砂塵の中で
「そう言うのであれば、女相手に2人がかりの方がずっと卑怯ではないか?」
「そりゃそうだな。けど、今のあいつに俺から手を出すなって言っても言うこと聞かないだろうよ」
僅か後方へ静かに佇むエルザを振り返り見て、カナタは呆れたように首を振った。
「はい、申し訳ございません。旦那様の命を脅かす危険性のあるものを従業員として黙って見過ごすわけにはいきませんので」
白銀に輝く髪の隙間から覗く雪のような白い顔と翡翠のような鮮やかな瞳。表情はないが、確かに静かな敵意がリアムに向けられている。
「…魔女と戦うのはこれで二度目か。まさかそれが10年越しになるとは思いもしなかったがな」
現に先ほどリアムに放たれた魔法は完全に命を狙いに来た一撃だった。
カナタを護るためとはまた違う。
風にドレスの裾をたなびかせるエルザを睨んでリアムは切られた頬を撫でた。
「あなたたち! おやめになってください! 今、争った所で何になりますの!?」
息を飲んで3人の戦いを見ることしかできなかったユースティアはやっと我を取り戻し、馬車から降りて制止をかける。
しかし、そんな言葉は拒絶されるどころか届いてさえいない。
「サンドストーム」
睨み合う3人。
エルザの唱えた巨大な砂嵐の魔法が互いの中間地点に出現する。
暴風を巻き起こし、地を荒らす姿はまさに自然の脅威。木々を揺らし、馬たちは悲鳴を上げて暴れてる。
目くらまし。ただそれだけにしては威力が強すぎるが、エルザにとってこれでも手加減を加えた方だ。
「オ、オーナー! ユースティアさんの言う通りです! やめてください!!」
顔を叩く砂に目を細めながら、カインは絶叫するようにカナタへ嘆願する。
しかし、それも砂嵐が繰り出す轟音の前には意味をなさない。自分の声さえ微量にしか聞こえぬその状況でカインの声は虚しく嵐の音に吸い込まれていった。
「…なるほどな」
細かい砂の粒が舞い上がり、視界は控えめに言っても最悪。
轟音を上げ、周囲を黄味がかった白い世界に仕上げた砂嵐を眼前にカナタは身動き一つせず、コートをなびかせてそれを見上げる。
今はもう後方にいたはずのエルザの姿さえ確認できず、砂と風の世界に1人取り残された気分だ。
リアムの目くらましが狙いだとしても明らかに悪手。これでは支援するはずのカナタさえ下手に動くことができない。
と、普通ならば考えるが10年だ。
カナタとエルザが過ごした時間。それは互いの思考、戦略を推測するには充分過ぎる時間。
刹那の間にカナタは閃き、理解した。
「ちっ…あのクソ女め」
悪態づいてはいるが、顔には薄い笑みを浮かべてカナタは大剣を片手に砂嵐の中へと突撃する。
中央部に近づくにつれて轟音と暴風、そして砂が弾丸のように全身を激しく叩く。
目さえ開けていることも困難な状況でカナタは真っ直ぐと前を見て駆け抜けていく。
やがて、見えたのは1つの人影。
時折、剣先に走る稲光からそれがリアムであることを確認する。
剣を大きく振りかぶり、カナタは勢いのままにその影を斬り裂かんと横一閃に薙ぎ払った。
「ーーッ!!?」
真っ直ぐこちらに突撃してくる人影にリアムもすぐに気付いた。
服装、体格からしてカナタなのは間違いない。
そう視認してから一瞬のうちに現れた凶悪な大剣をすんでのところでリアムは剣でそれを受け切った。
瞬く雷光と爆ぜる稲妻。
視界の悪い世界の中で目が眩むような強い光が一瞬に辺りを包む。
化け物染みた怪力。それを振り抜かれた一撃にリアムはたたらを踏んで後退。受けた手は痺れたようにビリビリと痺れ、熱くなっている。
だが、リアムは勝ったと確信する。
いくらカナタと言えども紫電の高圧電流をくらっては無事でいられるはずがない。
力なく地面に横たわった大剣は真っ黒な灰となり、辛うじて残った部分はドロドロに溶けて見る影もない。
カナタの不意打ちは失敗した。
そう、リアムは確信した矢先だった。
「誰のか知らねーが、もし何処かでその黒焦げの剣を持って泣いてる奴がいたら謝れよ」
不気味に響く死人の声。
身が竦み、硬直するリアム。
そして、次に得体の知れない浮遊感が彼女を襲った。
「ーー足…がッ!!」
直ぐ眼前、真下で悪魔のような邪悪な笑み。カナタの足払いがその浮遊感の原因だと直ぐ様リアムは理解した。
ーーぬかった。堕落していた。油断していた。甘く見ていた。私は…舐めていた…。
掴めぬ大地。アンバランスな体勢に力の入った剣など振ることなどできない。
空中で繰り出された悪足掻きのようなリアムの一太刀がカナタに命中するはずもなく、虚しく空を切る。
「悪りぃな、隊長」
リアムの腹に走る重い衝撃。カナタの渾身の回し蹴りが深々とリアムの腹に刺さった。
「ーーっぐッ!!!」
嵐を掻き分けて、吹き飛ばされたリアムは激しく大地に叩きつけられ、うめき声を上げる。
呼吸がままならず、足にも力が入らない。腹に残る鈍痛がほんの少し動くことさえも許してはくれないようだ。
「はっはっ。よく飛んだな」
砂嵐の中からゆっくりとこちらに歩んでくる悪魔の影。真っ黒な髪と真っ黒な瞳。深緑のコートを砂つぶで汚したカナタは鬱陶しそうに髪を振った。
カナタは大剣を振ったのではない。
投げただけ。
あらゆる物を灰に帰す紫電とは言え当たらなければ意味がない。
馬鹿は馬鹿なりにそんな単純な戦法でそれを打ち破った。だが、それも類い稀な身体能力を持ったカナタだからこそできる所業であることは言うまでもない。




