硬いベッド、ボロい宿、不味い飯
そう大口を叩いたカナタであったが、状況的にほぼ変わらず。エリックの狂笑と共に繰り出される魔法撃の数々に身を翻して器用にそれを避けるのみ。
カナタの考え出した反撃の一策はただの二段構え。常に集中力を切らさず、いつあのエリックの厄介で凶悪な能力に足を掴まれないようにと魔法攻撃の数々をエリックの有する能力のクールタイムを計るように二度にわたる跳躍で躱し続けるというもの。
時折、剣や銃弾による反撃を試みるがそれも全てエリックの前に立ちはだかる分厚く堅牢な防御壁によって防がれてしまい、意味を成さない。
「ーーちぃッ!!!」
常人では到底、到達できないスピードで繰り広げられる攻防の中、カナタだからこそできるであろう人間離れした神業的回避だが、一瞬たりとも油断は禁物である。
何かに意識を取られる、または研ぎ澄まされた集中力を欠くアクシデントや油断があればそれはたちまちに死を意味するだろう。
そうなれば血に伏せ、四肢を無残にも切断されたアルドレオや壁際に力無く項垂れるヨハンネスと同じく、悲惨で凄惨な未来しか見えないことは必須。
だが、その常人離れ。いやむしろ、怪物的とも言っていいほどに優れたカナタの身体能力を持ってしてもエリックの汲めども尽きぬ多大な魔力量からカナタを抹殺せんと放たれる無数に襲いかかる攻撃を完全に避け切ることは容易ではない。
宙を飛ぶカナタの肩を風の刃が音もなく掠めると一瞬の間を置いて血飛沫が吹き出す。
熾烈であり、激戦を極めた魔族との戦争を皮切りに数多くの死線を潜り抜けてきたカナタだが、ほんの数瞬だけ顔が苦痛に歪む。
元は平和な世で人を殺す命のやり取りとは縁遠い生活を送ってきた者にとってその腕を根本から切り裂かん鋭い刃によって受けた傷は泣き叫び、悶え苦しむほどの痛みと言っていいほど。むしろ、それだけで耐え凌ぐことのできるまでに至ったカナタの精神力の成長を讃えたいものだが、無論この場にそんな余裕も人物もいない。
玉座の間を縦横無尽に破壊する魔法、それを縦横無尽に駆け、飛び回り防ぐカナタ。次第にカナタの息が荒れ、肩が大きく上下し始めるとこれまでの紙一重的回避が嘘のように被弾し始める。
その隙を見逃すはずもなく、ここしかないと言うタイミングでエリックの能力が発動。身体中を切り裂く風刃、肉を焼き焦がす灼熱の炎、息の根を止めかねない雷撃。一気にその全てを真正面に受け、宙を舞ったカナタは「かはっーー!」と声にもならない悲痛な息を漏らし、冷たい床に激しく身体を打ちつけながら転がった。
「…はぁ…はぁ…はぁ。な、なんだやっぱり何も出来ないじゃないか。ヒヒヒ、ちょっと覚悟しちゃった僕が馬鹿みたい」
高度な魔法使いでも到に魔力切れとなり、指先1つ動かせなくなってもおかしくないエリックの無限にも思えた攻撃の数々だが、さすがにこれには堪えたようで息も切れ切れに大きく息を吐きながらカナタが倒れたことに安堵したように玉座へ身を委ねた。
「覚悟ぉ…? おい…おい…それは一体…なん…の…覚悟だって…言うんだ…?」
仰向けに倒れ、高い天井を仰ぐように床に伏していたカナタがボロボロの身体を引きずるようにして立ち上がると狂気的にも見える怪しげでいて不気味に口の端を吊り上げる。
「まさか…死ぬ覚悟…じゃ…ねーだろーなぁ…」
震える手、僅かな力さえもままならない握力で定まらない剣先をエリックに向けて突き出し、またもや挑発めいた口を聞くカナタ。
ここに来てエリックが抱いたのは恐怖や得体の知れない嫌悪ではなく、理解し難い疑問。
「な…なん…なんなんだよお前ぇ…一体何が…何がお前をそこまで奮い立たせる…!?」
自信を鼓舞させるように足で地面を踏み鳴らし、血だらけの頭を気だるそうに回すとカナタは血の混じった唾をベッと床に吐き出した。
そしてその問いをゆっくりと咀嚼するように切れた舌を口内で転がして、
「そうだな…1番は早く帰って寝てぇ。身が沈むようなふかふかのベッドじゃねー。硬くてカビ臭い寝心地最悪の我が家のベッドでな」
瞬きさえ許さぬ早撃ちによって放たれた銃弾がエリックの防壁にキンッと音を立てて弾かれる。
「次に残してきた宿屋が心配だ。知らねーと思うが、うちの村は治安最悪、ゴロツキの溜まり場みてーなとこでよ。留守番さえろくに出来やしねー居候を始めどんな荒らされ方されてるか不安で仕方がない。まぁ、荒らしたとこで金目の物なんて皆無なんだがな」
次に2発の銃弾が風を切り、またもやエリックの防壁に衝突するが、カナタもまた悔しむ素振りを見せず。それは単なる手持ち無沙汰になった手が繰り出す手癖のようなものだからだ。
「最後は…はっ…」
指先でクルクルと器用に拳銃を回して苦笑気味に頭を振ったカナタはその拳銃を宙に放り出してまたもあの大剣に持ち替える。
「あの無愛想で可愛げのない魔族の女のクソ不味い飯が食いてぇ…。知ってるか? 魔族の作る料理って舌が痺れるぐらい不味いんだぜ? それが何故だか癖になる」
距離にして数メートル。
万全のエリックであれば充分にインターバルを取った『事象をなかったことにする能力』によって容易にいとも簡単に赤子の手をひねるが如く迎え撃つ事が出来たはずだった。
カナタにより渾身の力を込めて蹴られた床がその衝撃に揺れる。太く大きな大剣の切っ先を突き刺すように無謀な突進。だが、どこにそんな余力を残していたのか今までの如何なる攻撃よりも鋭く速い。
「ーーうっ!!」
鬼気迫る気迫に押され防壁の存在さえ忘れた。いや頼りきれぬと感じ、咄嗟に風で身体を包み高速移動で宙を駆ける様にその場を離れたエリック。その刹那、残されたアルシュタイン王族の象徴たる玉座をカナタの凶刃が爆発にも似た轟音を轟かせて貫き、粉砕した。
散らばる破片を不遜につま先で蹴り、剣を肩に、修羅の様相をチラつかせるカナタはニヤリと笑みを見せると空を浮かぶエリックを嘲笑するような目で見上げた。
「どうだ? その軽そうな尻を動かしてやったぜ?」




