深夜の客人
レインタウン。
古い宿屋と平和な村には似つかわしくない鍛冶屋と武具屋。大小様々な家屋も並ぶ周囲を森に囲まれた小さく寂しい村だ。
比較的新しめの家屋が並ぶ中、ボロボロの年季の入った宿屋が一件だけ。
それこそ村の中でも悪評の多い『ボッタの宿屋』である。
このレインタウンと呼ばれる、正確には呼んでいるといった方が正しいが、この村ができる前から存在するこの宿屋を中心にできた言わば地図には載っていない世捨て人やゴロツキ、手配人などが手を取り合いできた村。
当然、村内部の治安は悪く、優秀な村長のおかげか辛うじて村としての体裁を保っている。
村で決められた法、ルールと言ったほうが適切か、それは一つに限る。
『村人の過去を詮索してはならない』
この文言は森を抜けた街道沿いの獣道にも立て看板に綴ってある。
そんな無秩序で危険なこの村にも幾ばくかの客人は訪れる。
それは様々な理由だが、一番多いのが森に迷い込んだ旅人。その次に魔物に襲われ逃げ込んできた者。これらが大多数を占める。
そして、今日もまだ霧がかった太陽も登りきってない空が白んだ時間に客人は訪れた。
ボッタの宿屋、レインタウンに存在するたった一つの宿屋。
そこを切り盛りするのは10年前にこの世界に転生してきたカナタ、そして真っ黒なふわりとしたドレスに身を包んだ銀髪の美女、エルザである。
宿の中には客室の他に、極たまにしか外部からの客を来ないことから店の隅の方を無理やり改築し、生計を立てるために開いた小さな酒場を設けてある。そして朝方まで飲み明かしているのは決まって筋肉質な大柄のスキンヘッドの男、ブドーリオだけであった。
「よぉ、兄弟」
酒で顔を赤らめながらグラス片手にカウンターで暇そうにあくびをしていた店主に向かってブドーリオは呼びかけた。
「なんだよ、ハゲ」
「ハゲじゃねーって。これは剃ってるんだって何度も言ってるだろう」
旧知の中、親しげに会話をする二人。
夕方からずっとちびちびと酒を煽り続けていたブドーリオはちらりとカナタの横に直立不動で立ち、まっすぐ前を見据えるエルザに視線を移した。
「エルザちゃん……明るくなったよな…」
「……お前、それ今日何回目だ……。酔っぱらってねーでさっさと帰れよ」
「いや…ほ、ほんとさ、お、おでよがった…ひぐっ…なぁって」
酒の勢いもあってか少し過去のことを思い出し、ブドーリオは目頭がじんわりと熱くなるの感じながらグラスに残った少量の酒を一気にぐいっと煽り、エルザの顔を見てうんうんと頷いた。
「いいよな兄弟は。こんな美人な女性にずっと寄り添っててもらってよ…なのになんで! なんで俺には彼女ができねーんだよ! ファックこの世界ファック! 筋肉ハゲにも人権を寄越せ! 強面ブサイクにも人権を!」
脈絡もなく大声を上げてわめき散らす、知人の姿にカナタははぁ~と長い溜息をついた後、
「大体、こいつのどこが美人だ。無口ぶってるくせに暴言はよく吐くし、暴力だってえげつねェ! おまけにだ!」
そこで言葉を区切った後、カナタはおもむろにエルザの尻を鷲掴みにした。
「こんな固くて張りのないケツにどこに魅力がある! 胸だってそんなねーのに尻ぐらい良きにはからえよ! 尚且つ、こいつのパンツ、ピンクだぜ!? こんなお澄まし顔でピンクのパンツだぜ? キャラじゃねーってのぅっ!!」
至って冷たく、射殺すような眼光を輝かせエルザは近くにあった酒瓶でカナタの頭を強打。
カウンター台から前のめり気味に倒れ、当たりにはガラスの破片とぶどう酒の匂いが立ち込めた。
「……エルザ…お前この芳醇で甘美な香り」
カウンターに酒びたしになりながら突っ伏していたカナタは己の頬を伝う雫を指先につけて舐めとる。
「お前! これやっとのことで仕入れることの出来た『妖精の涙』じゃねーのか? このハゲが帰ったらこっそりそして大事に飲もうとしていた名酒じゃねーか! なんてことしやがる! 俺がこれを手に入れるのにどれだけの金とどれだけの汚い手を使ったのかわかってるのか!?」
渾身の怒号である。
自身が殴られた痛みよりも酒の方が大事。最重要。
しかし、そんなカナタの怒声にもエルザは怯まず、冷ややかな目で問い詰める。
「そのような高い酒買うのにどこから資金を調達したのでしょうか旦那さま」
「はぁ? 今そんなことカンケーねーだろ!」
「あります。大いにあります。この閑古鳥が常に鳴いているようなボロボロの宿屋で、ただでさえ旦那さまの一存で設けた酒場の酒代に生活費を圧迫されているというのに。どこにどのようにどうやってこのエルヘイムでも極めて有名なお酒を買うようなお金があるのでしょうか……旦那さま?」
抑揚こそないが鋭く問い詰めるような声で淡々と、気まずさに顔を背けようとするカナタの両頬を優し気に、しかし力強く両手で包み込みながらエルザは問う。
「エルザちゃん…やっぱりよく喋るようになったし変わったよなぁ」
その様子をしみじみと眺めていたブドーリオはどさくさに紛れて酒棚からくすねたラム酒をグラスに入れてクイッと流し込んだ。
「すみません」
そんな一触即発の空気を断ち切るように来客を報せる鐘の音と聞きなじみのない男の声がした。
ナイスタイミングだとカナタは素早くエルザの手を振り払い、入口に立つ四人の客に視線を向け、最初こそ愛想よくいらっしゃいませの一言でも言って迎い入れようかと思ったが、その客の姿を見るなり、眉間に皺を寄せて口をへの字にしてしまう。
「主人。ここら辺に医者か薬師は住んでいないだろうか」