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戦国時代

影武者 渡辺通

作者: Lance

 気付けば乳母に先導され、俺は走っていた。

「どうしたんだ? どこへ行くんだ?」

 あの時は年端のいかなかった俺が尋ねたが、乳母は言った。

「坊ちゃま、恐ろしいことが起きました。坊ちゃまは生きねばなりません。御父上のためにも」

「父上に? 父上に何かあったのか?」

「恐ろしいことです、本当に恐ろしいことです、坊ちゃま。さぁ、駆けて下さい! 足を止めてはいけません!」

 乳母はそれだけ言った。

 やがて父、毛利家家臣渡辺勝(わたなべすぐる)は、元就と相合元網との家督争いに巻き込まれ、元就に殺されたことを知った。父が元網のかたを持ったからだと聴いた。

 父の死を初めは信じられなかったが、それでも受け入れた。現実と向きわなければならない。あの年で不思議と涙は出なかった。

 俺は剣を振るった。何度も何度も、毎日毎日、飽きることなく剣を振るった。

 俺は誰のために剣を振るうのだろうか。

 その時の俺にはまだ分からなかった。

「今日も頑張っておいでですな。見事な太刀筋でござる」

「ああ、これは」

 俺が世話になっている屋敷の主、山内直通殿だった。恩人だ。あの騒動の後、渡辺家は元就からの誅殺の憂き目にあった。後で気付くことになるが俺のように生き残った者もいた。俺の場合は母が機転を利かせ、乳母と共に縁ある山内殿のもとに逃げて匿ってもらうように仕向けたのだ。

「そろそろ元服ですな。御名はどういたそうか」

「それならば、命の恩人である山内殿の御名からいただきとうございます」

 こうして元服し、渡辺通(わたなべかよう)となった。

 だが、やることは変わらない。日々新たな主となる方のために剣を振るうのみ。今思えば元就への恨みを払拭するために我武者羅に励んでいたのかもしれない。

 そんな主のいない剣に、主ができた。

「通殿、どうだろう、毛利家へ帰参してみてはいかがだろうか?」

 恩人の山内殿に呼ばれ、赴くと、驚くべき言葉が俺を待っていた。

 俺は黙ったままだった。しかし、主亡き剣に主ができようとしている。それがまさか、父を、一族を殺した、毛利元就になるとはなんたる皮肉、いやめぐり合わせだろうか。

 いつまでも山内殿の厚意に甘んじているわけにもいくまい。それに毛利が根絶やしにしたはずの渡辺が再び臣下に入ろうというのだ。元就はどんな面をするだろうか。俺はそう思慮を巡らせた。

「通殿、いかがなさる? 手筈ならお任せなさい、それがしが整えてみせよう」

 山内殿の申し出に俺は頭を下げた。



 二



 不思議と元就を殺そうと思ったことはない。

 山内殿の顔が利いたのだろう。元就は表面上は俺が戻って来たのを歓迎した。だが、取り繕った仮面からは謝罪も何も読み取れない。別段不満も無かった。俺は堂々と毛利臣下の末席に名を連ねただけだった。そう、俺に出来ることと言えば堂々とすることだけだった。まるで渡辺の家が平穏無事にそこにあったかのように。元就を殺そうと思ったことは無いが、心のどこかで陰湿に元就に我が姿を見せることによって罪悪感を覚えさせようと、そう思っていたのかもしれない。それが元就への渡辺家からの復讐だ。

「敵将の首にござる」

 俺は跪き元就に討ち取った敵将の首を献じる。

「う、うむ、通よ、よくやってくれた」

 毛利臣下で俺は剣を振るった。俺は、生き残った一族と共に武働きに励んだ。元就も邪険にできぬほどの武功を渡辺家は立てていた。

 敵の首級を持参すれば沈着な元就の顔が落ち着かなげに動く。してやったり。痛快だった。

 そうか、やはり俺は元就を心のどこかで恨んでいたのだな。

 道の方々から声が上がる。

 今、毛利家は危機を迎えていた。

 毛利家は殿軍を命じられ、尼子の軍勢に追いつかれた。

 月夜の各地で混乱しながら戦端が開かれる。

「殿、殿を逃がせ! 決して尼子に討たせるな!」

 臣下の声が轟く。

 愛馬に乗った元就の姿が月明かりの下、ここからは良く見えた。

 動揺している。あの沈着冷静な毛利元就が慌てている。

 もう良いだろう。もう、渡辺家の復讐は終わった。

「殿!」

 俺は草葉の陰から飛び出し、一直線に主人へ駆け寄った。

「通か!?」

「はっ! その通りでございます! 殿、馬と鎧を頂戴いたしく存知ます!」

「それは何ゆえか!?」

 毛利元就ともあろう者がそれすら察せぬほど動揺している。

「私が、囮になります。殿の名を聴けば敵を容易く逆方向へ引きつけましょう。それがしが殿の影となるには殿御自身の馬と鎧が必要です。さぁ、お早く」

「分かった!」

 元就が馬から降り、俺は元就の鎧を脱がすのを手伝った。

「殿、それがしの馬をお使いください」

 毛利元就の影となった俺は自分の乗っていた馬を殿に差し出す。

「通!」

「何も言われますな! それがしは臣下、我が剣の主は毛利元就様只一人! では、御免!」

 馬腹を蹴る。

 戦いを続ける兵達が声を上げた。

「元就様か!?」

「応! 我こそはその人ありと言われた毛利元就、逃げも隠れもせん! 我が首欲しくば取ってみよ!」

 月光の続くままに戦場を駆ける。

「元就だ!」

「元就が出たぞ!」

 功にはやった敵が追ってくる。

 よし、ここが潮時だろう。振り返る。

「毛利元就、推して参る!」

 群がる敵の大群なぞ今の俺の肝を冷やすには程遠い。

 槍の感触を確かめ、掲げ持ち、俺は吼え声を上げ、敵勢の中へと駆け込んで行った。

 月よ、我が最期を照覧あれ!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 実に読ませる文だなぁと思いました。 やっぱりLance先生はネガティブな魅力を書くのがうまい。 全然知らない武将だったけど、ずっと記憶に残ると思います。 歴史物の短編では傑作だと思います…
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