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死神と妖精


「あがぉッ!!?」


 もうすぐそこ。

 手を伸ばせば届きそうな距離。

 たった一太刀、いや一突きで致命傷を浴びせられるはずだったが、側頭を見舞われた硬い衝撃にブルゴルムは勢いのまま横に崩れる。

 まとも受け身など片腕では出来ず、床に打ち付けた頬が痛む。

 鼻先に転がる氷塊を睨み、ブルゴルムは唸った。

 一体何が起きた。


「あんたにムカついてるのはエルザだけじゃないんだからっ!」


 解放され、生意気さを取り戻したファレンが大振りにブルゴルムへ指を突きつけた。

 エルザの授業のおかげでたった1秒ほどだが、詠唱時間の短くなったファレンの得意魔法、アイスブラスト。

 エルザが凶刃に襲われそうになったのをファレンは即座に杖を手繰り寄せて、ブルゴルムにお見舞いしてやった。

 たった1秒だが、その1秒遅ければエルザの背にはサーベルが深々と刺さっていただろう。


「あースカッとしたわ。エルザ、あんたにいいとこはあげる」


「ち、ちち…ちくしょう…」


 床に這いつくばりながら忌々しげにブルゴルムはファレンを睨みつけるが、それを遮るようにエルザが前に立った。




「…救えませんね」


 


 悲哀。

 まさにその感情か。

 ブルゴルムの醜態と仇に悲しみ、哀しんだエルザは悩ましげに眉を下げた。

 下手にかざしたエルザの手に精霊達が集まり、あの黒い大鎌が現れる。

 それを高々と上段に構えてエルザは氷のような冷たい目でブルゴルムを見下ろした。


「今一度、聞きましょう。約束を守って頂けませんか?」


 処刑執行人のように大鎌を掲げ、黒いドレスの裾がふわりと揺れる。

 一見、死神のような恐ろしさを持つが、その場にいる全員が得体の知れない美しさをエルザの姿に感じた。

 ブルゴルムも同様に見上げたまま息を飲んだが、悪意を取り戻したように上体を起こしてぺっと血の混じった唾を吐き捨てた。


「だれが魔女との約束など守るか。絶対に殺してやる。なにがなんでも絶対に!」


「……わかりました」


 長い沈黙を経て、エルザは無表情に鎌を振り下ろした。




「……あ?」




 妖精の舞を見ているかのような感覚。

 目を釘付けにされ、禍々しいそれが自分を両断するのを眺める。

 初めて魔女を美しいと思ってしまった。

 噴き出す血液。ブルゴルム周り、壁を床を鮮血が彩る。

 腰からゆっくりと繋ぎを失い、ずるりと身体半分が地面に滑り落ちた。

 倒れたブルゴルムの眼に映るのは血に塗れた漆黒銀髪の魔女の姿と己の下半身、そして溢れた内臓。

 見慣れたはずの物が自分の物となるとどうも気持ち悪い。

 死にゆくブルゴルムにはもう恐怖も恨みもない。

 血の巡らぬ頭には完全な虚無しかそこになかった。







「おい、お前らさっさと働きやがれ」


 築かれた死体の山、散らばる残骸。血まみれになった床や壁。なんとも悍ましい有様になった我が宿屋。その主人、カナタは死体を玄関先に置いた手押し車に投げ入れて周囲に喝を入れた。


「う…うわぁ…」


「む…無理無理。あたし死体なんて無理よ!」


 平和な世に育ち、死体とは縁遠い生活を送ってきたカインとファレン。洞窟で見たネネの死体よりは幾らか刺激は少ないが、それでも恐ろしい。できれば触りたくなんかない。


「う…うえぇ…」


 指先で摘んだ誰かの腕を素早く、麻袋に突っ込んでカインは嗚咽を漏らす。

 ファレンに至っては近づこうとさえしない。あんなにも威勢の良かったのは怒りに我を忘れたか、または都合の悪いものを脳が無意識に遮っていたか。今はバーカウンターの奥に縮まり、借りてきた猫のように大人しい。

 だが、それが一般的な反応。


「お二人は休んでいてください」


 全身を、顔さえも血に塗れておどろおどろしい様となったエルザは平然と残骸を片付けて、押し車にそれを乗せた後は両手を組み、修道女のように祈りを捧げてからまた作業に戻るといった流れを淡々と行なっている。

 それもまた異常なのだが、もっと狂っているのは残りの3人だ。

 ボペボの死体を横に顔を真っ赤にして酒を喰らうブドーリオ。血の臭いが充満した室内で焼き魚を頬張るメルクリア。足元には黒焦げの死体がある。最後に目を爛々と輝かせて執筆活動に没頭するアトリエッタとどれも死体に囲まれた状況ですることではない。


「あんたら…よくこんな環境で好きに行動できるわね。ましてや食事なんて信じらんない」


 軽く引き気味に辛辣な目で見られたメルクリアは得意げにフォークを振る。


「甘いにゃ。戦争じゃ死体なんて当たり前にゃ。どんな時でも食事をできないと立派な戦士にはなれないにゃ」


「ガハハハ! おう、メルもっと言ってやれ!」


 酒で気の大きくなったブドーリオはメルクリアを煽り、焚きつける。


「それにだ、死体の大半を作り上げたのは兄弟だぜ? ましてや客の俺らに働かせるなんて店としてどうなんだ?」


「せめてお前らが殺った死体そのデブと黒焦げぐらいは片付けろ」


 乱暴に死体を投げるカナタは不機嫌そうに言う。


「あ、ボクはちゃんと手伝うよ! もちろんさ! でもこの記録をまとめ上げるまでちょっと待って! 脳に鮮明に焼き付いている今書いておかないと後で後悔しそうなんだ!」


「…狂ってるわ」


 呆れたようにファレンは両手を上げて首を振った。

 死体を前にしても臆せず、人の命を奪うことにも物怖じしなかったカナタたち。どうしても疑問に思い、カインは恐る恐る口を開いた。


「…カナタさんたちは人を殺すのが怖くないんですか?」


 息を合わせたように皆は沈黙し、カナタが自嘲気味な笑みを浮かべて一番に応えた。


「慣れたんだよ。ファレンの言う通り、狂ったと言ってもいい。戦争は人を狂わせるのには十分過ぎる要因だ。何も思わないわけじゃない。重い十字架を背負って生きるのは確かだ。それでも自分を守るためなら俺は人を殺すさ」


 自分を守るためなら、本当は仲間を守るためならなのだろうとカインはカナタの言葉を解釈する。

 言った後にカナタは積まれた死体を眺めて、独り言のように呟いた。


「バカな奴らだ。金を稼ぎたい、人を殺したいならその絶好の機会がすぐそこまで近づいてるのによ」


 あいも変わらず平和な世の中。

 戦争の前触れさえも感じさせない時勢だ。

 きっとカナタの根拠のない予感だろうとカインはそれを問わずに聞き流した。

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