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第2章

第2章



 東京神田。

 神保町近くの路地にある古めかしい日本家屋。

 今にも朽ち果てそうな佇まいの一軒家だが、玄関前を子供たちが元気よく出入りしている。

 狭い間口だが、中に入るとオープンスペースとなっており、雑多な品物が所狭しと並べられている。

 看板すらなく、一見すると何屋なのか判別できないが、古めかしい仏像や骨董品が置かれているかと思えば、その隣のブースには背表紙の色褪せた古書が並んでいる。手前には、「一つ10円」の値札のついた駄菓子が無造作に箱ごと積まれたままだ。

 この店には三種類の常連客がいる。

 まずは子供たち。彼らはこの店を、自分の少ない小遣いでも楽しめる変な駄菓子屋と思っている。

 次に、時折真面目そうな顔で中に入っていく学者風情の者たち。彼らの目当ては、ここでしか手に入らない古書である。

 そして不意にやってくる骨董品マニアたち。

 店の名は、誰が名付けたのか不明だが、『不可思議堂ふかしぎどう』という。

 この店は普段、決して交わることのない客たちによって、細々とではあるが、随分昔から存在し続けてきた。

 2000年代になって、本屋と雑貨屋が融合したヴィレッジヴァンガードなる遊べる本屋が出現し、話題となったが、この『不可思議堂』こそ、約八十年前から同様なコンセプトで営業を続けている古本屋兼骨董屋兼駄菓子屋なのだ。

 今日も、そんな不可思議堂に、一見(いちげん)の客・相模がやってきた。

 小太りでメガネを掛け、頭頂部が少し寂しくなりかけているその背広姿の男は、不安そうに不可思議堂の店構えを見上げている。

 相模は、風変わりな店の雰囲気に面食らって、中に入ろうかどうしようか迷っているようだ。

 そんな風体を、店先で十円クジを手に、たむろっていた小学生の一人がじろじろと見つめる。駄菓子屋の常連客である小4の桐野きりの和也かずやだ。

 和也は、客が大切そうに両手で木の箱を抱えているのを見て、

「おっちゃん、骨董品売りにきた人?」

 相模は「いや……」と言葉を濁すが、

「零! 骨董品のお客さん! またまた二束三文のニセモノかもね」

 和也が店の奥に向かって叫ぶ。

「失礼なこと言うんじゃない」

 和也の声に反応して、店の奥からのそっと現れたのが、この店の店主だ。そして彼こそが神代零である。

 武田の洞窟で見せた精悍な眼差しは、この時の彼には微塵もない。

 小学生からタメ口で名前を呼び捨てにされても平気なこの男、顔の造りこそかなり上等なようだが、まばらな無精髭を生やし、髪はボサボサ。その風体は冴えなく、ダサイ。背中は猫背で、見るからに人生を投げ出した感が漂う中年男である。

 もっとも、ピンと背筋を伸ばして立ってしまうと、狭い店内に無造作に陳列された骨董品の数々に頭をぶつけてしまうからではあるが。

「どうぞ奥に。鋭い鑑定眼でピタリと値踏みいたします。もちろん鑑定料は無料です」

 相模は零に案内され、店の奥へと入っていく。

 惚けたように、雑然とした店内を見回す。

 初めて店にやってきた人間は、みんな同様の表情を浮かべる。

「物が散らかってる上に、小汚くて、すみませんね」

 零は、相模が心の中で思っていることを先回りして声に出した。

「いえいえ。そんな……あ、この鳥獣戯画ちょうじゅうぎがの模写。丙の巻ですね。本物を京都国立博物館で見ました。レプリカにしてはよく出来ていますね」

 見事に心中を読み取られてしまったせいなのか、相模は、慌ててフォローするかのように、咄嗟に目についた、何気なく壁に吊された鳥獣戯画の絵巻物の一枚を褒める。

「あれは本物です」

 零は事も無げに言った。

「京都国立博物館の方が模写なんです。情けないことに、博物館の連中は、自分たちのモノが本物だと信じ込んでいるようですけど……どうですか? 今ならお安くしておきますよ」

「ちなみに、おいくら?」

「一枚二千万円というところでしょうか」

「二千万?」

 相模は思わず息を呑んだ。

 そして興奮ついでに、

「じゃ、じゃあ、その隣にあるこの絵も……さぞかしお値打ちなんでしょうね」

と相模が指したのは、二千万の鳥獣戯画の隣に同じように吊された人物画だ。

「あ、それは今はやりの韓流アイドルの肖像画ね。駄菓子のオマケ。ついでにその隣のワゴンに入っている古本は一冊どれでも十円」

「この店……何屋なんですか?」

 相模は混乱した。

 疑問に思うのも無理もない。重要文化財クラスの鳥獣戯画絵巻の隣に、駄菓子の景品や十円の古本を並べる店など、世界中探してもこの店以外にはない。

 今更ながら、こんな店に来てしまったことを後悔し始めている相模を、零は愉快そうに見やりながら、

「さぁ。早速拝見いたしましょう」

 零は、古ぼけた応接セットに相模を案内し、木箱の中身を検める。

 中には、見るからに高そうな、古ぼけた小さな仏像が入っていた。

 相模が説明するところによれば、先日、名古屋に住む祖父が亡くなり、遺品整理に数人の孫たちが駆り出された。

 祖父の家の蔵には、豪農で庄屋だったらしい先祖代々からの骨董品が、いくつか収められていた。

 だが、素人目で見ても高価そうなモノはなかったようで、結局、相模は遺品整理のお駄賃として、ガラクタ骨董品の中から、この木箱に入った仏像を形見分けして貰ったのだという。

「かなり埃かぶっていましたし、こんなちっぽけな大きさなので、大した価値にはならないとハナから分かってはいるんですが、もしかしたら、もの凄い価値があるかもしれない、息子の大学進学のお金の足しになれば御の字だ、って女房からケツ叩かれましてね……いやぁ、私、こう見えて、妻には頭が上がらないんですよ」

 他人にはどう見えていると思っているのか、相模はそんな他愛もないことをくどくど喋りながら、零の鑑定を見守っている。

「いい仕事してますね」

 零は、仏像を一瞥するなり、感心するように言った。

「ということは本物ですか?」

 相模が身を乗り出す。

「いえ。きっぱりニセモノです。私が褒めたのは贋作師の仕事ぶりです。いやあ、ここまで、コテコテに作り込まれると、素人さんはコロッと騙される。高度経済成長時代の土産物屋用に作られた大量生産品ですが、原型師の腕がいいんですね。いい仕事です……そうですね三千円というところですか」

 零は、真面目な顔つきながらも、明るい口調で相模に対応する。

 持ち込んだ骨董品がニセモノで二束三文だと知った客の反応は、こういう場合、大きく二手に分かれる。

 そんなはずはない。もっとちゃんと鑑定してくれ、絶対に本物なのだ、と零の鑑定が信じられずに、尚もあがき、感情を激しく表に出すタイプと、こっちが見ていて、申し訳なくなるほどに落ち込み、どんよりと失望するタイプだ。

 だが相模は、そのどちらのタイプでもなかった。

「そんなぁ。困ります。女房からは、十万以上で買ってくれる店を探してこい。そうじゃないと、二度と帰ってくるなって、脅されてるんです。お願いしますよ」

 相模は零に泣きついてきたのだ。それも、恐妻を理由に。

「査定額がご不満でしたら、他へどうぞ……」

「……はぁ。そうします」

 相模が肩を落として、仏像を木箱に仕舞いかけたその時だった。

 蓋を閉めるが、なぜかうまくハマらない。

 怪訝な表情の零が、蓋と本体の継ぎ目に目を凝らす。

 その刹那、零の目が光る。

「ちょっと待った! その木箱は……」


 数分後、相模は、かなりの札束を指折り数えながら、ほくほく顔で不可思議堂を小走りに出て行った。

 そんな一見客の後ろ姿を見遣った和也たち小学生軍団が、驚きの表情で店の奥へと雪崩込む。

「本物だったの?」

「仏像はニセモノだ……しかし……」

 獲物を仕留めたハンターのような笑みを浮かべて、零は木箱を凝視している。

「箱?」

「ただの箱じゃないぞ……」

 零が器用な手つきで箱を触ると、実は不思議な寄せ木細工になっており、ただの板と思っていた部分がスライドする。

「うわっ! スゲェ!」

 和也の素直なリアクションに、零が興奮気味に説明する。

「昔のカラクリ箱さ……こういう箱には、今もそのまま秘密文書や宝物が隠されたままになっていることがあるんだ……」

 零がパズルのように寄せ木細工のスライドする部分をずらしたりハメたりを繰り返すとどうだ。フタとは違う場所がパカンと開いた。

 皆が見つめる中、そこから出てきたものは、真ん中に穴の空いた五百円玉を二回りほど大きくした直径の、錆びた金属製の円板だった。

「なんだこれ? ぼろっちい……コイン……じゃないし……」

「……」

 零は目を凝らし、じっとその円板を見ている。

「あ、何か書いてある。子丑寅卯……おれ、これ知ってる。十二支だろ……」

「和時計盤か……」

 零がぽつりと呟く。その眼差しは鋭い。

 日本の機械時計の歴史は、戦国時代、天文二十(1551)年にスペインの宣教師・フランシスコ・ザビエルが、周防の国の大名・大内おおうち義隆よしたかに「自鳴(じめい)(きょう)」と呼ばれるヨーロッパ製の床置きタイプの機械時計を献上したのが始まりとされる。

 その後も、ポルトガルやスペインの宣教師たちは、自国の流派のキリスト教を広く日本国中に伝来させるべく、その手土産として、日本全国の大名たちに対し、鉄砲と共に機械時計を献上した。だが、機械時計は、鉄砲がその後の日本の戦を百八十度変えてしまったほどの衝撃、つまりカルチャーショックを大名たちに与えることはなかった。

 その理由は簡単だ。

 ヨーロッパ製の機械時計は、現代の時計と同じく、定時法を原則とした一日を二十四等分したモノだったが、当時の日本では、不定時法と呼ばれる、季節によって大きく変化する昼と夜をそれぞれに六等分する暦と時間を使っていたため、ヨーロッパ製の機械時計では正しい時間を示すことができず、時計としては全く使い物にならなかったのだ。

 しかし、当時の日本人は、実にしたたかで実に天才的だった。

 天文十二(1543)年に、たった二丁の鉄砲が種子島に伝来後、翌年には、すでに近江の国友村で国産鉄砲の量産が始まっていたというのだから恐ろしい。そのわずか三十年後には、三千丁の国産の鉄砲隊を組織した織田信長が、それまで最強を誇っていた武田騎馬軍を駆逐したのだ。

 機械時計についても同様だった。それこそ、大名たちに献上された当初は、正しい時を刻むことができない、ただの観賞用の芸術品でしかなかったヨーロッパ製機械時計だったが、日本の職人が工夫を重ねることで、日本独特の十二支の干支を使い、季節によって大きく変化する日の出と日没の時間差も考慮に入れた世界的にも珍しい和時計といわれる機械時計を改良発明したのだった。

 和時計盤とは、その和時計の肝心要の部分、つまり、今の時間がいつなのかを知るための表示盤のことである。

 通常の和時計盤には十二支が刻まれており、それぞれが二時間の『時の間』に対応している。『時の間』とは、定時法の時計とは異なり、干支のそれぞれは、時刻に一対一で対応しているのではなく、時と時の間に対応しているのだ。すなわち、『子』は二十三時から一時の間、『丑』は一時から三時の間、『寅』は三時から五時の間、というように。

「あれ、でもおかしいぞ。十二支に『尾』とか『鬼』とかあったっけ?」

 和也が素っ頓狂な声を上げた。

 確かに、錆びた円板の表面には、十二支の文字以外に、その外輪に別の漢字が刻まれていた。

 それは、『上』『尾』『鬼』、そしてもう一つの文字は完全に潰れていて判別不能だが、確かに漢字一文字が刻印されているのが分かる。

「どういうこと? 上、尾、鬼……あと、なんとか……これ、なに?」

「さぁな……」

 零は、いつになく厳しい顔で和時計盤の謎に挑もうとしていた。

      


 目白から少しばかり池袋寄りに位置する緑に囲まれた広大な庭園を望む茶室。

 その亭主座で、優雅な和服姿の美女が茶を点てている。瑠璃だ。

 しかし今の瑠璃からは、武田の洞窟の中で魅せたボディスーツに身を包んだ、あの戦闘的な雰囲気は全く感じられない。

 そこへ、茶室のにじり口から身をかがめつつ、折り目正しそうな装いの初老の執事・天童が入ってくる。

「お嬢様」

「あの男の正体は分かったの?」

 抹茶を点てながら、瑠璃は視線を逸らすことなく天童に問うた。

「データを送信いたしました」

 その言葉に肯くと、茶釜の蓋を閉める。

 するとどうだ。

 茶室の壁が反転し、茶室全体が地下へと沈下する。

 そして茶室が完全に地下に収納された時、そこは、様々な最先端端末の電子機器に囲まれた情報管理ルームに変身した。

 瑠璃が監視モニター手前の液晶パッドに掌を押し当てる。掌紋センターになっているようだ。

 合成音が「掌紋・指紋・静脈一致。体温正常。クオン瑠璃さまと完全一致。起動します……本日のラッキーナンバーは8です。ラッキーアイテムはラムスキンのジャケット」と答えつつ、部屋全体のシステムが一瞬で起動する。

 情報管理ルームの片隅には、瑠璃が洞窟で手に入れた2つのつづみがあり、蓋が開けっ放しになった状態で無造作に放置されている。中身の金銀財宝もそのまま手つかずだ。

「お嬢様、見事、手に入れました武田の宝物群ですが、どのようにいたしましょうか?」

 天童が静かに尋ねる。

「私はお宝をゲットしただけで満足なのよね……コレクションルームに」

「かしこまりました」

 天童は無表情のまま、2つのつづらの前に歩み寄ると、静かに蓋を閉めた。そして空中で指を鳴らす。

 すると、壁の巨大モニターに、突如、零の顔とプロフィールが映し出された。

「神代零……職業、駄菓子屋兼骨董品屋兼古本屋の主人? なにこれ?」

 瑠璃は、うんざり顔で天童に振り返った。

「真実でございます」

 天童は真顔のまま答える。

「駄菓子屋の店主が、どうして武田信玄のお宝を? 考古学や戦国史についてもかなり詳しい感じだったけど」

「それもそのはずです」

 天童が空中で指を動かした。すると巨大モニター画面に変化があり、別の画像と文字が浮かび上がる。

 その画面を見た瑠璃の顔がみるみる高揚していく。

「彼が、あの……トレジャーハンターZEROなの?」

「どうやらそのようでございます……神出鬼没の凄腕財宝発掘屋にして、天才歴史考古学者、プロフェッサー神代……これまで彼が発見したお宝は数知れず。しかし、その正体はほとんど知られていない伝説の男。お嬢様もご存知でしたか」

「名前だけはね」

 瑠璃はモニター画面から視線を外すことなく答えた。

 天童は、「それにしても……」と、ぼやき口調で続ける。

「トレジャーハンターZEROの語源は、彼が発掘した後には、一銭銅貨の一枚すら残っていないほど、全てを強奪し尽くす強欲さからつけられた悪名だと言われておりましたが、実際はなんのことありません。名前の『零』からつけられたものだったのですね。少しがっかりいたしました、はい」

「なるほどね。へぇ、伝説の人物って実在したんだ……ふふ、彼、とことん利用できそう……」

 瑠璃が意地悪そうに微笑んだ。

「お嬢様……またそのような下品なお考えを。お恥ずかしいとは思わないのですか」

 天童が眉をしかめ、瑠璃に意見する。

「男性を利用できるか否かでご判断するのは、はしたないからおやめ下さいと、何度も申し上げているはずです」

 その言葉に瑠璃が反応した。

「天童。あなた、いつから私に指図できるようになったの?」

 瑠璃が天童を睨みつける。

「ずっと前からです。お嬢さまがまだオムツをされている頃から」

 天童も負けじと言い返す。

「天童!」

 いきなり瑠璃が天童めがけ、鋭い手刀を浴びせる。

 一瞬ハッとする天童だが、次の瞬間、初老とは思えない身のこなしでバク転し、防御のポーズを取る。

「まだまだ、その腕、鈍ってないようね」

 嬉しそうに瑠璃が呟く。

「お戯れもいい加減になさい」

 天童もまんざらでもないようだ。

「……ふふ。神代零……しばらく退屈しないですみそうね」

 瑠璃は後ろを振り返り、モニターに映る零の写真を見つめながら妖艶に笑った。


 翌日。

 和也がいつものように学校帰りに不可思議堂を訪れると、慌ただしく店じまいする零の姿があった。

「悪い。しばらく留守にする」

 店先で零はそう言うと、駄菓子の山を段ボールごと、どっさりと和也に渡す。

「なんだよこれ」

 戸惑う和也に零が、

「みんなに配ってくれ。しばらく留守にするお詫びだ」

と笑う。

「またどっか行っちゃうのか?」

 和也がだんだん不安そうな顔つきになっていく。

「そんな顔するな。みんなにも約束を伝えてくれ。食べていいのは毎日百円分のみ。それ以上食べると、すぐに無くなっちゃうし、虫歯になるしな」

「ねぇ……すぐ戻ってくるよね」

 和也が泣きそうな顔で零に問いかける。

「オレが戻って来なかったことあるか?」

 零は、ポンと優しく和也の頭に手をやり、店の中へと入ると、シャッターを閉めた。


 店の奥へと入っていく零は、巧妙に設計された隠し扉を開け、地下へと続く階段を降りる。

 するとどうだ。

 築80年の今にも朽ち果てそうな古ぼけた一軒家の地下には、最新鋭の整備器材満載の秘密のガレージが広がっている。

 そこに鎮座するのは、昭和の幻の名車・TOYOTA2000GT。

 零は、古物商&駄菓子屋の店主として階上の店に立つ時以外はほとんど、この地下ガレージにいて、いつでも出動できるように、2000GTのリストアするのを日課としていた。

 地下ガレージの隣の研究室には、最新の研究機器がずらりと並び、数々のモニターには、零が現在研究を続けている『何か』のデータが映し出されている。

 幾つかの研究対象の中の一つに、先日、洞窟の奥から持ち帰った一番小さなつづらがあった。

 自分たちより前に、盗掘者があの祠まで辿り着いた形跡はなかった。

 しかし、最重要な秘宝が奉納されているはずの一番小さなつづらの中には金銀財宝は一切入っておらず、唯一、つづらの底にポツンと張り付いて残されていたのは、古ぼけた陶器の台座だけだったのは何故か?

「最も価値のある宝は、すでに奪い去られたということなのか。いや、そんなはずはない。とすると、あの台座が……そうか!」.

 零は、中身が期待外れだと残念がってはいなかった。いや、むしろ、喜んでいる風にも見えた。何か閃いたように、パソコン端末を操作して研究対象の一つを呼び出す零。

 画面上には日光東照宮の奥の座に展示されている『(じゅう)(りゅう)の水晶』が面妖な輝きを放っている。

「まるで天に導かれているようだ。武田勝頼が死ぬ直前に遺した、この古ぼけた陶器の台座と、この前、偶然手に入った、錆びつき、いびつな文字が彫られた小さな和時計盤。本来結びつくはずのないこの二つが、もしも『あるキーワード』で繋がっているとするならば、次に目指すモノはコレしか、ない」

 そう自問自答を重ねた零は、陶器の台座をつづらの中に戻し、和時計盤を上着のポケットに仕舞い込む。そしてつづらをショルダーバックに入れて荷物を纏めると、2000GTに乗り込んだ。

 不可思議堂の裏庭の一角の地面がスライドし、地下ガレージからのスロープが浮かび上がる。

 零の運転する2000GTが、YAMAHAと共同開発されたエンジン特有の甲高くも心地よいノイズを立てて発進する。

 駄菓子が入った段ボールを抱えて歩いていた和也の横をすり抜け、2000GTが走り去る。

 和也は一瞬、2000GTの運転席でハンドルを操る零の横顔を見逃さなかった。

 それは、和也の知る、いつもヘラヘラして猫背のだらしない零の横顔ではなかった。まるで別人のように精悍で凛々しかった。

「今の……零? まさか……」

 和也は呆然と2000GTを見送った。

 路地を走り去る2000GT。その勇壮なシルエットを、いつの間に現れたのか、上空の最新式小型ドローンが追う。

 ドローン下部には超高性能カメラがついており、カメラレンズは、零の2000GTをずっと追い続けている。


 突然、瑠璃の茶室地下の情報管理ルームでモニターが警告音を鳴らした。

 そこに映し出されているのは、零の運転する2000GTだ。

「お嬢様。ターゲットが動き出しました」

 ドローンを仕掛けたのは、瑠璃の指示を受けた天童だったのだ。

 映像を一瞥した瑠璃は、何かに気づき、

「天童、助手席をズームして」

と命じる。

 天童は宙で指をタップし、操作する。

 ズームアップされた超高解像度のカメラ映像が、2000GTの助手席に置かれたショルダーバッグを映し出した。

「バッグの中身は?」

 すかさず天童が遠隔スキャン解析結果を提示すると、透過された小さなつづらと、更にその中の台座らしき荒い画像が映る。

「あんなつづら、なかったはず……あいつ、私をたばかったつもり?」

 瑠璃の目が獣のように鋭く光る。

「天童、行き先は?」

 瑠璃の指示に、天童が空中で指を何度かタップして、スーパーコンピューターの最新鋭解析アルゴリズムAIに推測させる。

 まだ世の中に出ていない最先端AIが、2000GTの位置データだけでなく、偵察ドローンから入手した零の視線の動きや、停車中に零が操作したスマホのタッピングデータさえも解析し、即座に目的地を割り出した。

「目的地は日光東照宮です」

 瑠璃は謎を解く鍵に気づき、立ち上がった。

「神代零の次のターゲットが分かったわ!」

 次の瞬間、瑠璃は着物を脱ぎ捨てていた。

 そして――。

 広大な屋敷の一角にある巨大なガレージの天井が開くと、ガレージ内から、4つの回転翼を持つ人間搭乗型ドローンが音もなく浮上する。

 操縦しているのは瑠璃だ。

 これも、まだ商品化されていない秘密裏に開発されたプロトタイプである。

 瑠璃の乗ったドローンは北東へと進路を向けた。



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