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第4章

第4章



 バチカン市国・ローマ教皇庁は、イタリア・ローマ市内に位置するカトリック教会の総本山であり、世界的にも稀な独立宗教国家である。

 ジャン・アーリオは、現職の司祭として、バチカン内外で行われる数々の宗教行事に従事しながら、別の重要任務を受け持っていた。

 それは異端いたん査問官さもんかん。またの名を異端いたん審問官しんもんかんと言う。

 異端査問官とは、千五百年以上の歴史を持つ、キリスト教カトリックに暗然と実在する裏組織メンバーのことであり、彼らが世界史の裏で暗躍していたことはつとに有名である。

 狭義では、異端、つまりカトリック以外の宗教を弾圧し、時にはスパイ活動や暗殺行為をもって、教義に反する者たちを始末する者たちを指す。

 異端査問官が特に名を馳せた時期は中世ヨーロッパ。魔女狩りの時代である。

 異端査問官は、黒魔術や錬金術が教義に反するものとして徹底的に弾圧し、時には利用し、罪なき人々までもを焼き殺したりした。

 その後も、時代時代において、時に表舞台に時に裏世界で、秘密裏に脈々と蠢き続け、現在に至ると言われている。

 近年では、イギリスのダイアナ皇太子妃がチャールズ皇太子と離婚後、自動車事故で死亡した一件も、異端査問官の手による暗殺ではないかとまことしやかに囁かれている。

 

 成田空港に到着したアーリオが、真っ先に向かった先は、神田神保町の、神代零が営む『不可思議堂』だった。

 タクシーを降りたアーリオは、シャッターが閉まったままの店先でしばらく佇んでいた。

「零なら、ここ数日、帰ってきてないよ」

 背後から突然声がする。

 振り返ると、ランドセルを背負った少年・和也が、アーリオを見上げている。

「あ、外国の人か……オレ、英語の授業、チンプンカンプンで全然聞いてないんだよね」

 和也が困ったように頭を掻いた。

「神代零がどこに行ったか、知っていますか?」

 見るからに外国人然としたアーリオが流暢な日本語で話しかけてくるものだから、和也は面食らった。 

 とはいえ、しどろもどろになりつつも、

「し、知らない、です。帰ってこない時は2ヶ月も3ヶ月も平気で留守にしちゃうから」

と背伸びして精一杯答えた。

「そうですか。ありがとう」

 アーリオは和也に微笑みかけると、不可思議堂の裏へと歩き出す。

 和也は見知らぬ外国人の言動に怪しさを感じたが、お目当ての零は不在だから諦めて帰るだろうと、不可思議堂を通り過ぎ、離れていく。

 アーリオは、和也が視界から消え去ったことを確認するなり、不可思議堂の建物をつぶさにチェックしていく。

 常備灯や柱の出っ張りにカムフラージュさせているが、築数十年の古い木造一戸建ての外回りには、複数台の隠しカメラや赤外線センサーが設置されているようだ。

 それらを瞬時に見抜いたアーリオだったが、全くひるむことなく、フフンとほくそ笑むや、隠し持っていたピッキング道具を取り出すと、建物裏手の、厳重に施錠されている勝手口の鍵穴に手際よく仕掛ける。

 十数秒後、たやすく勝手口は開かれ、アーリオは不可思議堂への侵入に成功、勝手口から店内へと入り、照明をつける。

 雑然とした店内を興味深げに一通り観察したアーリオは、おもむろにサングラス型の空間透視センサーを駆使し、骨董品群に囲まれた壁の奥と地下にスペースが広がっていることを発見する。そして一幅の掛け軸をめくると、巧妙に隠された地下への秘密の扉を見つけた。

「秘密基地は地下にあり、ですか。さすがはアニメの国・ジャポネですね」

 アーリオは、一旦はピッキング道具を手に、隠し扉をこじ開けようとするも、

「やめときましょう」

と、わざと誰かに聞かせるかのような大声で呟くと、ピッキング道具をしまい込み、店内の古本を数冊手にする。

 そして、零が店番の時にいつも座っているヘタりきったソファーにどっかと腰を下ろした。

 ローマから成田への直行便は十二時間半のフライトである。さすがに長旅で疲れてしまったのか、アーリオはソファーに座り込んだまま、いつしか眠りについていた。


 カチリ。

 聞き慣れた音がアーリオの脳を覚醒させた。

 自動拳銃の安全装置を解除する音だ。

 瞼を開けるが、正面には誰もいない。その代わり、背後に人の気配がする。

「ベレッタ92。嬉しいですね。愛するイタリアの自動拳銃を愛用とは」

 アーリオは動じることなく、背後に立つ男に向かって言った。

「安全装置をスライドする音だけで型式まで分かるのか?」

 零が、アーリオの後頭部に銃口を向けたまま尋ねた。

「もちろん。あなたたちだって、日本刀を鞘から抜く音だけで、その刀の銘を当てられるでしょう?」

 アーリオは肩をすくめつつ、少し笑った。

「日本人を誤解しているようだ。誰もそんなことはできやしない」

「スケルツォ、冗談です」

 アーリオは、銃口を突きつけられているとは思えないほど余裕の表情で、ククククと愉快そうに肩を揺らす。

「イタリア人が何の用だ? このまま、日本の警察に不法侵入の現行犯で逮捕してもらってもいいんだが」

「あなたはそんなことはしませんよ。プロフェッサー神代」

 アーリオがフフッとまた笑う。

「えらく自信ありげに言うんだな」

「だってそうでしょう。セキュリティシステムが作動して、この私が店に侵入する一部始終を、あなたは防犯カメラ映像で監視していたはずです。警察や警備会社に連絡するのなら、その時すればよかった。にもかかわらず、あなたご自身が駆けつけてきた。つまり、警察なんかに突き出すつもりはない、ということです」

「……なるほどね」

 零は少し感心したように頷いた。

「私はジャン・アーリオ。バチカンの聖職者です」

「……」

 零は安全装置を指でゆっくりと戻す。

 その静かな摩擦音を確認しつつ、アーリオはようやく零に顔を向けた。

「先程、私をイタリア人だとおっしゃいましたが、正確には神聖なるバチカン市民です」

「神に仕えている人間が、留守宅に勝手に忍び込むのはどうかと思うが」

 零は、正面に向かい合ったアーリオの、黒いキャソックを上から下に品定めしつつ、苦笑する。

「神の存在を揺るがすものを排除する行為は、たとえ、それが犯罪だとしても、神はお許しになられるのです」

「暴論だな」

「いいえ。いにしえから伝わる真理です……でも、ご安心ください。地下にあるあなたの研究室と数々の獲物には指一本触れておりませんので」

 アーリオは、地下へとつながる秘密の扉の方を見て、ウインクした。

「ならば、なぜ侵入した?」

 零は少し苛ついた口調で質した。

「簡単な理由です。あなたに一番早く会える方法だと判断したから」

「……」

「我々には時間がないのです」

 アーリオは、真っ直ぐに零を見た。

「我々?」

「あなたと私たち、です」

 アーリオはこともなげに答えた。

「プロフェッサー神代、あなたはこれから私たちと共に、神の名のもと、一緒に世界を救うのです」

 アーリオは懐から、黄金色に光る大きめの十字架のペンダントを取り出すと、それを両手で包み、祈った。ペンダントチェーンにしては、少しいびつで棘棘しい金属製の鎖が異様な輝きを放っている。

「待ってくれ。オレはキリスト教徒でもないし、そもそも、まだ何も事情を理解できていない……」

 零は戸惑いを隠せないように、少し後ずさりした。

「いいえ。あなたはもう既に、世界の危機が迫りつつあることを認識しているはずです」

 アーリオの言葉に、零は、ようやく察しがついた。

「盗まれた十龍の水晶が関係しているということなのか?」

 零の問いに、アーリオは納得顔で頷いた。

Si(シー)

「カトリックの聖職者が、日本の戦国武将のお宝に興味があるとは、意外だな」

「戦国武将の宝? プロフェッサー神代、あなたは何か勘違いをされているようです」

「?」

「私たちが長年追い続けているものは、戦国武将のお宝などではありません」

「では、なぜ……」

「十龍の水晶は、真の宝に辿り着くための道しるべの一つに過ぎません」

「道しるべ?…世界の危機…もしや……」

 そのキーワードに零は、日光東照宮総代の百瀬の必死の形相を思い出していた。

 十龍の水晶が瑠璃によって奪われたことを知った百瀬はパニックになり、こう叫んだ。

『十龍の水晶が、悪しき願いを持つ悪しき者たちの手に渡ってしまい、万が一、結界が解かれてしまうようなことになれば、とんでもない災難が起こってしまうはず』

 続けて百瀬は、その「とんでもない災難」とは「この世の終わり」と言い換えた。

 あながち、百瀬の言葉は大袈裟でもなかったのか…。

 もし、アーリオの言う『道しるべ』と、百瀬の言う『結界』が同じか、または関連するとしたら……。

「詳しい話を聞こう」

 零は、アーリオにソファーに座るように勧め、自分も愛用の椅子に座った。

「グラッツェ! お力をお貸しいただけるということで、よろしいですね?」

「内容によるが……」

「報酬はいくらでもお支払いいたします」

「あいにく、金には執着しないタイプなんでね」

 零は少しだけ見栄を張った。

「そうですか……では、あなたのお命を報酬代わりにするということでいかがでしょうか」

「は?」

 零は自分の耳を疑った。

 アーリオは、ソファーから立ち上がるや、「失礼」と一言添えつつ、怪訝な様子の零に一歩近づくと、いきなり彼の首に、手にしていた黄金色の十字架ペンダントを掛けた。

「うわっ! 何をする?」

 その一連の動作があまりに自然で素早いものだったからだろう、さすがの零もなすがままにされるしかなかった。

「これは、私たちからプロフェッサー神代への贈り物です」

 零の首に十字架のペンダントを掛け終えたアーリオは、満足げに笑った。

「さっきも言っただろう、オレはキリスト教徒じゃないんだ」

 零は、自分の首に掛けられたペンダントを鬱陶しげに触った。

「ええ。これはカトリック教徒には付けません。付けるのは主に異端者か反逆者、もしくは罪人だけです」

 アーリオが声を潜めながら呟く。

「なんだと?」

 違和感を抱いた零が、首に回された十字架の鎖を取り外そうと手を伸ばしたその時だった。

「あ、むやみに触らないほうがいいですよ」

「?」

 突然、零の首に巻き付けられた棘棘しい鎖がギギギギと鈍い音を立て、零の首を締め付けるではないか。

「なんだこれは!」

「それは、パラケルススの鎖なのです」

「パラケルスス! 錬金術師の……」

 零が息を呑み、叫ぶ。

 零の首に掛けられた十字架の鎖は、いつの間にかピッタリと首筋に絡みつき、喉元には十字架が食い込んでいる。

「十六世紀に活躍したドクター・パラケルススは天才錬金術師であると同時に、偉大な医者であり発明家でもありました。このパラケルススの鎖は、魔女を封じ込めるために彼が発明した最高傑作です」

 アーリオが誇らしげに語り始める。

 零は、自分の首をギリギリと締め続けるパラケルススの鎖を必死に外そうともがきながら、記憶を辿っていた。

「何かの書物で読んだことがある……パラケルススは黒魔術を科学的に解明した上で、それを魔女狩りに積極的に応用した。彼の死後も、パラケルススの魔法の数々は、とある組織が秘密裏に受け継ぎ、今に至ると」

「さすがはプロフェッサー神代。よく勉強されていますね」

「……ようやく、アンタの正体が分かったよ。スィニョーレ・アーリオ」

 パラケルススの鎖で呼吸困難になりながらも、零はアーリオを睨みつけた。

「パラケルススの魔法を受け継いだ組織の名はバチカンの異端査問所……つまり日本語も堪能なアンタは、アジア地区担当の異端査問官ということか」

「ご名答です」

 わざとらしく、パチパチと拍手するアーリオ。

「そのパラケルススの鎖は、期限内に使命を終えない限り外れないように、魔法をかけておきました」

「期限だと?」

「ええ。今日から6日以内。これが期限です」

「期限を過ぎるとどうなる?」

「パラケルススの鎖が徐々にあなたの首を締め上げ、あなたは天に召されます」

 アーリオは表情一つ変えることなく、淡々と伝えた。

「報酬はこのオレの命という意味、ハッタリじゃないってわけか」

 零は苦笑する他なかった。

「あ、それと、期限内でも、我々を裏切ったり、命令を無視するようなことがあれば、パラケルススの制裁が発動されますので、くれぐれもご注意ください」

「制裁?」

「試してみましょう」

 アーリオはニヤリとほくそ笑むと、自分の胸にぶら下げているクロスを両手で包み込むと、特徴的な印を結び、呪文を唱え始める。

 するとどうだ。呪文に呼応するように、零の首に巻き付いた鎖がギリギリギリと金属が軋む音を立てつつ、更に零の首を締め付けていく。

 悶絶する零は、降参とばかりに両手を高く挙げた。

「わかったわかった……止めてくれ」

 アーリオが呪文をやめると、途端にパラケルススの鎖は少しだけ緩くなる。

「まるで、孫悟空の(きん)箍児(こじ)だ」

 零がぼやく。

「あ、そうそう。言い忘れておりました。無理やり外そうとしたり、切断しようとは考えないことです。絶対に不可能ですから。無駄な努力に時間を割く余裕はないはずです」

 アーリオが念を押す。

「6日以内に十龍の水晶を取り戻せば、この鎖は外してもらえるんだな」

 零は観念したように吐き捨てた。

 しかし。

「違います」

 アーリオは冷静に笑った。

「プロフェッサー神代……いや、こちらの名の方がいいでしょう。トレジャーハンターZERO、6日以内に、まずは『信長の宝』を見つけ出すこと……それがあなたに与えられた使命です」

「信長の宝?……さっき、アンタ、探しモノは戦国武将の宝なんかじゃないと言ったよな? それに、まずはって、どういうことだ?」

「いずれ、全てが明らかになります……先程も言ったように、十龍の水晶は、最初の道しるべにすぎません。ミッションは始まったばかりなのです」

「?」

 それだけ伝えるとアーリオは、

「私は私で動きます」と言い残し、去りかける。

それを零が止めて、

「一つだけ、答えてくれ!」

「なんでしょう?」

 アーリオが振り返った。

「どうして6日なんだ? その日までにミッションをクリアしないと、なにかが起こるということなのか?」

「ご推察の通り、何が起きるかはお楽しみですが……6日が期限である理由はもう一つあります」

 アーリオが意味深に微笑み、零を真っ直ぐに見た。

「なんだ?」

 零も釣られ、アーリオを凝視する。

 アーリオは真顔のまま、

「神が、この世界を創り上げた時からずっと、7日目を安息の日と定めているからに決まっているじゃないですか」

と答えた。

「質問したオレがバカだったよ」

零は諦めの境地で溜息をつく。

 アーリオは軽やかに去っていった。



 日光東照宮の奥の座から、まんまと十龍の水晶を盗み出すことに成功したクオン瑠璃は、その後、広大な屋敷の茶室地下にある情報管理ルームにて、お宝の分析に余念がなかった。

 だが、それはかなり難航していた。

「なにか手掛かりがあるはずよ……これが武田や徳川の財宝そのものであるはずがない」

 瑠璃もまた、十龍の水晶自体が、目指す本当のお宝だとは思っていない様子。この水晶はあくまでも、道先案内をするアイテムに過ぎないと推理していた。

「やっぱり、ドクター・マシュウじゃなきゃ、解明は無理かも…」

 赤外線放射分析機、磁場画像診断装置、放射性炭素測定器、ナノダイナミクス計測機、レーザー照射型クラスターイオン質量分析装置……。金に糸目をつけずに揃えた最先端の分析機器をもってしても、その水晶は、未だ、ただの透明な二酸化ケイ素の丸い結晶体でしかなかった。

 はたして、瑠璃が名前を口にしたドクター・マシュウとは?

「そもそも、なんで十龍って呼ばれてんのよ! なんの変哲もない普通の水晶じゃん、コイツ」

 水晶の名前の由来すら解明できず、愚痴をこぼす始末だ。

「お嬢様、こういう時こそ、上海の旦那様のお力をお借りするのも、よろしいかと存じますが」

 執事の天童が、デザートのワゴンを運びながら、うやうやしく頭を下げる。

「イヤよ。お父様なんかに頼んでみなさい。上辺だけは、それこそ、『パパは瑠璃のためなら、全財産を使ってでも、力になるからね』なんて言うくせに、宝の正体が判明する頃にはたぶん……ううん、きっと絶対、滅茶苦茶ひどい卑怯な手を使ってでも、手柄を全部独り占めしちゃうんだから」

 瑠璃は、しばらく会っていない父親の顔を思い出しながら、身震いしてみせた。

「それでこそ、旦那様でございます。クオン財閥を一代で築き上げたのは、そういうしたたかさあってこそ、でございます……それに」

 と天童は言葉を止め、瑠璃を見た。

「なに?」

「瑠璃お嬢様は、旦那様に一番よく似ておいででございます」

「やめてよ」

 瑠璃はうんざり顔で、天童の手からデザートワゴンを強引に引き寄せる。

 と、その時だ。

 乱暴に引き寄せたせいで、ワゴンの上にあったミネラルウォーターのグラスが傾き、水滴が、レーザー照射型クラスターイオン質量分析装置の検査台に置かれたままの十龍の水晶の表面にこぼれ落ちる。

 すると、その水滴が球体レンズの役目となり、それまで、どのように分析しても、無色透明でしかなかった水晶の表面に、ぼんやりとした絵柄が浮かび上がったではないか。

「?」

 すぐさま瑠璃は、気体の流体解析に使用する微粒子ミスト発生装置を起動させ、水晶の表面に、微粒子ミスト化した水分子を照射し、光を当ててみる。

 するとどうだ。水晶の表面に付着した水分子が集合体となり、丸い水滴となり広がりつつも、水滴は重力に負け、水晶表面を伝って下へと垂れていくのだが、垂れ落ちる直前のわずかな一瞬、水滴に水晶内部から浮かぶ模様が3D映像のように、空中に浮いては消え、浮いては消えを繰り返す。

 その模様の一つひとつが何であるかを肉眼で理解するには、膨大な時間が掛かりそうだ。

「さすがね! 数百年前の究極のアナログ式暗号ということか……これを組み合わせれば……」

 瑠璃は、スーパーコンピューターを稼働させて、暗号解析アルゴリズムソフトのAIをリンクさせる。

 最新鋭AIは瞬時に、何兆通りもの光の照射角度差で変化する模様を演算、水晶内部に隠された暗号を割り出した。

 大型モニターに映し出されたのは、十匹の個性的な姿をした龍である。

「だから十龍の水晶……なのね」

 瑠璃の言葉を待っていたかのように、AIはアニメーション処理した十匹の龍を動かして、お互いを絡ませ合いながら、日本列島を示す古地図を形成していく。

「これは……戦国時代の地図」

 瑠璃の頬は紅潮し、充足感溢れる笑みを浮かべた。

 

 

 その頃、零は苦悶していた。

 アーリオの言う『信長の宝』とは一体何なのか?

 武田信玄や徳川家康の財宝については、古くからその存在が複数の文書によって指摘されているが、織田信長の財宝に関しては、信頼性の高い一次資料を紐解いてみても、記述は一切見当たらないのだ。

 零には時間がなかった。

 刻一刻と、パラケルススの鎖が首元を締め上げてゆく。

 悪あがきだとは思いつつも、零は、パラケルススの鎖をダイヤモンドの刃のついたカッターで切ろうとチャレンジした。バーナーで焼き切ろうともした。しかしことごとく失敗に終わった。むしろその度、鎖はそれらの罰とばかりに、更に首を締め上げてきた。

 まさにパラケルススの魔術によって守られし鎖である。

 焦りと苛立ちの中、シャッターが閉まったままの不可思議堂の店内で、鎖の呪縛に苦悶し、思わずあげた呻き声が表まで聞こえたのだろう、突然、シャッターを外から叩く音がする。

「零? 帰ってきてるのか?」

 声の主は小学生の和也だった。

「帰ってるんなら、開けてよ! いるんだろう? 零!」

 大人の事情など全く考慮しないワガママで懐かしいその声に、零の心は和んだ。

 シャッターを開け、心配顔の和也を店内に呼び込むと、和也は開口一番、

「ダッセー。ロックアイドルじゃないんだからさ、十字架のチョーカーなんか、似合わないぜ。いい歳こいてなにカッコつけてんだ。バッカじゃねえの」

 零も全くの同感なのだが、外せないのだから仕方ない。それに、和也に理由を言うつもりもなかった。

「コイツのことは放っておいてくれ」

 零は憮然と言い放つ。

「あ、そうそう。昨日の夕方、イケメンの外国人さんが零を訪ねてきたみたいだったけど」

 アーリオのことだ。

「あぁ。彼なら連絡がついた。ありがとう」

 零は、パラケルススの鎖を忌々しそうにさすりながら言った。

「もしかして、その十字架、あの外国人さんからのプレゼント、とか?」

 和也が何気なく質問した。

 零はギクリとした。

「どうして分かった?」

「だって、あの人、牧師さんの格好してたし」

 アーリオはカトリックなので、正確には、牧師ではなく司祭だ。だが小学生の和也に、その違いを今説明する気にはならない。

「この首輪はプレゼントなんかじゃない。パラケルススの鎖といって……」

 零が鎖の説明を、どう和也にしたものかと思案していると、

「パラケルスス? すっげー。天才錬金術師の? じゃあ、あの外国人さんて、もしかして、異端査問官?」

 和也が先回りして、アーリオの正体を一瞬で見破ってしまった。

「和也、お前、スゲエな」

 以前から薄々感じてはいたが、より一層、零は和也に自分の少年時代の面影を重ねた。

ならばとばかりに零は、寄木細工の箱から見つけた和時計盤をテーブルに置いてみせた。

「織田信長といえば……」

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス……オレ、戦国武将の中で一番好きなのが織田信長なんだ! 戦国ゲームじゃあ、いっつも信長を主人公にしてプレイしてるんだぜ」

 得意げにスマホを見せびらかす歴史好きな少年に、「学校で友達少ないだろ?」と笑いかけながら、零は、この和時計盤から何が連想できるか尋ねてみた。

「和時計盤の暗号の謎を、零と一緒に解けるの?」

 興奮し過ぎて、思わず声が裏返ってしまう和也。

 零は和也の様子に癒される思いで、コピー用紙を一枚取り出すと、和時計盤に刻まれている十二支と、意味不明の漢字を、拡大して書き出してみた。






              東


              卯


       鬼   寅     辰

       

        丑           巳


 北    子        ●        午   南


        亥           未


           戌     申 

          尾        ?

              酉

             上 


              西 





 和時計盤には、通常の十二支、つまり、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥が、それぞれ呼応する東西南北の位置に配置されていた。

 この和時計盤が奇妙なのは、戌のすぐ外側に「尾」という文字が、酉のすぐ外側に「上」という文字が、そして丑と寅の中間の外側に「鬼」という文字が刻まれていることだった。

 もう一つ、申のすぐ外側にも、漢字一文字が刻まれているようなのだが、その文字だけは摩耗が激しく、判別できなかった。

「なんだか、スマホアプリのなぞなぞクイズみたいだな。オレ、こういうの得意なんだよね」

 和也がワクワクした素振りで舌なめずりしている。

「頼りにしてるよ」

 零は和也の肩をポンと叩くが、あまり当てにはしていなかった。

 ところが。

「あ、オレ、コレは知ってる。北東にある『鬼』は鬼門を意味するんだろ?」

と和也は自信満々に、丑寅のすぐ外側に刻まれた「鬼」の文字を指差した。

「ほぉスゴいな。正解だ。昔の人は、災いは丑寅の方角、今で言う北東からやってくると信じ、その向きを『鬼門』と名付けて、色々と対策をしてきたんだ」

「対策?」

「家の、鬼門の方角には玄関や水場を作らない、とかな」

「風水ってヤツだろ? なんか聞いたことある! だけど、それ、本当に効果あるの?」

 和也が疑わしそうな目で零を見る。

「そんな顔するな。日本をはじめアジア各国では、この風水的思考は昔も今もしっかり根付いているんだぞ。国家プロジェクトとして都を造る際には、鬼門には必ず、邪気を封じ込める力を持った大規模な神社や寺を配置したんだ……京都なら御所を中心として比叡山延暦寺。江戸なら江戸城を中心として上野寛永寺、そして関八州なら同様に日光東照宮……。全部、時の権力者が鬼門封じに設けたパワースポットなんだ」

「へぇ」

 和也が神妙な顔で感心するのを教師のように見守りながら、零は、「あぁ、そうか」と数日前の直感的判断の推理根拠に触れた気がして、一人ニヤついた。

「なんだよ。気持ち悪いな。思い出し笑いなんかして」

 和也が眉をひそめ、身を引いている。

「あぁ……悪い。ちょっと思いついたことがあってな」

「なにを?」

「和時計盤をカラクリ木箱から見つけた前の日、オレはなんと、武田の財宝を発見していたのだよ」

 そう言いながら零は、わざと大げさに傍らのショルダーバッグからつづみを取り出し、和也に見せた。

「マジかよ! 武田の財宝!? てことは金銀財宝? 仏像? 宝石?」

 和也は目をまんまるにして、つづみから目が離せない様子。

「開けてみろ」

「いいの?」

 和也がゴクリとツバを飲み込み、緊張しながらつづみの蓋を開く。そして……、

「なんだよコレ。ガラクタじゃん」

 中身が古びた陶器製の台座一つだと知るや、和也のガッカリぶりは半端ない。

 予想以上の分かりやすいリアクションの変化に、零は愉快そうだ。

「まぁ、そうなるわな」

「これ、本当に武田の財宝なの?」

「あぁ……だがオレも最初は、何を意味するモノなのか判別できずにいたんだ。だけど、和時計盤を調べていて直感的に閃いた……コイツの正体が、十龍の水晶の台座だと」

「十龍の水晶?」

「天下取りの水晶とも言われる、知る人ぞ知る秘宝……日光東照宮の奥の座に保管されていたモノだ」

「日光東照宮……あ、鬼門のパワースポット」

 和也は、零との推理連想ゲームに必死に食らいついている。

「そうだ。オレはこの和時計盤が、もともと誰の和時計のものだったか気づいたんだ。数ヶ月前に発表された、日光東照宮の学術発掘調査報告書に写真付きで記載されている。ホラ、見てみろ」

 零は、パソコン画面に発掘調査報告書の和時計盤のページを出して、和也に見せた。

「ホントだ! さすが零だね」

「報告書によれば、天海大僧正の遺物の中から見つかったらしい」

「ということは、天海とかいうお坊さんの?」

「いや、恐らく天海が家康から貰った和時計のものだとオレは睨んでいる」

「徳川家康の?」

「だとすれば、和時計盤に記された鬼の刻印は鬼門を意味し、同時に江戸の鬼門である日光東照宮を示しているはず。日光東照宮に由緒ある宝といえば、十龍の水晶。十龍の水晶は最終的に家康の手に渡ったが、台座はすでに失われていた……台座といえば……という推理に辿り着いたわけだ」

「じゃあ、ニセモノの仏像を持ってきたあのオッチャンに感謝しないといけないね」

「偶然とはいえ、確かにな……まぁ、もう二度と会うこともないだろうが。でも、なぜ日光東照宮で最近発掘された和時計盤が、あの寄木細工の中に? 確か名古屋の古い蔵から見つかったといっていたが…」

 零は和也の指摘に苦笑しつつも、また新たな謎が芽生えた。

 和也の興味は、再び、和時計盤に書かれてある謎の文字群に戻った。

「ねぇ……西の一つ上にある漢字、イヌって読むんだよね?」

 和也は、『戌』を指差しながら尋ねた。

「あぁ、そうだが」

「イヌに尾っぽって、そのまんまだね。その下の、西のところは、トリだから鳥だよね。鳥は空を飛ぶから『上』なんだよきっと」

 和也は子供らしい直感的な推理で、『尾』と『上』がその場所に刻まれたであろう理由を口にする。

「そんでもって、鬼……か。あと、猿がいれば、完璧、桃太郎だったのにな」

 和也が何気なく呟いた。

「サルはいるじゃないか。酉の下……ン?」

 零は、『申』を指差して答えながら閃いた。

「鬼の位置は、丑と寅の間。つまり北東、鬼門の方角だ。そしてその鬼を退治するのは、鬼門と真逆に位置する申、酉、戌……なるほど、これぞ、桃太郎の完成だ」

 零は、何かと何かが頭の中で繋がっていくのを感じていた。

 真剣な表情で考え込む零を尻目に、和也は呑気に、桃太郎の童謡を口ずさむ。

「桃太郎さん、桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな。

やりましょう、やりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。

行きましょう、行きましょう、貴方について何処までも、家来になって行きましょう」

 歌い終えた和也を引き継ぐように、今度は零が、一言一言じっくりと味わうように、二番を続ける。

「そりや進め、そりや進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。

おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや。

万万歳、万万歳、お伴の犬や猿、雉子は、勇んで車をえんやらや」

「へぇ……桃太郎の歌に二番があったんだ。知らんかった」

 感心する和也に零は、次第に興奮した面持ちで、頭の中を整理し始める。

「鬼、上、尾……これはまさしく桃太郎を暗示する言葉だ。鬼は鬼ヶ島の鬼。尾は犬の尾、上は上空を舞う雉。となると最後のこの文字は猿に関連する漢字になるのか……しかし……」

「じゃあ、和時計盤に隠された暗号の答えは『桃太郎』なんだね?……どうしたんだ零? なんか、すごい顔だぞ」

 和也は、両眼を見開き、固まった零の表情に思わず息を呑みこんだ。

「……この潰れてしまった最後の文字……『魔』なら全てが繋がるぞ」

 零は、『申』の外側、判別不明な最後の文字に着目する。

 刻印がつぶれてはいるが、うっすらと『魔』という文字に読めなくもない。

「そうか……上、鬼、尾、魔……これらに共通するものは……そうだったんだ!」

 零が興奮する。上着を脱ぎ、歩きまわり、頭をかきむしる。

 それぐらい高揚しているのだ。感動しているのだ。

「あのアーリオという男の言葉とも合致する。全部符合するぞ!」

 一人叫んでいる零に呆気に取られながらも、和也は学校の授業では味わったことのない、トレジャーハンティングの奥深さの一端を感じ取ることができた喜びと、それでいて、零の興奮の意味を今ひとつ理解できない自分に悔しさを、同時に抱いていた。

「和也、お前のおかげだ!」

 零が和也の両手を強く握りしめた。

「痛いよ、なんだよ、いきなり」

 和也は面食らい、

「いい加減、説明してくれよ」

と零に推理の答えを急かす。

「そうだったな……スマンスマン。この、十二支とは関係のない4つの漢字の意味がなにか、分かるか?」

 零は、新しいコピー用紙に、大きく『鬼、上、尾、魔』と書き殴る。

「鬼門のほかは……」

 必死に考えるが、和也は『鬼』以外の三漢字については、何も思い浮かばず、お手上げ状態だ。

「そうだろう。そうだろう。分かるはずないよな。そうだよな。やっぱり無理だよな」

 零は小学生相手に、自慢したくてウズウズしているようだ。

「勿体ぶるなよ……帰るぞ」

 和也が不貞腐れる。

 零は、「待て待て」と笑い、大きく深呼吸をした。そして、

「これはな……桃太郎と織田信長が同一人物だったということを示す暗号なのだよ」

「桃太郎と信長が? マジ?」

 和也は一層混乱する。

 疑心暗鬼な眼差しの和也を尻目に零は、名探偵気取りで意気揚々と自説を論じ始める。

「いいか。和也が気づいた通り、この漢字4文字は、表向き、桃太郎を指した言葉だ」

「魔も?」

「魔と鬼は、同じと考えてくれ」

「なんで? 鬼は鬼門を指すんじゃないの?」

「もちろん鬼門や桃太郎についても暗示してはいるが、全く別の意味が隠されていたんだよ。確かに、『鬼』は鬼、鬼ヶ島。『上』は上空を飛ぶ雉、『尾』は尾っぽを振る犬、関係のなさそうな猿と『魔』も、猿は古来、鬼門封じの魔除けの象徴として祀られてきた事実がある。だが、それだけではない」

「ますます訳わかんなくなった」

「まぁ、焦るな」

 と、零が、「鬼――赤鬼。上――上総介かずさのすけ。尾――尾張守おわりのかみ。魔――第六だいろくてん魔王まおう」と書く。

「赤鬼? 上総介? 尾張守? 第六天魔王……」

 和也は瞳を輝かせつつも、まだ首を傾げている。

「これは全部、織田信長の別名だ」

 零が強く言い切った。

「!」

 織田信長の人生を記した一代記として知られる『信長公記』によれば、元服前の信長は、行儀が悪く、人前でもすぐに怒り出すところから、周囲から『赤鬼』と噂されていたと記されている。

 『上総介』は、天文十八(1549)年頃より信長が名乗っていた官位である。『尾張守』は、永禄九(1566)年の十市遠勝宛の大覚寺義俊書状に、『尾張守信長』と記されており、その官位はこの時期の信長に与えられたものに間違いない。

「スマホゲームにも出てきたよ。第六天魔王……これも信長のことなんだよね!」

 和也は、自分も零と同じ推理合戦に参加できていることが嬉しくて仕方がない様子だ。「信長が、敵対する比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじを焼き討ちした後、その非道ぶりを怒る武田信玄に対して自身で名乗ったとされる……第六天とは、仏教用語で、欲望に支配された浅ましい世界のことを言うんだが、信長は自らがその世界の魔王となって、仏教をぶっ潰すと宣言したわけだ」

 零はここに来て、導かれた推論に気づいた。

「ということは……信長の宝とは、鬼ヶ島の財宝ということなのか」

 興奮冷めやらぬ零は、和時計盤の暗号を解読したことで、ようやく信長の宝の謎に近づいたことを実感できた。だがまだ、十龍の水晶と台座、それに和時計盤に関連する多くの謎が残されている。

道のりは……遠い。



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