大樹を揺らす鬨の声
「エルザ、お前何歳になるんだっけ?」
リーファウスの大木目前にしてカナタはふと思いついたように尋ねた。
青々と茂った巨大な大木。素の世界ではこれほどまでのものは見たことがない。
例えるならば都会の高層ビルがそのまま大樹に様変わりしたような感じか。大木の頂上は天を突き、その全体像は雲一つない快晴の時にしか拝めないという。
苔むす幹は時の流れを感じさせ、貫禄さえ覚える。
「16歳になりますが…」
「はぁ…一回りぐらい違うじゃねーか。反則だろ魔族」
「魔族は精霊の加護の影響で成長が著しく早く、若い時期が長いので旦那様と見た目以上の歳の差が出てしまうのは仕方ないかと」
そこにメルクリアの姿はない。
カナタのある頼み事でこことは違う場所に向かったからだ。
「おっさんになっちまったな…俺も…」
悲しげな表情で空を仰ぐカナタ。
特段、理由なんてない会話だったが改めてエルザと自分の歳の差を口にし、1人感傷に浸る。
「旦那様、見えてきました」
そんなカナタのこと気持ちなど露知らず、大木の根元に集う数百人の戦士たちを発見したエルザが静かに報告する。
近づくにつれて見えてくるのは見覚えのある者とそうでない者。前者は10年前の戦争で出会ったのだろう。そうでないものは地方で密かにヨハンネスのために暗躍していた戦士たちなのか、その数も少なくない。
失落、そして罪人と糾弾される王子を未だに支持する者がこれほどいることにカナタは素直に驚いた。
「あぁ…よく来てくれた我が友よ。来てくれるとは正直思っていなかった」
いち早くカナタたちの姿を見つけ、近寄ってきたのはその数百人もの戦士たちの心を突き動かしたヨハンネス張本人。
暗黒城から脱獄して数日。衣服は身体全体を隠すようなフード付きのローブに包んでいるが、あの伸びきった髪や髭は綺麗に整えてあった。
眉目秀麗は健在か、見るからに高貴そうな顔立ちに気品漂う物腰。碧い眼と黄金の如く輝く髪が印象的な美青年は柔和に微笑んでカナタの手を取った。
本当にこれがあの残虐非道で名高い大罪人なのかと一見疑ってしまいそうになるほどヨハンネスは心からの感謝を込めて深々と騎士風のお辞儀をする。
「悲哀の魔女…いや、今はエルザさんとお呼びすべきか貴女のお力を貸して頂けることが素直に嬉しく思います」
エルザとてヨハンネスに少しの恨みを持っていないわけではない。
魔族を滅ぼしかけたその者に幾ばくの不満や怒りもあるが、人々が自分を恐れ恨むことと同様、我慢という選択肢を取る。いや、ボッタの宿屋従業員として、宿屋の主人カナタの付き人としてエルザはそれをスッと水に流し、お腹に両手を置いて一礼。
「そういうのはいい。早く話を聞かせろ。俺はせっかちなんだ」
エルザに見えた微かな憤りに反応してか、カナタが割ってヨハンネスを急かす。
「そうだね。私たちには時間がない。急ぐとしよう」
これだけの大所帯が集まれば、いつ王国に知られてもおかしくはない。
カナタに言われた通り、ヨハンネスは群衆の中にその姿を消していった。
そして間も無く、ざわつく人々の目がある一点に集中する。
「皆の者、まずは今日ここに集まってくれたことを感謝する」
木箱で作られた簡易的なお立ち台の壇上でヨハンネスが皆に深々と頭を下げた。
その姿を見て聞こえるのは嗚咽と泣き声。この場所に集った者たちは皆、ヨハンネスを盲信していた。
「これから行われる戦いは反逆ではない。それは革命とも違う。我々が行うのは奪還。我々の地を我々の物とするための聖戦だ。敵は王族、卑しく下劣な手を使い人々を苦しめ、暗黒を産まんとする最悪と災悪。それを我らが討ち滅ぼさなくてはこの国、いやこの世界はやがて終焉を迎える。手遅れになる前にどんな犠牲を払おうとやらなくてはならない! 剣を持て我が誇り高き戦士たち!」
詳細な説明などは一切ない。
無為な混乱を生まないためヨハンネスはあらかじめ将となる者にしかそれを話さなかった。
だが、それを咎め不満を垂れる者は誰1人いない。号令と共に皆がヨハンネスの言葉通り剣を握りしめる。
「敵は王族にあり! 国のため世界のためにこの愚王に力を貸してくれ!!」
『ウオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!』
大樹をざわめかせる雄叫びめいた鬨の声を上げて皆は剣を高々と突き上げた。
士気は異常なまでに高い。個々の戦闘力も申し分ないだろう。
「狂ってやがるな」
群衆から少し距離を置いてそれを眺めていたカナタは嘲笑し、首を振った。
聞きたいことがまったく聞けない。
あとで隙を見てヨハンネスを問い詰めるか。
皆が醸し出す今にも突撃してしまいそうな空気の中、極めて冷静にカナタとエルザは考えを巡らせていた。




