血抜き
喉を鳴らし、威嚇するバジリスクはあれほどの業火に焼かれながらもほぼ無傷に近い。
僅かに焦げた羽根を除けば前と何も変わらない。いやむしろ、下手な攻撃がバジリスクの本能を呼び覚まし、より凶暴性を膨張させてしまったようにも思える。
「あの羽毛が邪魔ですね」
「あぁ、鶏を絞めるにはまず邪魔な羽根を毟るだろ?」
だが、2人に恐れや怖気の色など垣間見ることも出来ず。
鋭く睨む猛禽の眼を睨み返し、2人は武器を手に取った。
「ほら、来いよ、綺麗な歌声でも聞かせてみな。ご褒美にピーナッツをやろう」
言葉の通じぬ相手にもカナタの減らず口は止まらない。
腕を叩き、自らの腕を止まり木に見立ててニヤつく姿にバジリスクは言葉を理解せずとも意図は理解したようで身を奮い、身体を大きく見せて威嚇するとまた、あのらしからぬ素早さでカナタに襲いかかる。
「ははっ〜俺の細腕じゃお気に召さないか? それともピーナッツは嫌いだったか?」
宙を舞い、バジリスクの攻撃を華麗に避けたカナタはそのまま脳天に向けて大剣を振り下ろす。
ガインッ!
と、鈍い音を響かせてカナタ諸共空中を吹き飛ぶ。
バジリスクも馬鹿ではない。
その凶暴性と戦闘力を持ってして王とまで呼ばれる存在になったのだ。
大きな身体からは想像できないスピードでカナタの剣戟を防いだのは鋭さと頑丈さを兼ね備えた巨大な嘴。
空中ではなす術なく、そのまま後方へ飛んだカナタは地面に着地すると感嘆めいた息を吐き、口の端を上げた。
「ですから、旦那様。まずは羽毛を毟らねばならないと」
その隙を突き、後方から回り込んでいたエルザが大鎌を手にバジリスクに駆け寄る。
疾風の如き速さで距離を詰めたエルザは首元の羽根を肉諸共掻っ切らんと鎌を振るが、すんでのとこで真横に飛び退いた。
数コンマ遅れてエルザ元いた場所を襲ったのは無数の蛇たちとその毒液。
ビシャッと飛沫を立てて蛇たちから吐かれた毒液もまたバジリスクの口から出た物と同様の効果を持つらしく、地を焼くような音を立てて煙を上げた。
「後方からではあの蛇が邪魔で攻め辛いですね」
「蛇の王だからな。オマケみたいについたその尻尾の蛇が飾りだったらこいつはただのデカイ鶏になるだろーが」
距離は離れているが、2人は変わらず雑談めいたやり取りを続ける。
苦労しているようにも見えるが、至って冷静かもしくは楽しんでいる。
巨大な蛇、グリフォンその他諸々の怪物とは戦ったが巨大バジリスクとはまだ手合わせしたことがない。
機敏に動く姿や万物を溶かす毒液もまるで物珍しいショーを見るようにカナタは子供のように無邪気に喜ぶ。
「では、邪魔な羽毛の前にもっと邪魔な蛇退治を私が」
言うや否や、エルザはバジリスクの尾に向けて突進。
狙いを勘付いたバジリスクも旋回を試みるが、動かない。
エルザのかざした手から発せられたのは絶対零度の風。素早い動きを封じようと風と水の複合魔法ブリザードジェイルは的確にバジリスクの足元だけを凍りつかせていた。
よもや応戦できるのは巨大な翼と尾に生えた無数の蛇のみ。だが、それも疾風の如き速さで迫ったエルザの鎌によりバラバラに断ち切られてしまった。
「ゲェアアアアアァッ!!??」
悍ましく不気味な悲鳴をあげて暴れるバジリスク。それが功を奏し、足を地面に繋いでいた氷の枷が砕け散る。
が、時すでに遅い。
示し合わせたように迫っていたカナタの凶刃がバジリスクの喉を裂いた。
事前打ち合わせなど一切なく、息のあった連携を取る2人。
カナタの一撃によってつけられた傷は決して致命傷に至るものではないが、確実にバジリスクの身体にダメージを負わせた。
目配せや掛け声も必要とせず、畳み掛けるような猛攻にバジリスクの体力は徐々に奪われていき、到頭歩くことさえままならなくなったバジリスクはその巨体を地に沈める。
息はあるが、逃げることも叶わず。息を荒げ、無感情だった眼は怯えの色を帯びたように揺れ動く。
傷だらけの身体を庇い、翼で身体を覆ったバジリスクの眼前を返り血に塗れた2人は静かに近寄り、見下ろした。
「案外、時間はかからなかったな」
「ですが、今は早急に行動しなくてはバジリスクの悲鳴を聞きつけた兵士たちが駆けつけてくるかもしれません」
雑木林にぽっかりと空いていた地は火と氷、そして激闘の末に荒れ果ててしまっていた。
辺りを見渡しそれもそうか、と小さく息を吐いたカナタは力なく横たわるバジリスクの頸動脈に大剣を突き立て、沈めていく。
同時にエルザの魔法によりその周りが陥没すると地面からじわじわと水が湧く。それを消えぬ炎で熱するとたちまちそこは即席の人口浴場へと早変わりする。
バジリスクを浸す温水が血によって真っ赤に染まるのをじっと眺め、その眼がゆっくりと光を失うのを待った。
もうバジリスクに暴れ苦しむ余力などない。身をピクリと痙攣させて自身の血が抜けていくのを感じながら、見下ろす強者に看取られて静かに息を引き取った。
「行くぞ」
膝をつき、手を結んで祈りを捧げるエルザにカナタは大剣を消して声をかける。
紅く染まった銀髪が風に揺れ、真っ白な顔はべったりと血のシミがついている。さながら殺戮人形のようだが、祈る姿はまさしく聖女。
急かすことも待つこともせず歩き去るカナタの背を追ってエルザはゆっくりと足を動かした。
バジリスク退治からしばらく、疎らではあったが兵士のいたはずの林の中は不気味な程静まり返っていた。
遠くから聞こえる喧騒から察するにどうやらヨハンネス軍と王国軍の交戦が始まったらしい。
最短で来たつもりが思わぬ足止めを食らってしまったかと小さく舌打ちをするカナタだったが、林の出口ももう間も無く。悠々と歩く足が草原の大地を踏みしめると木々に遮られていた陽光が一斉にカナタたちに降り注いだ。
「あぁん? 満身創痍……ってわけじゃなさそーだな」
2人を出迎えたのは太陽の光だけではない。聞き馴染みのある声が風に乗って聞こえてくる。カナタは眩しそうにその先へ視線を向けた。




