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宿屋の交戦

 しばしの静寂の後にエルザは口を開く。


「あなた達は私の殺しにやって来たのですか?」


「あぁ、そうだ。お前にかかった懸賞金100エリス。これがあればしばらくは遊んで暮らせるぜ!」


「ならば、『世界の名宿審査委員』でもなければ『お客様』でもないのですね」


 残念そうでもあり、安心したようでもある極めて薄い微笑を浮かべてエルザゆっくりとヒールの小気味良い音を立て、ブルゴルムに近づいて行く。




「よかった、なら少し痛い目にあって頂いても問題ないのですね」




 初めて見るエルザの笑顔と呼ぶに相応しい笑顔。可憐だが、不気味にも見える。


「…え?」


 その突如、カインを含めた数名のブルルム一家達の頬に一筋の涙が伝う。

 感情とは無関係かと思われた矢先、襲い来るのは得体の知れない不気味、恐怖、そして『悲しみ』。

 明確な悪寒。暗闇の中に取り残されたような不安と死神に鎌を喉元に突きつけられているような恐怖。にも関わらず、頭に入り込んでくる感情イメージは口に出すのも憚れる程の悲しみ。

 この世の悲しみを凝縮し、疑似体験させられるかのようだ。

 今や、一筋では足りずカインの瞳からボロボロと滝のように大粒の涙が落ち続ける。

 あまりの悲しみに戦う気力はおろか、動くことさえままならない。

 悲しみに縛られ、身体の自由を奪われた。そんなところだろうか。


「くは…くはは…くははは! 見ろ! 『魔女の抱擁』だ! 間違いない! 間違いなくこの女は悲哀の魔女だ!!」


 魔女の抱擁。

 魔族の魔女が固有能力を発する際に周囲を包む不気味な感覚を人々はそう呼ぶ。

 ゆらりと亡霊のように立ちすくむエルザ。天を仰ぎ、漆黒のドレスに身を包んだ姿は紛れもなく魔女。白銀のような美しい髪と夜の闇のような黒いドレスのコントラストがより一層不気味さを演出している。


「ひぐっ…ひぐっ…」


「うおぉ…ん…」


 カインや数名のブルゴルムの一味が啜り泣く声が静かに響く中。行動の自由を奪われなかった賞金稼ぎ達は無防備に天に祈りを捧げるような無防備なエルザを取り囲む。


「おら! てめーらしっかりしやがれ! 存外大したこたぁねぇじゃねーか!!」



 悲哀の魔女、エルザの固有能力スキルは名前の通り『悲哀』。

 エルザの周囲、半径10メートル内にいる者、敵味方問わずに悲しみの底に堕とし、思考能力と身体機能を奪うもの。

 精神力の強い者程、能力の影響を受けない。



 固有能力を使ってしてもブルゴルム一家を削れたのは3名ほど。

 全力を出せば、周囲の者の過半数を再起不能まで陥れることも可能だったが、カインやファレンのことを考えて最小限に収めてしまったのが災いした。

 結果として中途半端に敵を煽り、警戒心を強めてしまう。


「…仕方ありません」


 無機質な表情のままエルザが空中に手をかざすと大気中に漂っていた精霊達の粒が集まり、漆黒の大鎌が現れる。

 まさに死神といった形状。歪んだ柄や赤黒く変色した刃は邪悪と形容するほかない。


「おっと、それ以上は近づくな」


 鎌の間合いに入られる前にブルゴルムは手を突き出しエルザに制止をかけた。


「反抗するなら人質の命がないぜぇ?」


「むぅ〜!! むぅ〜!!」


 親指で後方を指すその先には賞金稼ぎに拘束されたファレンの姿。

 目に浮かぶ涙はエルザの固有能力の影響かはたまた恐怖からなのか。口を押さえられたファレンには聞くこともできない。


「…わかりました」


 ゆっくりと手を下ろし、邪悪な大鎌は淡い光の粒となって霧散する。


「ファレン様、カイン様の無事をお約束頂けるのであれば私は一切の反撃を致しません。どうかご慈悲を」


 機械的に淡々とカイン達の命の保証を願うエルザ。その瞳は一切の瞬きをせずにブルゴルムを見つめた。


「くはは! いいねいいねぇ!! 俺様は従順な女は大好きだぜぇ?」


 ブルゴルムは醜悪な顔を歪め、足元に這い蹲り啜り泣くカインの腹を蹴った。


「うぐっ!!」


 床を激しく転がったカインは呻き声を上げてエルザの足元にたどり着いた。

 痛みという衝撃が功を奏し、能力のかかりも浅かったカインの意識が取り戻される。

 どうやら蹴られた際に口を切ったらしく、端から垂れた血が顎を伝った。


「自分で言うのもなんだが、俺様は性格が悪い」


 ブルゴルムの言葉に周囲の仲間はグヘヘと汚らしい笑い声をあげた。


「魔女の仲間なんだろこのガキは。なら生かしとくはずがねぇ。だが、俺は殺してくれって命を差し出されるのも好きじゃねんだよなこれが」


 ブルゴルムが手を小さくあげると取り囲む男の中から一人、あの肥えた髭面の男が前に出てきた。


「ボペボ。お前かぁ。そいつは運が悪い」


「機会があれば前にやり損ねたオレがやるってのは約束だったかんな」


 ブルゴルムはボペボの言葉を鼻で笑うと再び、エルザとカインの方に向き直る。


「そのガキがもしもボペボにタイマンで勝てたんならガキ二人だけは見逃してやる。勿論、魔女の首は頂くがな。ほら、これがお前の武器エモノだろ? せいぜい頑張って生をもぎ取ってみろ」


 カウンター奥に立てかけられたカインの剣が無作為に投げられる。

 ガシャンと音を立てて落ちたそれをカインは握り立ち上がる。

 悲しみの淵に堕ちたと言えども記憶はある。エルザの手加減のおかげだろう。


「お前たち全員を倒す! エルザさんを殺させたりはしない!!」


 啖呵を切って睨みつける。

 対峙したボペボは髭を撫でてながらほぉと感心めいた声を出した。


「だってよオヤジ! こいつは嬲り甲斐があるなぁ」




「なははは! これがブルゴルム一家の『処刑』ってやつだね。噂には聞いていたけどこの目で見るのは初めてだ」




 割り込むような笑い声。

 上階が降り出でたボッタの宿屋唯一の常連、アトリエッタ・カスティーリャは不敵な笑みを浮かべた。


「こんな楽しそうなこと僕を仲間外れにするなんて酷いじゃないか」



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