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リドニア事件

 ヨハンネスはアルトリア国第3王子である。

 彼にはミカエルとユリウスという兄が2人いた。

 今や畏怖の対象として囁かれるヨハンネスであるが、彼がまだ真っ当な統治を行なっている際にはカリスマ的人気と武芸、政治と多彩な才能を発揮する稀代の賢王と呼ばれるほどだった。

 だが、そんなヨハンネス自身でさえ、謙遜ではなく力及ばず、心の底から敬意を表する者がいる。それが長兄でありアルトリア第1王子ミカエルと次兄、アルトリア国第2王子ユリウスであった。

 ただヨハンネスと同じく、ミカエル、ユリウスの両名は国民からの評判はすこぶる悪い。それは災厄の子と言われるほどに。

 なぜなら、魔族国との戦争のきっかけとなった『リドニア事件』を起こした張本人達であるからだ。


 リドニア事件。

 アルトリアから北、山岳地帯と閑静な村ぐらいしかないリドニア地帯で起こった悲惨な事件。

 リドニアはアルトリアとオルテアのちょうど中継地点にあり、両国を行き交う数少ない商人達が足を休める宿場町としても賑わっていた。

 そこで起こったのが口にするのも憚れる凄惨な事件。

 各地の内乱を鎮圧せんと奮闘していたミカエルとユリウスは偶然、その村に立ち寄った。


 そして、こともあろうに彼らは魔族の商人の子供を追い回し、惨殺したという。


 閉鎖的な国とは言えども、オルテアがまだ細々とだが平和的に国交を行なっていた時、その報せを受けたオルテア国の長であるリリスは激昂。瞬く間に両国の関係は悪化し、10年にも及ぶ戦争をすることになった。


 だが、真実を知るヨハンネスは頑なにそれを否定する。

 先に攻撃を受けたのはこちらだ、と。


 リドニア事件があったその日、彼は兄達と行動を共にしていた。齢15の時である。

 確かにヨハンネス達はリドニアに立ち寄り、疲れた身体を休めていたのは事実。

 辺境の地であるリドニアにそう来ることはないとミカエルの言葉がきっかけで村を視察して回っていたのもまた事実だ。

 そこで彼らは小さな少年1人に襲撃を受ける。

 たった1人、そうたった1人の子供によって放たれた強力な魔法攻撃によりユリウスは負傷。

 すぐさま少年を取り押さえた3人は何故、こんなことをしたのか厳しく問うた。

 少年は言った。


「エリート面が気にくわない。僕の方が優れているのに」


 子供とは思えぬ邪悪な笑みを浮かべて少年は恐れもせずに宣う。


「殺してみろよ、僕を殺したら大変なことになるぜ? 殺さないなら僕がお前を殺してやる。この世界諸共、全部」


 傷を負ったユリウスは怒りに任せ、少年を傷めつけようとするが、比較的穏やかな性格であったミカエルがそれを制止。

 国の現状に不満がある民がいるのは当然のこと。それが異国の民なら尚更のこと。

 寧ろ、こんな子供にまで不満を持たせてしまっていることを恥ずべきことだと。


「約束しよう。この国がより良くなり、全ての国に幸福をもたらすことを」


 そう言って微笑んだミカエルの喉を風の刃が切り裂いた。

 その時の舞う血飛沫をヨハンネスは忘れようとも忘れられない。

 瞬時に危険因子と判断したユリウスによって少年は首を切られたが、その際に小さな魔族の少年が口にした言葉を忘れられない。



「僕は特別だ。何度だって蘇るさ、何度だってな」



 転がる首の口元はにやけたまま、吐き気を催すような醜悪な魔力が辺りに漂う。

 ヨハンネスは忘れない。

 その時に感じた悍ましい魔力の臭い、色、全てを。

 ミカエルはまもなくして宿にて息を引き取り、少年の呪いか、後に首を切ったユリウスまでもが後に病状に倒れ、帰らぬ人となった。





「ヨハンネス様、こちらでございます」


 戦地を離れ、1人王宮へと忍び込もうとローブを深く被り、夜の闇に紛れて歩いていたヨハンネスを初老の男が声を潜めて呼ぶ。

 アルドレオである。

 元より、国を堕とす事が目的ではないヨハンネスは敢えて隊を囮に単身、城下へと人知れず潜んでいた。


「顔色が優れないようですが、如何致しましたか?」


「…いや、昔のことを思い出してね。やはり、ここへ来るとどうしても思い出してしまうな」


 ヨハンネスが信頼する間者、アルドレオは心配そうに眉根を寄せて黙り込んだ。


「問題ない。あやつの臭気が嫌でも現実に引き戻してくれる。実に悍ましく、不快な臭いだ」


「疑うわけではありませんが…エリック様が本当に…」


 さすが戦の最中、城下町を幾人もの兵士が見回る中を掻い潜り、城と街を繋ぐ桟橋の下、王族と限られた者しか知らぬ緊急時の脱出路が設けられた古びた木戸を開けてアルドレオは言葉を迷わせる。

 長年使われていなかったこともあり、石造りの簡素な抜け穴には苔が生え、薄暗い。冷たい空気が身体を包む中、ヨハンネスは手のひらに灯火の魔法『トーチ』で辺りを照らした。

 光の球が手のひらに浮かび、暗がりにぼんやりと光が浮かぶ。


「私の目と鼻が壊れていなければな。だが、奴が近づくにつれて疑心が確信に変わろうとしている」


 この抜け穴は玉座へ直通で続いている。

 小さな灯りを頼りに2人は暗く狭い通路をゆっくりと、だが確かに進んでいく。

 名も知らぬ悪、今は自身の弟エリックの姿を模した悪との決着を付けるために。



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