旦那様
「宴ですか?」
ぼんやりしていた宋詩安の前に、急に夫が現れた。それだけならまだよいのだが、よりにもよって食後の杏仁豆腐を食べ終えて物思いに耽っていたときに来ていたのだ。一昨日来たばかりで来るはずがないと油断していた宋詩安は、突然のことに驚き、お茶をこぼしてしまった。妙芳は睨んできたが、皇太子殿下の手前、「大丈夫ですか?」とだけ声をかけ、宋詩安がやけどをしていないのを確認するとすぐにお茶を入れに行った。しかし、妙芳と入れ替わるように入ってきた采妙が可哀想なものを見るような、あるいは困ったような目でこちらを眺めていた。どうやらお説教が決まったようだ。
お茶が2人分入ったところで、ようやく本題とばかりに夫が告げたのが「冊封の宴に出席するように」とのお言葉であった。そして、冒頭のセリフになる。
冊封とは、大璋国においては、皇帝陛下が皇族男性に親王・郡王などの爵位を与えること、あるいは、女性に皇后・皇貴妃・貴妃・妃・嬪といった高位の妃嬪としての身分を与えることを指す。そして、冊封は吉事とされており、冊封が行われると祝いとして宮中で宴が開かれるのだ。そこには親王・郡王・皇子・公主(皇帝の娘)はもちろん、普段は後宮から出られない妃嬪たちも全員出席しての盛大な宴になる。いうまでもなく、皇太子とその妃も出席することが慣例になっている。
しかし、ここ最近、そんな話はなかったはずだ、と宋詩安は首をひねった。冊封は庶民にとっても一大イベントで、都である弘城もお祭り騒ぎになるのだ。いつも通りの都の風景を見て、「平和ねぇ」と呟いたのはつい最近のことだ。そもそも、誰が冊封されたのだろうか。夫に尋ねると、なぜか不機嫌そうな顔になってしまった。
「父上が五皇子だけでなく六皇子を郡王にすると言い出したんだよ」
五皇子については、16歳という年齢を考えると郡王になるのは適当だろう。しかし、六皇子はまだ12歳だったはずだ。
男子は12歳から20歳の間に冠礼という成人になるための儀式を受けることができ、これを終えると結婚や任官、家の継承が認められる。皇子たちについては、冠礼を終えるまでは皇太子になることはできないし、郡王・親王などの身分も与えられない。ちなみに、たいていは15歳を過ぎた頃に行う。これは、冠礼を終えた者は1人前の男性と見なされるからだ。皇族としての責任を負い、後宮を出て郡王府という邸宅に住み、形式上は皇帝の臣下となる。つまり、大人として振る舞えるようになった時期を見計らって冠礼に挑むのである。規則上、六皇子が冠礼を受けた後であれば、郡王に冊封することは可能であるが、12歳の男の子がきちんと臣下としての責任を果たせるかは疑問だ――夫はそのように考えているのだろう。
「六殿下の冠礼の件はいつ決まったのですか?」
「ああ、一週間くらい前かな、父上が急に呼び出すから何かと思ったら『五皇子と六皇子の冠礼を行う。また、成人をもって郡王に冊封する。これは決定事項だ。よいな』って。全然よくないだろう?」
「それはまた・・・・・・急ですね」
「だろう?しかも、冠礼は来春の2月だ。普通は半年前には通達されるはずなのに・・・・・・」
「陛下にもなにかお考えがあるのでしょう。そういえば、夕餉はもうお済みですか?」
宋詩安も違和感を覚えつつも、侍女たちの前で政治の話、しかも皇太子が皇帝を批判するような会話を続けるのもよくないと話題を変えた。
「食べたがもう腹が空いたな。軽食にしよう。なにかあるか?」
「牡丹巻きなどいかがですか?采妙、点心をお願い」
「よいな。ああ、それから今日はここで寝る」
「・・・・・・ほぇっ?」
ついつい取り乱してしまった。梁円照は、そんな妻が珍しいのか、クスクスと笑っていた。
「なぜ驚く?」
「なぜって・・・・・・秋殿へは行かれないのですか?」
「秋殿には昨日も行ったぞ。それよりも、たまには王妃殿の元へご機嫌伺いに来るのもよいであろう?」
確かに他の夫人のところにばかり通われては、梁円照が「王妃を蔑ろにする愚か者」と噂されかねない。皇太子に悪評が立つのは由々しき事態であるから、夫自ら心がけてもらえるのはありがたいことである。困ることでもないしいいか、と切り替え、にっこり笑って旦那さまをもてなすことにした。
湯浴みの後、皇太子のお渡り(しかもお泊まり)とあって、王妃付きの侍女たちは気合いが入っていた。
「西方から献上された薔薇の香油でございます」
「夜化粧ですからおしろいは控えめでよろしゅうございますね」
「正妃さま、羽織はどちらの色になさいますか?」
楽しそうに服を着せ、化粧を施す侍女たちをみて、宋詩安は苦笑した。侍女たちは、宋詩安を着飾らせるのが大好きなのだ。王妃として恥ずかしくないくらいの身なりは心がけるが、派手な装いをあまり好まないため、侍女たちは技術をもてあましていたのだ。
今日くらいは好きなようにさせてあげようと思い、「任せるわ。上品にみえるようにしてね」と告げると、彼女たちは一気に色めきだった。その迫力に気圧され、上品にみえるように、ではなく、清楚に、可憐に、控えめに、などといえばよかったと後悔したが、後の祭りであった。
侍女たちに勝手に着飾らされた宋詩安が寝台に座るのを見て、梁円照は苦笑した。
「ずいぶん気合いが入っているな」
「侍女たちが張り切ってしまって・・・・・・誰かに見せびらかすわけでもないというのに」
「侍女たちは僕たちのことを知らないんだ・・・・・・夜伽と勘違いするのも仕方ない」
そう、梁円照と宋詩安は本当の意味の夫婦にはなっていない。嫁いできた日の寝室で、男女の関係になるつもりはないと宋詩安は告げたのだ。自分に皇子ができてはならないからと。貴族たちの中でも飛び抜けた力を持つ宋家が将来国政を牛耳ることがないようにと。
夫は納得してくれた。そうして、いままで兄と妹、あるいは仲のよい友人として付き合ってきたのだ。
しかし、最初の頃、梁円照は夫人を迎えようとはしなかった。皇太子にいつまでも子ができなければ後継者争いの種となる。皇帝に即位して後宮を開いたときに知らぬ者ばかりでは心許ないと主張し、嫁いで半年後、夫に夫人を迎えるように勧めた。
そして、宋詩安の輿入れからおよそ1年後に丁蘭玲を迎えたのだ。その後は丁蘭玲の侍女であった唐含貞がお手つきとなった。そして、昨年には葉可香を新たな夫人として迎えた。さらに、最近になって厨房の使用人であった湯依依を召し上げ、現在はあわせて5人の女性が親王府に暮らしているのである。
ここで、湯依依が宮人になってから一度もその話をしていないことに気づき、切り出した。
「そうですけど・・・・・・あ!円照さま、私が知らない間に宮人を増やしたそうですね!」
「ああ、湯氏のことか?」
「そうです!宮人を迎えるのはかまいませんが、すぐに伝えてくださればよかったのに!伝令がなかなか来ないから、侍女や部屋の準備が遅くなりましたのよ」
新しい宮人ができたことは謹妙を通じて把握してはいたが、存在が公にならない内に準備を始める訳にはいかなかったのだ。一昨日はこの件で随分気を揉んだ。
「昨日、冬殿の一室を与えたと聞いたが?手際のよいことだ。さすが僕の愛する人」
「もう!冗談はいい加減にしてください!」
梁円照は楽しそうに笑っているが、この姿を見せるのは2人きりの時だけだ。この笑顔を見ているうちに、真剣に怒っているのが馬鹿馬鹿しくなった。
「はぁ・・・・・・もういいです。とにかく、何かあるときは早く教えてくださいね」
「わかったわかった。もう、詩安は怒っている時もかわいいな~」
「はいはい」
話は終わったとばかりに宋詩安が布団に潜り込もうとすると、梁円照が「ああ!」と声を上げた。
「次はなんですか?」
もう眠いと目をこすりながら尋ねると、夫は急に申し訳なさそうな顔をして、口を開いた。
「三人目の夫人を迎えることになった」
「・・・・・・もう一度仰って?」
2人が眠りについたのは、それから2刻後であった。
次回更新は2019年5月28日21時を予定しております。