情報収集(3)
食事が終わるとお父様は足早に屋敷から出てしまった。国から任されてお仕事も、領民への政治もしなければならないのはよっぽどな仕事量になるのだろう。
政治や仕事に関しては本当に私の手に負える部分ではない。
お父様はいなくなってしまったものの私はまだ午後に急ぐことはない。のんびりといつものように食堂で食後のお茶を楽しむことにした。
「アイラ様、ミルクティーでよろしいですか?」
「ありがとう」
こくり、と小さく頷くとロイグは手元のポットから美しいティーカップに紅茶を落とした。カップの中にはもう牛乳が入っていたらしく、注ぐと同時に紅茶が美しく濁っていく。
この年の人間がみなそうなのか判断付かないが、極度の猫舌だ。それをわかった上で非常に飲みやすい温度で差し出してくれるロイグは本当にプロの執事だ。
「ご一緒のお菓子はクッキーでよろしいですか?」
「ええ、ありがとう」
小さく頷いて返せば、いつの間にか準備されていた小さなクッキーの山が目の前に置かれる。
おかれた瞬間からわかる、バターとお砂糖の香り。今の生活においてクッキーやケーキなんて日々の舌を満たす何とも思わないものだが、生前の記憶が戻ってからは違う。こんな高級な食べ物を、大して味わうこともなく胃の中に流れ落としていた。
前世の私は、小さな飴すら食べることを許されなかった。あのときの私が見たら、このクッキーの小さな山をどう思うのだろう。
「お嬢様?」
ぼんやりとその山を見つめていると、小さく声がかけられた。は、として顔を上げるとすっかり眉を落としたロイグが私を見ていた。
「なんでもないの」
小さく頭を振って、山からクッキーを一つ拾って口の中に入れた。
ほろほろとした小麦粉が口の中で砕けて溶け、ふわりと浮かぶバターの香り。そして何より極上の甘さが口いっぱいに広がる。
なんとも、贅沢。
こんな幸せな生活ができるのだ。やはり世の中、お金が全てだ。
できる限りこの生活を失うことなく、そして死からも逃れられる方法を私は探さねばならない。
そうなると、やはり私が気になるのはこの家の収支バランスだ。
小さなことからコツコツと。
そう、家計簿が見たい。
「ロイグ、教えてもらいたいのだけれど」
「私にわかることであれば、なんなりと」
「この家のお金の管理って、誰がなさっているの?」
深々と頭を下げたロイグにそう尋ねると「え」と小さくロイグが声を漏らし、それからゆっくりと頭を上げた。見えた顔の中には、隠されもしない怪訝そうな表情が浮かんでいる。
それもそうかと納得するところはあるものの、直球以外の質問がすぐに浮かんでこなかったのだから許してほしい。
言葉ベタはずっと変わらない。
「スコッチ家のお金の管理ということですよね?」
ロイグが少し考え込むように首を捻った。「んーと」と唸るような声をあげている。
「私のお伺いしている範囲になりますがよろしいですか?」
「もちろん」
ロイグが嬉しそうに小さく頷いた。それから考えるように視線を斜め下にずらしながらゆっくりと口を開く。
「スコッチ家の身様の日常に使う食費や管理費、そして私たち従者、召使いの人間の管理や給与、普段の生活費に関しましては全てカリラ様、奥方様が行っていらっしゃいますね」
「お母様が」
予想外だった。
お母様がお金について管理しているイメージは全くなかった。いつもお父様に「あれが欲しいわ」だったり「あの子を召使いにしたいの」と言っているイメージしかない。だから私はてっきりお父様か、もしくはお父様の従者の誰かがやっているものとばかり思っていた。
私のオウム返しで疑問を理解してくれたようで、ロイグは小さく頷いてから言葉を返した。
「旦那様はスッコチ家が治めている町に関するお金を管理しています。もちろんお手伝いしている従者もたくさんおりますよ」
「そういうことなの」
簡単な言葉に直せば「家のお金は妻に任せている」なんていう現代的なシンプルなお金の使い方らしい。
しかしそれならお父様に聞くよりも楽かもしれない。お父様は家を空けることも多いが、お母様は比較的家にいる機会が多い。
家計の話は案外すんなり聞けるかもしれない。
そうとわかれば話は早い。
「ロイド、お願いがあるの」
「お母様の午後の予定を確認致しますか?」
「ええ、お会いしたいの」
「すぐに」
ペコリ、と頭を下げるとロイドは部屋から去っていった。
なんと出来た従者だ。若いというのにすごい。
どちらにしてもお会いできるのは少し先になるだろう。私はこのクッキーをできるだけゆっくりと楽しむことにしよう。
もう一つクッキーを口の中に放り込みながら、どうやって聞けば違和感ないかを考えた。
五歳の知識と言葉がどんなレベルなのか考えてしまう。
「……前世と合わせれば四十歳を超えているものね」
そう自分で考え、妙に複雑な気持ちになった。