目で、王弟殿下はひとりひとりに好きな花や動物を象った氷の彫刻をその場で作って渡していたんだよ。手の平サイズで、一週間くらい溶けない不思議なやつ。王太子殿下とその婚約者である君の姉は真っ先にウサギや鳥を作って貰っていた。その他の子供たちは順番に並んでやっと君の番って時に、急にクラリッサ嬢が体調不良を訴えたんだ」


 そういえばそんなことがあったような……?


「何故かは知らないけど、あの日夫人はいなくて君たちは家族三人で来ていた。ローリエ侯爵はクラリッサ嬢を別室で休ませるために移動したけれど、幼い君を一人で会場に残すわけにはいかないと君も一緒に連れて行った。君は後ろ髪を引かれながら会場を後にしていたよ」

「……よく覚えているんですね。私ですらそんなこと忘れていたのに」

「君があまりにも王弟殿下の方を名残惜しそうに見ていたものだから……というのは半分本当だけど、俺って元々記憶力がいいんだ」


 半分本当なのかい、と内心で突っ込みを入れつつ、その記憶力があるからあんなに成績がいいのね、と納得する。


 しかしながら今以上に姉の評判を落とすようなことがあってはまずい。私はひとまず保身に走ることにした。


「私たちは姉妹仲がすごくいい、とは確かに言えないですけど、その時については、姉は本当に体調を崩していたんじゃないですか?それに言われて思い出したのですけど、幼い頃部屋の窓に不思議な氷で出来た薔薇の花を飾っていた記憶があります。花弁が散るように一枚一枚溶けていくのがとても綺麗で……だからその後きっと王弟殿下に無事に作ってもらえたのだと思います」

「それは違うよ」


 ハワード様はきっぱりと首を振った。


「君が悲しそうに去っていくのを見ていたレイモンドが王弟殿下にお願いしたんだ。『自分の分はいらないから、代わりに婚約者の分を作ってくれ』って。家族と一緒に戻って来た君がそれを見て満面の笑顔を浮かべた時、クラリッサ嬢が酷く睨みつけていた表情は忘れられないよ」


 姉が私を睨んでいた?

 記憶を探っても、全然思い出せない。


「それからも時々お茶会なんかで君たちを見かけたけど、君のことをわざと無視してさり気なく皆の輪から外したり、君の刺繍を笑い物にしている時もあったな。一度だけならあれ?って思って終わるけど、何度も目撃していたら流石にちょっとね。君の反応から、普段から当たり前にそういう扱いを受けているってなんとなくわかった。クラリッサ嬢は多分、君が自分より楽しそうにしていたり、幸せそうにしているのが許せない人間なんだと思う。だから本音を言うと、ローリエ家の人々には悪いけど――クラリッサ嬢が次期王妃でなくなって、個人的にはホッとしてる。身内の幸せを喜べない人が、国民を幸せに導けるとは思えないからね」


 正直言って、ハワード様の言葉に私はショックを受けていた。

 本当は薄々気が付いていたのだ。姉が私に向けている悪意に。

 それでも、時々向けられる辛辣な言葉や態度は家族故のものだと思っていたし、次期王妃となるための勉強に追われる中で、ストレスを吐き出せるのが家族の前だけなのだろうと思うようにしていた。

 けれど、第三者から見た事実は、姉は私を嫌っているということだ。


「だからさ、心配だったんだ。あんなことがあった後じゃ、きっと今まで以上に君に辛くあたるんじゃないかと思って。クラリッサ嬢はプライドが高いから、自分は公衆の面前で婚約破棄された、っていうのに、妹は侯爵家の跡継ぎで婚約者のレイモンドとも仲がいいとなったら、許せないんじゃないかってさ」


 ハワード様の言葉に私は俯いた。

 

 実を言うと、あの夜会の日以降、私は家族とあまり会話をしていない。食事もひとりで食べている。

 父と母は可能な限り姉に寄り添うと決めているようで、仕事の時間以外は姉と過ごしているようだ。姉と私の食事の時間が合わないため、必然的に姉に合わせる両親とも食事を共にすることがなくなった。勿論、私は今まで通りの時間に食事を摂っており、ずらしたりはしていない。

 王宮での妃教育も無くなり、学園も休んでいるので生活のリズムがずれたのだろう、と思っていたけれど、もしそれが意図的だったら?


 胸の奥がすうっと冷えていくのが分かる。

 けれど、ハワード様を心配させるわけにはいかない。

 

「あの、ご心配くださってありがとうございます。大丈夫ですから」

「そう……俺の取り越し苦労ならいいんだ。ちょっと嫌な予感がしただけだから。そろそろ午後の授業が始まるから、もう行かないと」

「ええ、また」


 去っていく背中を見送っていると、不意にハワード様が振り向いた。


「もし助けが必要になったら言ってくれ。出来る限り力になろう」


 ハワード様っていい人ねぇ、と呑気に受け止めていたこの時の私は、ハワード様の懸念が現実になることなど、知る由もなかった。


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[気になる点] > 以前から殿下と親しくしているらしいと噂されていた件の子爵令嬢とファーストダンスを踊り 子爵令嬢の表記が残っているようです。感想の返信を見るに、伯爵令嬢でしょうか。
[気になる点] 表現のおかしな部分や推敲漏れが多々あります 冒頭で殿下の恋人を子爵令嬢と表記しているのに、読み進めていくと >「今回の騒動の原因になった伯爵令嬢がいるだろ?」 >「ええ、確か、ウェン…
[気になる点]  その場にいたカイル兄様の話によると、アシュトン殿下は会場に着くなり姉のことを放り出すと、以前から殿下と親しくしているらしいと噂されていた件の子爵令嬢とファーストダンスを踊り、その後も…
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