第3章
第3章
約二時間後、日光東照宮に到着した零は、脇目もふらず、東照宮の奥の座へと向かう。そこに奉納されているはずの『ある代物』を確かめにやってきたのだ。
しかし。
「なぜだ?」
零は言葉を失っていた。
そこにあるはずの『ある代物』がなかった。
「十龍の水晶が……ない?」
「あなたが血相を変えてここに来たということは、あの洞窟に封印されていた武田信玄の本当のお宝は、十龍の水晶に関係する何かだったってわけね?」
閉館時間を過ぎ、観覧客のいないはずの奥の座から、聞き覚えのある声がした。
零が振り返ると、シックなワンピース姿の瑠璃が立っていた。
「……」
「自己紹介がまだだったわね。私の名はクオン瑠璃。よろしくね、神代零……それより、トレジャーハンターZEROとお呼びした方がいいかしら?」
「……」
零は何も答えない。
ただ、呆然と奥の座の、空っぽの展示ブースを眺めている。
「ここに展示されていたお宝がどんなものか、プロフェッサー神代なら、もちろんご存知よね?」
瑠璃が意地悪く尋ねる。
「……」
しかし零は黙ったまま、何も答えない。
しびれを切らした瑠璃が、
「そこには、鎌倉幕府の開祖である源頼朝が、戦の吉凶を占うために自ら作らせたと言われる伝説の水晶『十龍の水晶』が鎮座していた……そうよね?」
と同意を求める。
「……」
零は、まだ黙っている。
相手は強烈なスタンガンを2発も喰らわせた女だ。油断できない。
仕方ないなという素振りで、瑠璃は話を続ける。
「頼朝の死後、十龍の水晶は、後に室町幕府を開いた足利尊氏の手に渡った。このことから、十龍の水晶には天下獲りの霊力ありと言われるようになった……時は下り、戦国時代、最初に十龍の水晶を手にしたのは武田信玄……信玄が手にしていた時までは、水晶と台座がセットになって存在していたことが、複数の書物から明らかになっているわ」
「……」
「信玄の死後、十龍の水晶は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、天下人の所有物として変遷していったことも分かっている……家康の死後、徳川の世がいつまでも続くようにと、天海大僧正が日光東照宮に安置させたと言われているけど、いつ、台座が失われたかは不明だった」
「……」
「というわけで、あなたが私を騙してゲットした一番小さなつづらの中身は、失われた十龍の水晶の台座だったってことでOK?」
瑠璃が勝ち誇ったような無邪気な笑みで尋ねた。
「その推理も、お得意の『AIさま』の分析のおかげか?」
ようやく零が口を開いた。
「ねぇ、見せてよ台座。持ってきてるんでしょ?」
瑠璃は、零のショルダーバッグに視線を送りつつ、甘えるようにせがんだ。
「断る。またぞろ、スタンガンで気絶したくないんでね」
「いいじゃない、見て減るモノでもないし……台座なんて、丸い水晶が転がらないようにするための、ただの置物でしょ?」
「……」
零の表情が一瞬だけピクリと反応する。
「見せて。台座」
「断る」
「なーんだ、天下のトレジャーハンターZEROって、意外とケチンボさんなのね。まぁいいわ。台座の重要性については、AIも指摘してなかったし。どうせオマケでしょ」
「……」
零の眉がピクンと動く。
零は、瑠璃の質問に答える代わりに、
「誰が水晶を盗んだんだ? アンタか?」
「そう……でも、まだなの」
瑠璃が意地悪く微笑む。
「まだ?」
零が怪訝に、空っぽの展示ブースを再度見直す。確かに、そこにあるはずの十龍の水晶は見当たらない。
愉快そうに瑠璃がククククッと笑いを噛みしめると、指をパチンと鳴らした。
その瞬間、展示会場全体に警報ベルが鳴り響く。
「?」
戸惑う零の目の前に、複数の警備員たちと共に、日光東照宮の総代、百瀬克己が駆け込んできた。
百瀬は、零と瑠璃を一瞥しつつ、すぐさま、奥の座の展示ブースに十龍の水晶がないことに気づいた。
「十龍の水晶が……な、ない!」
慌てふためいた百瀬は、自らタブレット端末を操って、強固に張り巡らされているセキュリティシステムをオフにした。
セキュリティが切れたことを確認した百瀬は、展示ブースの解説ボードに右手の掌をかざし、生体認証で鍵を開け、ガラスパネルをスライドさせた。
その瞬間、そこにいた一同は不思議な光景を目の当たりにする。
ガラスパネルが開いた途端、彼らは見た。しっかりとそこに鎮座する十龍の水晶を。
「水晶が……ある。さっきはなかったのに」
百瀬が頭を掻きむしる。
「どういうことだ?」
零の本能が危険を察知し、険しい表情で瑠璃を振り返る。
「こういうことよ」
瑠璃は意味深に笑いながら、目にも留まらぬ速さで展示ブースに駆け寄ると、水晶を掴み、煙幕ボールを投げつける。
一面の空気が白濁する。
「?」
パニックに陥る一同。
百瀬は、部下に警察への通報を指示するが時すでに遅しだ。煙幕が消えた時、そこには十龍の水晶と瑠璃の姿はなかった。
「しまった!」
零が俊敏に瑠璃の消えた場所へと駆け寄る。
すると、展示物の物陰に視覚マジックを利用して隠された、見慣れない二つのマシンに気づいた。
「これは?」
茫然自失の百瀬の問いに、零が苦虫を噛み潰したような顔で答える。
「一つのマシンは、空気中に霧を発生させ、水の微粒子で疑似スクリーンを生み出す仕組みのようですね。もう一つのマシンは3Dバーチャル映像投影装置……この二つの機能を組み合わせて、十龍の水晶が盗まれた後のニセの映像を作り上げていたんです」
ここにきて、全ては、瑠璃によって仕組まれた罠だったと認めざるを得ない零と百瀬。
「……両方とも、技術的には可能だと論文上では言われていたけど、まさか、すでに実用化されていたとは」
零は瑠璃が残していった2つのマシンの開発者に想いを巡らせた。
「いったい、何者なんだ?」
その刹那、上空から、人間搭乗型ドローンの電動ファンが発する微かなモーター音が聞こえてくる。
展示ブースの表へと飛び出すと、ドローンに乗った瑠璃が満面の笑みを浮かべ、勝ち誇ったように操縦桿を握っていた。
「さすがのトレジャーハンターZEROも、この私には完敗のようね。ごきげんよう」
瑠璃は高笑いを響かせて上空へと消えていく。
「人が乗るドローンが完成してるなんて、聞いてないぞ」
零が驚愕の表情で上空を見上げたまま叫ぶ。
瑠璃の去り際の言葉に、百瀬がハッとして零を見た。
「あなたが……まさか……あの有名な……」
部下の視線を気にすることなく、百瀬は零にすがりついた。
「トレジャーハンターZERO。いいえ、プロフェッサー神代。あなたのお噂は聞いております。なんとしても……なんとしても、十龍の水晶を取り戻してくだされ。あれは、天海大僧正さまが、家康さまの天下取りのために、太閤秀吉公亡き後、苦労して手に入れた由緒正しい宝。この日光東照宮の秘宝中の秘宝なのです。お願いです」
「分かりました。全力を尽くします」
「絶対に、絶対にお願いいたします。十龍の水晶が、悪しき願いを持つ悪しき者たちの手に渡ってしまい、万が一、結界が解かれてしまうようなことになれば、とんでもない災難が起こってしまうはずです」
「結界……とんでもない災難?」
「……この世の終わりです」
「まさか」
百瀬の言葉に、零は失笑しかけた。
だが、百瀬は笑っていない。真顔で零をじっと見つめている。
「……」
零は小さくツバを飲み込んだ。
百瀬は、荒い呼吸で零の両手を強く握りしめ、力説し始める。
「お疑いになるのも無理はない。私だって、こんな突拍子もないことをいきなり信じたわけではありません……こう見えて、私は、医師免許を持つ研究医でもあります。非科学的なものをそのまま受け入れる人間ではないのです。でも……総代のみに伝承されてきた、この東照宮の真実が数多くあるのです。たとえ、今の科学では証明できなくても、歴然とした事実として起きてきた数々の奇跡……それを知っている者からすれば、やはり、この絶望の未来だけは、なんとしても食い止めなければならないのです!」
百瀬は、思いの丈を零にぶつけた。
「あぁ……どうしよう……この世が終わる……」
百瀬はイライラと歩き回り続けている。
感情が高ぶると頭を掻きむしる癖があるようで、頭髪が薄いのも歳のせいだけではないようだ。
そんな、気が弱く善良そうな総代に同情した零は、希望の光を実感してもらおうと、言葉をかけた。
「少しだけ安心していただいてもいいかと思います」
「安心? なにを……」
百瀬は、零の言葉の意味が理解できずにいた。
「十龍の水晶にどのようなパワーが秘められているのか、確かなことはまだ分かりません。ですが、私が思うに、その力は、水晶だけでは発動しないはずです」
と言いながら、ショルダーバッグから小さなつづみを取り出し、蓋を開け、陶器の台座を百瀬に見せる。
「こ、これは……」
百瀬が絶句するのを見て、零は頷いた。
「十龍の水晶の台座だと睨んでいます」
「一体、どこから? 十龍の水晶が、武田信玄から織田信長に渡った際、いずこかへ失われてしまったはずでは?」
「やはりその伝承をご存知でしたか。実は二日前、山梨の黒山山系の、とある洞窟の奥から発掘したモノです。この台座に導かれ、ここに辿り着きました」
「山梨? 黒山山系……まさか、信玄公の……」
さすがは日光東照宮の総代だけのことはある。百瀬もまた、瞬時にそれが、武田信玄の財宝の正体だと悟ったようだ。
「源頼朝、足利尊氏、そして武田信玄、この3人が、十龍の水晶の所有者だった時までは、水晶と台座はセットで保管されていたことが記録に残っています。しかし、その後の……つまり、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康の時代のどこかで、台座は失われてしまった……」
零の言葉に百瀬も同意する。
「歴代の日光東照宮総代から代々受け継がれてきた言い伝えでも、天海大僧正さまが、太閤秀吉公亡き後、服部半蔵に命じ、家康さまの天下取りのために手に入れた際には既に、台座はなかったと伝え聞いております……その台座だけが、武田家のお膝元から発掘されたということならば、信玄公から信長公に渡る時点で、信長公の命を受けた者が、台座は不必要と判断して、十龍の水晶のみ手に入れたということでしょうか」
百瀬も、瑠璃と同じ考えのようだ。
「果たしてそうでしょうか」
零は、陶器の台座を手のひらに載せながら、考え込むように呟いた。
そんな零を、百瀬が不安そうに一瞥した。
同時刻。
そこは、きらびやかなステンドグラスで覆われた大聖堂。
荘厳なパイプオルガンの音色が奏でられる一角で、黒の祭服に身を包んだ一人の司祭がひざまずき、神に祈りを捧げている。
司祭の名はジャン・アーリオ。イタリア人のようだ。
目を閉じ、大聖堂の正面に鎮座する神と会話しているアーリオの肩を、背後から静かに叩く者がある。
アーリオは振り返りざま、驚いた。
視界に真っ赤なキャソックが飛び込んでくる。
背後に立っていたのは、枢機卿のコルテーゼだった。
「コルテーゼ枢機卿!?」
コルテーゼは中腰になると、うやうやしく頭を垂れるアーリオの耳元に唇を近づける。
「極東に向かいなさい」
コルテーゼの唇がわずかに震えている。
「?」
アーリオは、怪訝な表情で、畏怖する枢機卿の顔を見返した。
「結界が破られました」
アーリオの眼の色が変わった。
「ついに!」
コルテーゼは、ゆっくりと頷き返すと、
「今こそ、失われしバチカンの財宝を……奪い返し、決着をつけるのです」
と強く囁いた。
アーリオは厳しい眼差しで立ち上がると、コルテーゼに一礼し、大聖堂から出ていく。
そしてしばしの別れとばかりに、特徴ある半円形のクーポラドームを振り返り、見上げた。
荘厳なるサン・ピエトロ大聖堂。
ここは――バチカン市国・ローマ教皇庁である。