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盗賊の血

 壁際に追いやられ、満足に剣を振ることもできない。

 危機的状況ながらもカインは考えるのを辞めずにボペボの観察に徹する。

 軽々と大斧を持ち上げる右手、左手は空いているがカインの剣戟による裂傷がいくつか見られる。

 正面、ボペボの醜悪な顔とだらしなく張った巨大な腹。

 右左正面、どこにも逃げ場はない。


「グヘヘ。ぶるっちまうだろう? オレが何の考えもなしに暴れまわってると思っただろう?」


 逃げ場がないのなら仕方がない。

 カインは剣先をボペボ目掛けて真っ直ぐに構える。


 ーー逃げ場がないのなら逃げなきゃいい。


 突進。その選択肢を選んだカインは壁に柄頭を付ける程引き、勢いに任せてボペボに突っ込む。

 斧は剣と違って、殺傷箇所は先端部のみ。持ち手の部分で殴られたとしても致命傷には至らない。


「ーーッグ!!」


 避けるか、または防御態勢を取るか。選択肢はその2つだとばかり思っていた。


「だよなぁ…グフッ! 壁に道を塞がれたらぶっ壊すしかねぇ…」


 深々と突き刺さった剣にボペボの血が伝い落ちる。

 じわじわとボペボの服に血の滲みが出来ていくのをカインは目を見開いて見つめることしかできない。

 避けなかった。

 カインの手に伝わる肉を貫く嫌な感触。


「やっと捕まえたぜ、小鹿ちゃん」


 呆然とするカインをボペボは斧を捨て、太い両腕でカインを力強く抱きしめた。


「あ、あ…っ…あっ…」


 ミシミシと悲鳴をあげる全身の骨の音がカインの体内から直接、耳に響いてくる。

 それは自身の身体が出す警報。両腕諸共抱きしめてられたカインに抜け出す術などない。


「ちょこまかしやがってよぉ〜。ちょっとばかし痛ぇが、お前みたいなやつを捕まえるにはこれが一番よぉ〜」


 ボペボの酒気混じりの吐息がカインの鼻を撫でる。しかし、呼吸さえままならないカインにはその臭いさえ認識できずにいる。





「おいおい、店で暴れるのは禁止だぜ?」





 その場にいる全員の視線が声の主の元に集まる。

 朦朧とする意識の中でカインは。

 死を覚悟し椅子でだらりと手足を伸ばしていたアトリは。

 手足を拘束されて暴れていたファレンも悔しながらも見ていることだけしかできなかったエルザも。

 誰もが心待ちにしていた人物。


 カナタはそこにいた。


 あいも変わらず薄汚いコートに身を纏い、長く伸びた髪は鬱陶しそうに目にかかる。

 壁を背に扉のすぐ近くに寄りかかってこちらを見ていたカナタはダルそうに足を動かした。


「なんだなんだ。二日酔い覚ましの追い酒に来たら楽しそうだなおい、弟子」


「メルは魚を食べに来ただけにゃ。ケンカなら外でやるにゃ」


 その横にはブドーリオとメルクリアの姿もある。


「なんだてめぇら? 俺様らが誰かわかってやがんのか?」


 誰にも気付かれず、その姿を現した3人。当然の如く、ブルゴルムは吠えた。


「俺様らはブルゴルム一家! 泣く子も黙る賞金稼ぎ団よぉ!」


 腰にさしていたサーベル刀を振り回し、ブルゴルムは威圧的にそれで壁を突き刺すが、


「おい、修理代弁償しろよ」


事無げにカナタは吐き捨てた。


「はっはっ。ブルゴルム一家…確かケチな盗賊集団だろ?」


 豪快に笑い、ブドーリオはメルクリアの小さな肩に手を置いて、何かを促す。


「盗賊だってよ、メル」


「…触るにゃ。ハゲが感染るのにゃ。メルは魚を食べに来ただけなのにゃ」


 ムスッとした表情でメルクリアはいつの間にか持たれた革袋を床に投げ落とした。

 色褪せた銅貨が床にバラバラと散らばっていく。


「こんなシケた金しか持ってないのは大したことのない盗賊に決まってるにゃ」


「て、てめぇ! 俺様のサイフじゃねーか!! いつの間に!!」


 近づかれもしなかったはず。

 ブルゴルムは懐を叩き、目を疑った。


「そんなことよりもだ。バーカウンターのその席は俺の特等席って決まってんだよ」


 絞め殺そうとカインを力一杯に抱きしめていたボペボの元にブドーリオは肩で風を切り、堂々と歩み寄る。

 バラバラになった特等席の椅子。

 悲しそうにそれを眺めてブドーリオはため息をついた。


「それにそのボウズは俺の弟子でねぇ…離しちゃ貰えねぇか?」


「ふざけたこと言ってんじゃねぇ、ハゲがッ!!」


 抱えていたカインを床に投げつけて、ボペボは巨体を揺らし、ブドーリオに襲い掛かる。


「お前もハゲだろうが。ハゲはハゲ同士仲良くしようぜ?」


 床に転がっていたボペボの大斧を拾い、ブドーリオはそれを目にも留まらぬ速さで振る。


 ブォンッ!!


 と凄まじい風切り音。

 軽々と片手でそれを振り抜いたブドーリオの足元に重い音を立てて何かが転がった。


「借りたぜ」


 ごろりと床を転がるボペボの頭を見下ろしてブドーリオは呟く。

 ブドーリオに殴りかからんとしていたボペボの『残された』身体はふらふらと意思をなくし、首から噴水のように血飛沫を上げ、力なくその場に横たわった。

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