平和の終わり、波乱の予兆
早朝。
あの殺戮の一件からはや数日が経った。
流れた血のシミは床や壁にぼんやりと残り、穴の空いた箇所にはやっつけ仕事で板で補修されたボッタの宿屋1階のロビー。積まれた死体は山奥に男連中で埋めに行くという、どちらが強盗集団かわからないそんないつものメンバーで今日も閑古鳥の鳴く店に駄弁る。
「やっぱりこの村の連中ってちょっと頭のどこかがイかれてると思うの」
人を殺す。
それを正当化するわけでもなく、受け止めているにも関わらず、特段心境に変化を見せるわけでもない住民達。
果たして自分はここにいていいのだろうか、と毎晩悩んでいたカインに机を挟み、向かいに座ったファレンが身を乗り出して声を潜めて言った。
いつものカウンターテーブルで欠伸をするカナタ。赤い顔で酒をラッパ飲みするブドーリオ。あいもかわらず無表情でカナタの横に立つエルザ、飽きもせず毎日焼き魚を貪るメルクリア。アトリはきっと上階に引きこもっているのだろう。その姿は見えない。
「う、うん…。でも、なんていうか…そんなマイナスイメージじゃなくてもっとこう…なんだろう。言葉ではうまく表現できないんだけど…」
「あんたは人が良すぎ。確かにあたしもエルザとユースティアさんには感謝してるけど、あんな簡単に人を殺す人たちがただの良い人なんて有り得ないもの」
「そうなんだけどさぁ。やっぱり悪い人じゃない気がするんだ。僕らにもこうやって住む場所と食事、働く場所までくれてるわけだし」
「給料なんてまともに出ないけどね」
ふんっと頬を膨らませてファレンは眉を釣り上げた。
客も少なく、他の収入源も見込めない。そんな状況で従業員を新たに2人も雇っていれば赤字経営なのは間違いない。
カインは懐にしまった財布に空っ風が吹くのを感じた。
「そうだ。お給料のためにもちょっと僕らでお客さんの呼び込みにでも行かない? ここは森に囲まれてるし、魔物に襲われて動けない人や道に迷った人に休んでもらうにはうってつけな所だと思うんだ。ほら気分転換にもなるしさ」
「えー…めんどくさい」
明け方から料理に洗濯、掃除と大忙しだったファレン。何食わぬ顔でそつなくこなしてる風のエルザだったが、実際蓋を開けてみれば何も満足にできないポンコツ。朝からそのフォローに回っていたファレンは疲労に押しつぶされ、机にべしゃりと潰れて顔を下げたまま低く唸った。
「え…あぁ〜…う〜ん。じゃ、じゃあファレンは休んでて。僕1人でも行ってみるよ」
「あんた1人じゃまた死んじゃうかもしれないでしょ」
「またって…。僕はまだ一度も死んでなんかいないよ」
「同じことよ。何回も何回も何回も死にかけてるじゃない」
「ぐっ…そう言われると…。で、でももう僕だって強くなったし、ただの魔物にはそう簡単にやられたりしないよ!」
「あんた1人じゃ人を助けるためだ〜とか言って無理するに決まってるわ。あたしも行く。行ってあげるわよ」
身を呈して渋々という感じを表現したファレンがだるそうに腰を上げた。
本人は嫌がるだろうが、どことなくカナタに似てきた気がする。
そんなやり取りがあり、2人がカナタに提案をしようとした矢先に前触れもなく、扉が吹き飛ばされるように開け放たれた。
「あなた達! 新聞! ご覧になりまして!?」
ユースティアだ。
長く綺麗な金色の髪をボサボサに跳ねさせて、如何にも慌ててきたという出で立ち。
真っ白なシルクのネグリジェは所々がめくれ上がり、白く美しい肌が露わになっている。
それさえも直すことが煩わしいのか、ユースティアは鬼気迫る顔でカナタの前に新聞を叩きつけた。
「新聞? んなもん取ってねーよ。この村で新聞なんて高価な物読んでるのはお前ぐらいなもんだぜ?」
印刷技術がまだ発展途上であるアルトリアにおいて紙媒体の物は基本、手書きのものが多い。
戦時中に開発された念写と複製の魔法によって少しは大量印刷が可能にはなったが、それでも新聞なんて毎日のように届く物はまだまだ高価で一般庶民以下のカナタ達に手が出せるはすがない。
「いいから! ご覧になってください!」
「なんだぁ、ユースティア。やけに焦ってるじゃねーか…おうおうおっかね〜な」
赤ら顔に緩んだ顔。朝からだらしなく酒を煽っていたブドーリオがからかうように言うと凍てつく眼光でそれを黙らせる。
うつらうつらとしていた早朝に大声で煽られて少し不機嫌そうに眉間をシワに寄せるカナタは言われるがままに新聞を広げた。
その一面にはでかでかと写真付きでこう書いてある。
ヨハンネス元第3王子、脱獄!
、と。
つい最近、会った顔。
眉目秀麗な顔立ちの金髪碧眼。写真はまだ、投獄前のものだろう。先日のように髭を伸ばした汚らしい姿ではない。
皆が驚き、口を紡ぐ中でカナタだけが薄い笑みを密かに浮かべた。




