1.私、転生しました
目が覚めた。
え、と思うより先に、妙に遠い天井の高さに、パタパタと瞬きをした。
深い紺色に金色の美しい装飾が描かれている。部屋の中央には見慣れた鷲をモチーフに描かれた紋章は私の脳裏に刻み込まれた、スコッチ家が代々背負っているものだ。
そう、私はスコッチ家長女なのだから。
「……そう、私は、アイラ・スコッチ」
深呼吸しながら脳の混乱と戦い始めた。
そうだ、私は、アイラ・スコッチ。トワイスアップ王国の公爵家長女。
父は現国王の従妹、スコッチ家当主にして王国の尚書、つまりは文書をつかさどる大臣格であるアードベック・スコッチ。
母は現国王の二番目の妹にして、王国の金糸雀と称されるカリラ・スコッチ。その歌声は、人々を魅了する美しい容姿と相まって国を転覆させると言われている。美しい金色の髪とアメジストと称される深い紫色の瞳は王族の血が濃いことの証明だ。
そこに生まれた娘が、私、アイラ・スコッチである。
五歳の誕生日を迎えたばかりの幼い娘に両親はたっぷりすぎるほどの愛情をかけ、昨日の誕生日パーティーも盛大すぎるほどの規模で開催された。起きた瞬間、まだ胃の中に昨日詰め込まれた大きなケーキの一部が残っていることに気が付いた。
そのはず、なのだけれど。
瞬きをすると、青いワゴン車が私の身体を大きく跳ね飛ばした一瞬が鮮明に浮かぶ。浮遊感と、地面に落ちた瞬間に全ての意識が刈り取られたこと。脳が知るよる先に、身体が飛んだ瞬間に一瞬にしてわかってしまった『死の瞬間』を思い出す。
鳩尾の辺りが一気に冷え込んだような気がして、ころりと寝返りを打ってから身体を丸くした。一気に脳内によみがえったその瞬間に、ようやく混乱した脳内が理解した。
私は一度死んだ。そして、その記憶を持っている。
は、と息を吐き出すと同時に、交通事故死する可能性なんて0.00003%程度だというのになんとも疎かな人生を歩んだ人間だったのか。
そっと部屋の中に誰かが入ってきた小さな気配がした。少し慌てたような、だが音を立てないように必死に気配を消すその足音。
聞きなれたその音は私を起こすためにやってきた彼の足音だ。
「自分で起きられるから朝の挨拶はいらないと言っているのだけれど」
ゆっくりと身体を起こしながら、いつもと同じぽやぽやとした笑顔を浮かべる幼い少年に目を向けた。これからの成長に期待されているのか、全身二回りは大きな執事服もどきを身にまとっている。袖も随分長いのだろう、ワイシャツの袖は三度ほどくるくると折り返されていた。
「アイラ様、おはようございます。朝ですよ」
「知ってる」
いつもと全く同じそのセリフに、私も飽きることなく同じセリフで返す。目の前の少年はそれで満足したのか、軽く一礼すると大きなバルコニーが設置されている窓のカーテンをゆっくりと開いた。
差し込む朝日に目を細める。
今日もいいお天気だ。
こうしてパタパタと目の前を動き回るのは、私が四歳になると同時につけられたお目付け役兼お世話係、将来の執事役となるロイグ・ラフだ。ラフ家はスコッチ家と代々懇意にしており、これもその一環だとお父様より聞いている。
八歳ほど年上ではあるものの、幼い私の目から見ても、他のお世話をしてくれる大人たちよりははるかに子供だった。だが、周囲に大人ばかりしかいない私にとっては、気の置ける存在になっていた。
「昨日はお疲れ様でした。いつもより随分とお食事を召し上がられていたようですが、朝食はいかがいたしますか?」
「まだお腹がいっぱいで食べられる気がしないの」
「そうかと思いました。ではヨーグルトと紅茶だけお持ちしますね」
少年はにっこりと笑って部屋から一度出ていった。入れ違いに侍女のミモザとキティが部屋の中に入ってきた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう」
侍女の二人に言われるがまま顔を洗い、髪を結われ、軽装とは言え豪奢なドレスに腕を通す。鏡の前に立たされて改めて自分を見返すと、不意に浮かんだもう一人の自分が浮かんできた。
死んだ私と今の私は似ても似つかない。
死んだ私が五歳くらいのときには、着るものに困り、食べるものにもっと困っていた。今の私は母譲りの美しい金色の髪に、父譲りの透き通った灰色の瞳を持ち、美しい服を毎日身にまとうどこからどう見ても良家のお嬢様だ。
昨日まではそれが当然いつもの私だったというのに、妙な記憶が頭に浮かんでからはなんだか落ち着かない気分になる。
「本当にお嬢様は可愛らしいです。これからもっとお綺麗になっていくのでしょうね」
「今日のドレスもお似合いです。今日は青にしましたので、明日は赤にしましょうね」
「……ありがとう」
楽しそうに髪飾りはどれにしようか、靴はどれにしようかと話している二人の前で何も言えなくなってしまう。かわいいとか、きれいとか、そういうものがよくわからない。
「お嬢様、朝食をお持ち致しました」
「ありがとう、今食べる」
ちょうど身支度が終わったところでロイグが帰ってきた。机に置かれたのは小さな器に入った真っ白なヨーグルトだった。この量なら胃の中に入っても問題なさそうだ。
口の中に放り込んだヨーグルトは、甘さの入っていないシンプルなプレーンヨーグルト。そのすっきりとした酸味に心がほぐれる。
とにもかくにも、私は前世の記憶を取り戻した。
***
この人生で何度目かわからないマナー講座を受けながら、私は思い出した。
毎日口にしているは耳にしているは、そもそも生まれたことからものだから違和感なく過ごしていたこの名前のことだ。
『トワイスアップ王国』『アイラ・スコッチ』『ロイグ・ラフ』
聞く人が聞けば妙にアルコールの匂いが浮き上がるこの名前は、どう考えても作為的なものがある。
そしてその名前、私にはよく知るものだった。
インターネット広告に惹かれて購入した女性向け恋愛シミュレーションゲーム『恋に酔うのは夢か現か』のキャラクター名だ。
お酒の擬人化とも言われていたゲームで、スマートフォンで簡単に操作できるのでついつい課金しながらプレイしてしまったゲームだ。王道中の王道とも言われるストーリーだが、作中に出てくる食事が美味しそうだったことと、案外虚を突く物語が特徴で、死ぬ前の私は毎晩寝る前に少しずつ進めるのが小さな楽しみだった。
だから憶えていた。大事なことを。
――私、処刑される。
思い出した瞬間に、盛大に持っていたフォークとナイフを皿の上に落とした。いつもはすることのない失態に、先生が驚くように何度も大きく瞬きを繰り返した。