衝突
ブドーリオやカイン達の乗った馬車の前でエルザは深く頭を下げる。
そして手に持った荷物を母親のような心配と慈愛を込めて窓際にいたブドーリオに手渡した。
『カナタ、私はーー』
昨晩のエルザの言葉が一字一句違わず、カナタの頭でこだまする。
『カナタ、私はあなたと共に生きると決めました。あの時、この場所でボッタさんという尊い犠牲を出してしまったあの日に。だから、私は己の身を案じ、あなたと対立するようなことは絶対にしません。それに今のあなたは宿屋の主人。その宿屋の従業員である私が一緒にいなくてどうするのですか。私に外の世界を見せてくれたのは、その素晴らしさを教えてくれたのはただならぬあなたです、カナタ」
優しい声色で、心の底からカナタを信じ、愛した魔女であり、宿屋の従業員のエルザの言葉。
「…一体、どういうことだ」
すぐ横を通り過ぎて、カナタの元へ戻ったエルザ。その後ろ姿にリアムは下唇を噛んで、怒りを露わにした。
「貴様達は姫さまから受けた恩を忘れたのか? 国を捨てるつもりか? それがどういう意味か分かっているのか?」
張り詰めた空気が大気を震わす。
長い間、軍に、国に仕えてきたリアムの思考はまさに軍人的だ。お国のために、王のため、姫のため。すべての命はそれらに捧げるべきだと。
カナタが変わってしまったのと同様にリアムも残酷な時の流れが彼女を変えてしまったのだ。
後ろで束ねた髪紐を解くと美しい金色の髪が空風に揺れる。
立ち姿こそ美しいが、顔面には静かな殺意。心には鬼を住まわせ、鋭い眼光で2人を睨みつけた。
「はっ。国に逆らうとどうなるか? わからねーな。教えてくれ、団長様」
「リアム様、申し訳ありません。私は如何なる時もこの宿屋の従業員なのです。だから、旦那様の側を離れるわけにはいきません」
挑発と謝罪、正反対の回答で2人はそれを受けた。
しかし、どちらにせよそれらの答えはリアムの怒りを逆撫でしてしまう。
彼女が欲しかったのは考え直すという言葉。
抜き身となっていた騎士の剣を2人に突きつけて、リアムは悪意の強い笑みを浮かべる。
「ならば、国家反逆者となる種を国を守る立場として見過ごすわけにはいかない。騎士団、団長として貴様らを始末しよう」
リアムの剣に淡い紫色の雷が走る。
彼女のスキル『紫電』。高圧電流を刀身に宿し、触れたものを灰燼と化す超攻撃的スキルだ。
当たらなければ意味がないと、思われるがリアムの卓越した剣術とこのスキルが合わさることで極めて凶悪な物となる。
「出し惜しみはなしか…いい心がけだ」
「今更隠したとて何の意味をなさないだろう」
言い終わるや否や、リアムは特攻する。
狙いはカナタだ。
神速の勢いで振るわれた剣戟は僅かにカナタの胸元を掠めて空を切った。眩く光る雷鳴がカナタの胸元を焦がす。
「おいおい、一張羅なんだ。丁寧に扱ってくれ」
身こそ焼き割かれはしなかったが、当たれば致命傷だ。
依然、余裕ある態度を崩さずにカナタは焦げたシャツの胸元を撫でた。
「死装束ぐらいは私が購入してやろう」
素早い攻撃が再び、カナタを襲う。
上中下段と全てを織り交ぜて繰り出される剣戟だが、そうやすやすとカナタもやられるわけにいかない。
若干の遊び心を持ち、全てを紙一重で躱して反撃に移る。『英雄の宝物庫』と名付けられたそのスキルで一瞬のうちに大剣を呼び出し、その怪力を持って紙切れのように振り下ろす。
今回は魔剣ゴーシュのような特殊な能力を持った武器を呼び寄せはしなかった。
興味本位、ただそれだけを胸にカナタは武器を呼び出した。一体、自分とリアムが本気でやればどんな結果が生まれるのか。
「ーーっちぃッ!!」
轟音を立てて、リアムを剣ごと断ち切らんとしていた大剣。それをカナタはすんでのところで手首を返し、後方へ飛ぶ。
それを支援するようにリアムを襲ったのは氷の刃。土の地面から生え出る無数の氷柱が同じく、驚異的察知能力で瞬時に後退の選択を取ったリアムの頬を撫でた。
真っ赤な鮮血が一筋、リアムの頬から垂れ落ちる。
さすが、魔女といったところか。魔法の速度、練度、精度はどれをとっても一級品。掠っただけで肌を切り裂く程の威力だ。まともに当たれば絶命は間逃れないか。
リアムは袖で頬を拭って、カナタとリアムを順に睨みつける。
機動力、破壊力共に怪物染みたカナタと詠唱無しに底なしとも思える魔法を繰り出すエルザ。リアムの『紫電』と同じく合わさると非常に厄介な組み合わせだ。
力の入ったリアムの手に呼応して剣の纏う雷が放電し、威力が増していく。
「おい、それは卑怯じゃねーか」
大剣を肩に背負ってカナタは顎をしゃくった。
雷を纏う剣。きっとそれのことを言っているのだろうとリアムは薄く唇で曲線を描く。
そう、紫電は攻守一体。攻撃は勿論のこと、守りでさえその雷は猛威を振るう。
紫電の雷は触れたもの全てを焼き焦がし、灰とする雷剣。カナタには相手の剣諸共、両断することも可能だが、今回に限ってはそうしなかった。
紫電は刀身を合わせることさえ許されない。
その剣を盾にされてはカナタの渾身の一撃も逆に自爆を招くものになる。あの時、刹那的に危機を感じ、攻撃の手を止めたが、もし止めなければカナタは黒炭と化していただろう。




