卑猥の魔女
一方、宿屋に残り律儀にしていたエルザとファレンの二人。
テーブルには焼き魚を美味しそうに頬張るメルクリアの姿もある。
夕食の支度を済ませ、外の灯りが窓から差し込まなくなった薄暗い部屋で退屈そうにテーブルに顎を置いて暇を持て余すファレン。
「ねぇ…あんたそれなんなの?」
ろうそくに手をかざし、燭台に火をつけて回るエルザの姿を見て見やってファレンは呟いた。
「もうすぐ夜になりますので灯りをーー」
「じゃなくて!」
「あぁ、直接火をつけて回るより無精な私は魔法の方が効率が良いと思いまーー」
「でもなくて! なんであんた詠唱も媒体物もなくて魔法使えてるわけ?」
調理の時もそうだった。
薪をくべて竃に火をつけるのも全て魔法で行うエルザ。それ自体は高度な魔法使いにおいてそんなに珍しいものではないが。
「詠唱…媒体物…」
不思議そうに人形のような意思のない表情で首を傾げたエルザは銀色の長いまつ毛を瞬かせた後、合点がいったか手のひらを叩いた。
「私は魔族なので」
さらりと重要なことを言ってのける。
「はぁ!? 魔族ってあの?」
「はい。10年前、人類種と戦争を行った魔族です」
淡々とした口調でそう述べたエルザの瞳に嘘偽りの光は見えない。
「…マジなの?」
「マジも何もそいつは正真正銘、魔族で魔女にゃ」
口の周りを汚してメルクリアは得意げにフォークを振った。
「魔女って! あの魔女よね? 戦時中に何人もの兵士、民間人を殺して回った極悪非道の!」
しゅんとわからない程度にエルザは顔に悲しみが含まれた。
やはり10年の月日が経とうとも魔族を、魔女を恐れる人々の思いは健在かと。
「それを言ったらメルたちだってたくさんの人を殺したにゃ。それは戦争中において仕方のないことなのにゃ。それにお前が想像する恐ろしい魔女のイメージは大体、憤怒の魔女のせいにゃ」
お上品とは程遠い様でメルは焼き魚にかぶりつき、ペロリと舌を出して唇を舐めた。
「えっと、なんだっけ…エルザは…そうにゃ! 『卑猥の魔女』だったかにゃ!」
「『悲哀』です、メルクリア様」
すかさずエルザは訂正する。
悲哀と卑猥ではあまりに意味が違いすぎる。それにどちらかと言うと卑猥担当は『強欲の魔女』ベアトリスのはずだ。
豊満なバストとくびれたウエストに丸みを帯びた綺麗なヒップ。艶かしい声を出して誘惑するベアトリスの姿を思い出し、エルザはうんと小さく一人頷いた。
真っ黒なドレスに身を包んでいるエルザもベアトリスとはまた違った卑猥さを持っていることに気付いてはいない。
「そんなことはどうでもいいにゃ。メルは魚のお代わりをご所望にゃ! あ、あとぬるめのミルクも欲しいにゃ!」
これまた下品に皿を舐めていたメルクリアは話を断ち切り、非常ににこやかに追加のオーダーを宣言する。
「あんた…ちゃんとお金持ってるのよね?」
「心配いらないにゃ! 今日のメルは大金持ちにゃ!」
皿を片付けながら訝しみの目を向けるファレンにメルクリアは得意げに胸を叩いた。
「おーす!」
そんな時にまた騒がしい客が来店する。
どんなに店番をしていたって来るのは決まっていつものメンツだ。
もう宿屋というよりは単なる友人間の溜まり場となってる節がある。
「おら、着いたぞ小僧」
ボロ雑巾のように成り果てたボッタの宿屋の従業員カインはブドーリオの背から滑るよう落とされて冷たい床にべちゃりと着地した。
「は、はいぃ…ありがとうございました…し、師匠…」
顔面をパンパンに腫らし、鼻の穴には鼻血の塊。身体中に痣を作ったカインは息絶え絶えにブドーリオに感謝の意を示す。
「あんた…ここに来てからいつも怪我してるわね」
もういつものことだ、と慣れたようにファレンはカインの前にしゃがみ込んで顔を覗き込んだ。
「それよりも聞きなさいよ! あいつ! エルザって魔女なんだって! えーっとなんだけ…卑猥のーー」
「悲哀です、ファレン様」
「そう! 悲哀の魔女なんですって!」
喜々とした表情でカインに告げるファレンの様子を見やりながらエルザは視線を落とす。
元々、率先して自分の事を話すタイプではなかったが、聞くところによるとファレン達は戦争孤児。ますます、自分の事を話すべきではなかったのかもしれない。
きっと彼女らは自分を恐れるだろうし、なによりせっかくできた新しい繋がりが断たれてしまうのが悲しかった。恐らく、ファレン達も自分を許すことは出来ず、畏怖し恨み、侮蔑するに違いない。
感情が表に出やすいタイプでなくて良かったとそこだけにエルザは安堵するが、
「あ、うん。僕もさっき聞いたよ。すごいよね…」
「すごいなんてもんじゃないわよ! 魔女よ魔女! 魔族にだって会ったことなかったのに初魔族の相手がまさかの魔女よ!」
耳を疑う言葉を聞いた。
ーーすごい?
自分に何か凄いことがあっただろうか。
困惑のあまりエルザの瞬きが増える。
「だから、あたしもあんたみたいにエルザとユースティアさんに魔法を教えてもらおうと思うのよ!」
「あ、あの…」
珍しく口ごもったエルザにファレンは振り向く。
「私が怖くないのですか…」
「怖い? なんで?」
「では、恨んではないのですか?」
「は? だからなんでよ!?」
何故、ファレンが怒るのかエルザには分からず益々、困惑。
見かねたブドーリオがフォローに回った。
「だからよ、お前ら戦争孤児って話だろ。お前らの親を殺したのはエルザちゃんかもしれないのに恨んでないのか? 怖くないのか? って言いたいんだと思うぞ」
しばらく、ファレンは目を瞑って考えた後、意志の強そうな目をキラキラと光らせてニカッと快活に笑った。
「全然ッ! だってあたしやカインなんて親のこと? これぽっちも記憶にないし、孤児院だってすごいいいとこだったし、何一つ不自由してないもの。ねっ、カイン」
「あ、いや。僕は正直、聞いた瞬間は怖いと思ったよ。…でも、ここに来てエルザさんと話して笑って…とても人を殺して喜ぶような人には思えなかった。あー、やっぱりエルザさんはフアナ姫のモデルなんだって実感した。すごく優しくて綺麗で穏やかな人なんだって…そう考えてからは悪い気持ちはどこかに行っちゃった」
二人の微笑み、優しさに触れてエルザの目頭にじんと熱いものがこみ上げた。
頬が濡れる感触。これもずいぶんと久しぶりなことだ。
「なになに、なんで泣いてんの? もしかしてあんた泣き虫」
意地悪に口の端を上げて、からかいに来るファレン。
エルザは指先で涙を拭い、ふんわりと穏やかに微笑んだ。
「ファレン様ほどではありません」
室内に暖かい空気が広がり、皆が穏やかに笑みを浮かべる中、一人片肘をついて顔をむすっとさせたメルクリアは一人呟いた。
「…メルの魚はまだかにゃ」




