第1章「巨人殺し-Giant killing-」 四 切札
この巨大猿は元々はこの山に住んでいない。だから、よそモノである。
そんな、よそモノがここを住み処とする住人から攻撃されることは想定済みだった。そう何度と経験してきたからだ。
そのためにも自分に襲いかかるモノは極力、対応しなければならない。新たな自分の居場所を守るためにも。
それでもこの人間、アデルは巨大猿の考えを凌駕していた。それゆえ、混乱をし始めていた。
少数だからといって極端に強いわけではない。小さいから弱いわけでもない。何より、負ける気や逃げる気配はない。
幾ら自分の居場所を守るために一所懸命戦えど、命をかけてまで一生懸命やる理由は巨大猿にはなかった。よそモノだから。
これ以上はアデル、子供に相手をしていられない。そもそも、巨大猿は体格差で気にせずいたが、相手の手のひらの上で踊る必要などなかった。
木の覆い茂る場所こそが自身の領域。たとえ、別の山であっても。
つまり、この少年には勘違いしていた。
巨大猿にとって彼らが大人の背丈なら、このような間違いはしなかっただろう。
その意味ではアデルの策はうまく嵌まっていた。
だから、巨大猿は逃げようとする。むしろ、自分にとって有利な場所に移動するためにも。
しかし、そこもまたアデルには想定済みの範囲。そして、アデルは戦闘中から別のことに気がついていた。
ヨーが散々、【吹雪】を放ったことで、地面は水気を含み緩くなっていることを。
ただ、これ自体は戦闘にはあまり支障はなかった。
それでも、戦闘開始前に比べて、場が水に傾いている。ヨーはあまりそのことに気がついていない。だから、アデルは大声で伝える。
「ヨー、場が水で傾いている。足下を凍らせろ」
アデルは以前、高名な魔術師から魔法の基礎を教わっていた。
そして、ヨーからも自身の魔法について聞いていたし、その性格的な部分も把握していた。
ヨー自身は気がついていなかったが、今なら派手に凍らせる世界が可能となっていた。
「なるほど」
ヨーは想像する。まずはアデルが言う通り、【凍れ】と。そして、巨大猿の地面を足ごと凍らせる。
巨大猿は動きが止められる。氷によって足が地面に張り付いたからだ。無理すれば、剥がすことはできそうだが、そうすれば自身の皮ごと持って行かれそうになる気がしたため、巨大猿は一旦諦めた。
そして、ヨーはもう一つおまけと行きたい所だったが、アデルが駆けていくのを見て、足下の凍結にのみ専念させた。
「ドラ子、決めるぞ」
その声にドラ子も応じる。
『この一撃、理を断ち、目の前の不義を斬る』
そのかけ声(?)とともにアデルは剣戟を振るう。巨大猿は凍った足下のため、避けきれず、その攻撃を素直に受けるしかなかった。
だが、それまでの攻撃と違い、この一撃は巨大猿の腹を割き、大量の血を噴き出させていた。
まさに必殺の一撃。
一見すれば、ただの斬撃である。だが、これこそがドラ子の切り札、【遮断し、討破る】である。
* * *
さて、この【遮断し、討破る】だが、単なる必殺技ではない。
自身と相手の格の違い、自身の負傷の具合、そして、戦闘からの経過時間などの条件が乗算、加算された上で、相手との不条理の強さを遮断させ、ダメージに上乗せする奇跡じみた攻撃である。
これによって、力弱き者ほど強大な相手を倒すことができる。
剣の名である〈勇敢さをもたらすモノ〉は、これから来ている。
ただ、問題は格である。
幾ら、力弱き者とて、強大な敵を【遮断し、討破る】にて倒していけば格は上がる。そうなれば、次からの効果は減少する。
この世界の伝説でも、名のある英雄がこの剣を手にした話はない。
いつも名もなき英雄がこの剣を手に取り、人々を救い、その後は名が出てくることは少ない。
つまり、伝説でもそのことは証明されている。
本来、アデルがこの剣を切り札とするのは問題ないが、魔物退治を主としている商売柄では巨大猿に使うのは少々、勿体ないかもしれない。
同じ人間がその生涯で【遮断し、討破る】を有効的に使える回数は限られているからだ。
ここがアデルが住む場所なら意味は十分にあるが、アデルは噂で魔物退治をしに来た程度。むしろ、名を上げるには噂通り巨人を倒した方がいい。それに有効に使えば竜殺しだって可能である。
実際、この剣の二つ名には『竜殺しの剣』もある。これがドラ子の愛称の由来である。
だが、アデルはこの【遮断し、討破る】を切り札にするのは、何度も駆使して、死線を乗り越えてきたからだ。
なら、なぜそれが可能なのか。【遮断し、討破る】の性質を無視できるのか。そんなインチキが可能なのか。
それにはヨーの切り札に関わってくる。
これはこの後に起こる出来事で見ていこうか。
* * *
巨大猿は倒れ込む。
これほどの出血だ。すぐに絶命はしなくとも、死は免れないだろう。
そして、アデルもまた疲労こんぱいだ。何しろ、【遮断し、討破る】は命は削らないにしろ、体力は使う。しかも、傷の度合いが大きいほど威力を増すため、この状態で体力を使うのはいろいろと危険が付きまとう。
必殺の一撃にしろ、使う側も必死でなければ成り立たないため半ば賭けに近い。
実際、アデルは今、何とか立っているのに近い。それでもまだ倒れるわけにはいかない。
巨大猿は生きている。
獣とは命が尽きる、そのときまで足掻く。それは生を求める、当然の行為。だから、相手する側もその瞬間まで油断はできない。
アデルはそんな体で再度、剣を振るう。だが、その速度は瀕死である巨大猿の反撃より遅かった。既に凍っていた足下は自身の体温で解放されている。
その攻撃でアデルの方が吹き飛ばされる。そして、今までの怪我と体力の消費で、体はアデルの意思に反して、地面に縛り付ける。
そもそも、【遮断し、討破る】の条件において、格の差は少なければ威力は大きく減少する。巨大猿とアデルの格の差は確かに大きい。
だが、〈勇敢さをもたらすモノ〉が想定する差とは本来、竜や魔王と呼ばれる存在である。
つまり、巨大猿程度ではその効果は低い。それでも致命傷を与えるほどの有効な攻撃源ではあった。
それでも、失敗点も多かった。まず、巨大猿の回復力が高かった。実際、今も傷口から血を出しているが、辛そうに立ち上がっていた。ここは想定外だった。
そして、アデルは大剣を操る技能は低くかった。ただでさえ、少年という体で背丈を超える剣の扱いは難しいモノがあった。
飽くまで【遮断し、討破る】は剣戟に対して、ただ威力を上乗せするだけ。極端な話、繰り出して当たらなければ、無意味な技である。確かに攻撃自体は当たっていた。
しかし、大剣の技能で威力は減少させていた。
結論は傷が浅かったのだ。
ともあれ、その結果がアデルの立場は瞬時に逆転していた。
今度はこちらが殺されるかもしれない番である。吹き飛ばされ、地面に寝ているアデルだが、こちらもまた足掻いている。この場面でも機会を狙っている。
そして、そんな様子でありながら、ヨーは平然とこちらへと歩いてくる。
お互いに死を目の前にしているというのに、ヨーは気にしていない。
巨大猿は歩いてくるヨーに対して殴りかかるが、瞬時に発生した氷の壁がヨーを守っていた。その壁は巨大猿の攻撃でも打ち破れないほど厚いモノであった。
ヨーはアデルの横へと立つ。アデルは何とか立ち上がる。そのアデルの目つきは巨大猿と立ち向かっているときと何も変わらない。ヨーという味方を前にしても。
いや、このときのヨーは敵よりも怖いことを理解している。
そして、ヨーはいきなりアデルの顎を掴むと、唇を交わす。
アデルは疲労と傷でそれを拒むことは難しかった。そして、口づけとともに疲労感が襲う、さらには力が抜ける。
何度か経験しているが、あまり慣れるモノではない。
それは生気や精気を吸うのではない、経験、格を奪うのだ。