それぞれの思惑
「今日も寒いわね」
毛皮を羽織って冬殿の庭を散策するのは宋詩安である。彼女の後ろには侍女の采妙が控えている。
冬は、敦親王府の冬の庭が最も映える季節である。春殿は春に、夏殿は夏に、秋殿は秋に、冬殿は冬に最も美しく見えるように整えられているから。まもなく冬になる時期の今は、冬殿の庭が日に日に変化していく様子を楽しめる。霜が降りた庭を眺めて、宋詩安は何度目かわからないため息をついた。
「まさかあの子が見初められるとは・・・・・・」
「あの子」とは、宋詩安の従姉妹の夏明明のことである。たしか、まだ15歳だったはずだ。以前、風邪を引いたときにお見舞いと称して親王府を訪れたときに夫と会ったらしい。その夏明明を夫人にすると伝えられたのだ。
采妙はどうやら新しく夫人を迎えることが気に入らないようだ。
「湯宮人を迎えたばかりだというのに、次は夫人ですか。皇太子殿下はお元気ですね」
「まあ、親王の夫人が三人揃っていない今までがおかしかったのだけれど・・・・・・それにしても急よね」
「勿論、私も夏殿が善良な方であることは存じております。でも、本人が善良だからといって、その家族はどうです?侍女は?・・・・・・傲慢な親族がいるかもしれないではありませんか!」
「采妙!そんなこと、言っちゃいけないわ。誰かの耳に入ったらどうするの」
采妙の心配はもっともだが、ここは親王府の庭だ。誰が聞き耳を立てているかわからない。もし他の夫人たちが聞いたら采妙は目をつけられてしまう。
「それは置いておいて、明明のご家族はよい方ばかりよ。でも、なんというか・・・・・・善良すぎるのよ。あの子は後宮に向かないわ」
「・・・・・・王妃さまは夏殿を可愛がっておられるのですね」
「心配なのよ・・・・・・。よりにもよって3人目の夫人だなんて、あの子が可哀想だわ」
大璋国では、皇族や貴族の男性(皇帝は除く)は4人まで妻を娶ることができる。1人が嫡妻、3人が側室だ。皇族も同じで、妃1人、夫人3人が定員となっている。これ以外にも「妾」である宮人が存在するが、正式な妻ではないから何人でもよいとされている。
しかし、宮人が昇格して夫人になることはめずらしいことではない。そして、宮人を夫人に昇格させようとするときに、既に3人の夫人がいたら、誰かが宮人に降格することになる。その場合、3人目の夫人が降格することが圧倒的に多いのだ。しかも、宮人の唐含貞は懐妊中なのである。宋詩安も、つい昨日までは、唐宮人に産まれた子がもし男子であれば夫人へ昇格させることも考えていたのだから。
宋詩安は、まだ幼く、人を疑うことを知らない従姉妹が心配でならなかった。
すると、背後から聞いたことのない声が聞こえた。
「奥様!」
振り返ると、そこにいたのはなぜか息を切らした少女だった。目が大きく、可愛らしい顔立ちをしている。小綺麗な格好をしているものの、走ってこちらへ向かってくる様子からはとても良家の子女には見えない。
宋詩安の近くまで駆け寄ってくると、地面に霜が降りているにもかかわらず、彼女は躊躇いもなく土下座した。
「お初にお目にかかります!湯依依でございます!」
そこで初めて宋詩安は気づいた。この子が先日召し上げられた娘だということに。
彼女は跪いたままの姿勢で震えている。どうやら緊張しているようだ。ここは怖がる必要はないと示した方が良いと判断し、優しく声をかけた。
「立って頂戴な。ご挨拶ありがとう。こちらこそ挨拶に行かなくてごめんなさいね」
「いえ、いえ、そんな、恐縮の極みでございます!部屋を賜りましたご挨拶をと冬殿に伺ったのですが、外出中とのことでご挨拶が遅れてしまいました。奥様と同じ冬殿に住まわせて頂き光栄です!」
「貴女はもう殿下の妻になったのだから部屋が与えられて当然よ。それに、そんなに緊張しなくてもいいのよ」
「ありがたきお言葉でございます!」
緊張しなくてもいいと言ったものの、湯依依は相変わらず緊張したままだ。大きな目は泳いでいるし、華奢な肩は小刻みに震えている。
縮こまっている湯依依の真っ赤になった手に目がとまり、熱いお茶でも出してあげようと冬殿に誘ったのだった。
その頃、夫人たちの元へも3人目の夫人が決まったという知らせが来ていた。
秋殿では、丁蘭玲と唐含貞が話し合っていた。
丁夫人がお茶を飲みながら言った。
「王妃さまも焦っているようね。まさか従姉妹を3人目の夫人に据えるとは思わなかったけれど」
「私が懐妊したことで子の重要性に気づいたのですよ。それ以来、旦那様は毎晩のように秋殿へいらしていますもの。このままでは立場が危うくなると思ったのですわ」
唐宮人は得意げだ。懐妊がよほど嬉しいのだろう。
「それでも、子が女では意味がないわ。男の子を産むことで立場はより強固になる。夫人に昇格できるかもしれないのよ」
「そうですね。男の子でしたらぜひ丁夫人の養子にしてくださいませ」
「そうすれば、生母の貴女も、養母の私も将来安泰という訳ね。忠義ある貴女を旦那様に勧めてよかったわ」
「貴女様へのご恩は忘れません。一生かけてお返しすると決めているのです」
丁夫人はにっこり笑って頷いた。普段の穏やかな笑みとは違う「それ」はまるで悪女のようである。その笑みのまま、砂糖菓子を手に取った。
「でも、新しい夫人の前にあの子をなんとかしないとね」
そのまま丁夫人の手に握らされた砂糖菓子は、粉々になっていた。