宣戦布告
重い沈黙がしばらく流れ、おもむろに口を開いたのはカインだった。
「オーナーは…英雄カンタレスで間違い無いんですよね…」
「さぁな。言えるのは俺がカンタレスなんて名前じゃないことだけだ」
カインはアトリから預かった大切な原稿をもう一度眺める。
英雄カンタレスは…。
憧れ、胸を打たれた英雄は目の前にいる。
あの悪夢のような出来事からまだほんの一日ちょっと。
何よりも自分の無力を呪ったあの日。
カナタの背に揺られ、一人考え出した結果、自分が今すべきことが明白にわかった。
自分は弱い。
だからこそカナタに言わなければならない。
憧れてるだけではダメだ。
もっと努力をしなければ。
「オーナー!」
意を決した表情でカインは床に膝をつけ、頭を下げた。
「僕を弟子にしてください!!」
強くなるには、仲間を守るためには自分より圧倒的に強い師匠が必要だ。
カインは額を床につけて誠心誠意、自分の気持ちが伝わるよう懇願する。
「は?……はぁあああ!? ちょっとあんた何言ってんのよ!? なんでこいつに弟子入り!? 絶対やめたほうがいいわよ!!」
相談もなく、初めてこの場で聞かされたファレンは驚愕し、無理やりカインの土下座をやめさせようと身体を引っ張るが、ビクともしない。
「仕事も真面目にします! お願いします!! 僕は強くならなくてはいけないんです!!!」
大した関心もなく、ただ黙って冷めた残りの朝食を口に運んでいたカナタはちらりとだけカインを一瞥すると、
「早く飯を食え」
それだけ言ってその場を立った。
「ということは、弟子にしてくれるんですか!?」
「なわけねーだろ。従業員が仕事をするのは当たり前だ」
「…弟子にしてください!」
顔を上げ、カナタの言葉を聞くと残念そうな顔をして再び懇願のスタイルを取るカイン。
カナタは呆れたように頭を横に振り、カウンターテーブルに戻っていってしまう。
その状態がしばらく続き、やがて比較的食べるのが遅いエルザまでもが食事を終え、食器を片付け始めた頃、ファレンが土下座態勢のまま動かずにいるカインの肩に手を置いた。
「諦めてあたしたちもご飯にしましょ。そもそもあいつに弟子入りすること自体間違ってるんだから」
「嫌だ。僕はオーナーの弟子になるまで頭を下げるのをやめない」
今日に限ってブドーリオもメルクリアも来ない。
退屈が功を奏したか、やっとカナタはカインに対して口を開く。
「なんで俺の弟子になりたい。俺が英雄『だった』って聞いたからか?」
「違います。オーナーに弟子入りを決めたのは助けてもらった時からで決してミーハーな意識を持ったわけではありません」
「じゃあ、なんで弟子になりたい…? 俺はただの宿屋だぞ」
「あなたの圧倒的な強さをこの目で見たから…です」
床に頭をつけたままくぐもった声を出すカイン。
またしばらく、二人の空間に沈黙は流れ、
「俺は育て甲斐のない弟子はとらない主義なんだよ」
ポツリとカナタは漏らした。
その言葉、聞き逃すことなくたしかに自分の耳で聞いたカインはガバッと顔を上げ、真っ直ぐにカナタを見つめる。
「僕が育て甲斐がない…と」
「あぁ、そうだ。それに…柄じゃない」
「僕があなたのお眼鏡にかなわないほど弱い、と」
「…まぁ、そんなとこだ」
カインの目に闘志の炎が宿る。
「僕が弱くないってことをあなたに認めさせればいいんですね…?」
怪訝にカナタは顔をしかめた。
「僕と勝負してください…!」
「どうしてそうなる」
「僕と戦ってもらえたら僕が弱くないって証明してみせます!」
「…なんだそりゃ」
肩をすくめ、カナタはふぅっと小さく息を吐く。
少しの間、カインを黙って見やっていたカナタだったが、その少年の真剣な眼差しを鼻で笑い、
「面白いな、それ」
乗り気になってしまう。
ここしばらく自分にケンカをうるような人間はいなかった。
正直、退屈していた。
「そうだな。お前が一太刀でも俺に浴びせることができたらお前の弟子入りを認めてやる。おまけにケンカの日時もお前が決めていい。しっかり万全な状態で俺に弟子入りできるよう頑張れよ」
嘲笑うようにカナタはカウンターに肘をつき、両手を顔の前で組んで言った。
「一太刀…日時も…」
「あぁ、出血大サービスってやつだ」
拳を握りしめ、カインは決意を固める。
チャンスは一度しかない。
万全な状態?
そんなもの待ってられない。
一刻も早く自分は強くならなくてはならない。
「では、今すぐに戦ってください」
「…あぁ。わかった」
挑発するようにカナタは片眉を上げて、ニヤリと笑った。
「ちょっと! 今からって…あんたまだケガ治ってないのよ!? あいつがどんだけ強いかなんてあたしは知らないけどとても戦えるような状態じゃないわ!!」
「…大丈夫。やるなら早い方がいい。それに掃除で身体を動かしていた僕と違って、まだ早朝。ずっと椅子に座っていたオーナーは準備もできてなくて動きだって鈍いはず」
立ち上がり、床を見つめながらカインは小さくそう言った。




