情報収集(4)
お母様はずいぶんと暇だったらしい。
私が部屋に入ると同時ににこにこと笑う笑顔が見えて安心した。今日の母はずいぶんと機嫌がいいらしい。
「お茶会のお誘い、とってもうれしいわ。とびっきり美味しいお菓子を準備したの」
母はアメジストのように美しく光る深い紫色の瞳をころりと丸めながらこちらを見つめた。部屋で着ているには豪奢な白いレースだけで作られたドレスは、その瞳と金色の瞳によく似合っている。
赤いベルベッドの大き目のソファに腰掛けた母は動く人形のように見えた。美しすぎる白磁の肌のせいなのか、それとも完璧な位置に完璧なパーツを配置された美しい顔立ちのせいだろうか。
母の目の前にある小さなソファによっせと腰を下ろす。それから目の前の母をもう一度見つめた。
一目見ただけで高貴な存在とわかるのは、母が持つ圧倒的な美しさと存在感のせいだろう。
私の金色の髪は間違いなく母譲りのものだ。だが、母のごとくこの髪が美しいかといわれると、頷くことなど決して許されないだろう。
それほど、母の美しさは圧倒的なものなのだ。
「アイラちゃんはミルクティよね。私も同じものにするわ」
母の後ろに控えていた女性がその一言に反応して音もなく動き始める。食器に触れているというのに音が一つもならないのはメイドいう食堂の中でもトップレベルの人間だけが持つ特殊能力なのだろうか。
私のすぐそばで控えているロイグがその手先を貪るように見つめている。やはり同じ従者という職業柄、そういう勉強のようなものはあるだろうか。
ほとんど待つことなく、目の前にするりと茶器が置かれた。母がすぐにミルクティに口を付けたので、それに合わせてすぐに啜った。
「お母様、お忙しいときに申し訳ないです」
「アイラちゃんとの時間より大事な予定なんてないもの」
ふふ、と母が笑いながら目を細めて笑う。
改めて思う。この人は美しい。目の前の美しい人は子育てのいいとことりだけをしたようなものだけれど、この世界の貴族なんてそんなものだ。
輝く髪は一本たりとも乱れることなく、指の先まで磨かれたその肌には傷なぞあるわけもなく、完璧なまでに全てのバランスを整えている。
子供一人を生んだとは決して思えないような肌艶も、体型維持も、この人の努力のたまものだろうと思うと、何故かほんの少しだけ、悲しくなった。
「それでどうしたの? アイラちゃんからのお誘いなんて珍しいから、少し驚いたわ」
本当に少し驚いたのだろう。私の瞳を覗き込みながら母は探るように言った。
とは言っても、私としてもなんと切り出すのが正しいのか悩んでまごまごと言葉探しに目をうろうろとさせてしまう。
「ええ、っと」
「あら、何か言いづらいこと?」
「言いづらいというか」
「……アイラちゃんがそういうの、珍しいわね」
そう言いながら、母が「こちらにいらっしゃい」と座っていた広いソファの自分の隣をぽんぽん、と優しく叩いた。呼ばれるがまま、母の隣に座る。
隣に私が座ると同時に、母が優しく私の頭に触れる。ふんわりと、甘い百合の香りが鼻先をくすぐった。
「この髪の色、アイラちゃんとお揃いなのよね」
嬉しそうに言う母に、なんと返していいのかわからなかった。母は慈しむように私の髪に触れる。くすぐったい感覚に身を軽くよじる。
アイラとして生まれてから、こういったスキンシップをとった記憶がどうにも遠い。だから、どうしていいのか、いまいちよくわからない。
「……そうですね。目は、お父様とお揃いです」
「そう。アイラちゃんは、私とアーディの可愛い娘なの」
母が、そう言いながらぎゅう、と私の身体を抱きしめた。
否、抱きしめるというよりは、抱き着くに近いような姿勢なのだろう。母として子供を抱くのに慣れていない、そんな手つきに感じた。
思えば、目の前の美しすぎる母はいつもどこか遠くから私を見ていたような気がする。
「アイラちゃん、ちょっと前までこんなにちっちゃかったのに」
そういいながら母は両手で拳一つ分くらいのサイズを示す。
さすがに赤ちゃんであってももっと大きなサイズのはずだが、きっとこの母親には本当にそれくらい小さな存在に見えていたのだろう。
「それでどうしたの? 私、アイラちゃんにお願いされたいわ」
ふふ、と母が私に笑いかけて、嬉しそうに耳元に口を寄せた。
甘い香り。母の香り。
ほんのり感じる母の暖かさが胸の奥にじんわりと響くような気がした。触れられないはずの心臓が、妙にぽかぽかと暖かい。
「あの」
「なあに?」
「お母様、私、今お金の勉強しているんです」
なんといえばいいのかわからずそう言えば、母はきょとんと眼を丸くした。
五歳の人間がこんなこと言うのは変だろうか、なんて頭をかすめたけれども、他にどう言葉にしていいかもわからない。
余計な言葉を自分が挟まないように、慌てて次の言葉を準備する。
「本で、読んで、ダイキリ先生にも教えてもらっていて。その中で、おうちのお金を整理っていうのがあって、その、我が家の場合はどうなのかなって、すごく、興味があって」
まごまごするし、本当に言い訳が過ぎる。五歳で家の家計簿に興味を持つ理由なんて残念ながら私には思いつかない。
「あの、その、そういう、おうちのお金の管理をする表みたいのがあれば、本物が見てみたいな、と、思ってしまって……」
徐々に自分の声が小さくなっていくのがわかる。
頭のおかしい子だと思われていないかと顔があげられない。なんだこの下手な言い訳は。自分で思うが、口を開けばまた失敗の上塗りになりそうで、これ以上は口を開けなかった。
しばらく黙っていた母だったが「んー……」と少し困ったように呻く声が聞こえて、おそるおそる顔を上げた。
母は苦笑いともなんとも言えない、眉を下げた顔をした。
それから、ゆっくりと口を開いた。
「アイラちゃん、お金を管理する表って、なんのこと?」
母が何を言っているのか理解するのに、少しだけ時間がかかった。
「……え」
「まあ、この家で使うお金は私が好きにしていいとは言われているわ」
「好きに……?」
「ええ。そうよ」
母はにっこりと笑った。嫌な予感が背中をするりと駆け上る。
「そう言ったものを管理させているものもいないのですか?」
「特にないわ。足りなくなったらアーディに言うだけですし」
「なる……ほど……」
す、と血の気が引いていくのがわかった。
これはダメだ。これだけ大きなお金が動いているのに、その管理すら一切されていないのだろう。しかも今の口ぶり、間違いなく「収支」という概念はなく、お金は父に言えばいつでももらえるようなものだとこの母は思っている。
金融リテラシーなんてものではない。お金という概念自体が壊れている可能性がある。
「アイラちゃんは本当に賢いのね。将来はお父様のように文官になられるのもいいわ」
母が幸せに頬に手を当てて、うっとりと私を見つめた。
その目の前で「ありがとうございます」というだけで必死だった。
私のやるべきことが早速決まった。
「お母様、私、家計簿っていうものを書いてみたいです」
私の死を避けるには、まずここからだ。