静かな夜、暗い部屋、二人の会話
「…え……ど、どうして」
「あんたすごく辛そうな顔してんだもん。今にも泣いちゃいそうなくらい」
ファレンは母親のように慈愛に溢れた目をそっとカインに戻した。
ユースティアにカインの精神が弱っていることを知らされたから意識してこの態度というわけではない。
ただなんとなく、そうなんとなく無理に聞くことではないとファレンは思っていた。
「それにその顔に、戻ってこない二人。バカでも想像ついちゃうわよ。あーそーなんだ。あの二人はってね…」
ファレンはやれやれと首を振った後、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
彼女の思いやりにカインは何も言えず、グッと拳に力を込めて、下を向く。
「ごめん。…護れなかった」
一粒の雫がシーツを濡らす。
カインがやっとのこと絞り出した声は上ずり、酷く情けないものだった。
それをジッとベッドの脇で眺めていたファレンは白く華奢な手を伸ばし、優しくカインの頭をポンポンと叩く。
母親が子供をあやす様に優しく、慈しみを持って。
ファレンだって悲しくないわけじゃない。
二人のことは何よりも大切な仲間であり、友人だと思っていたし、カナタたちの嘘だったとはいえ、自分の命を救うために行動した結果でこんなことになってしまった、というのは泣いても泣き足らないぐらい悲しいし、悔しくもあった。
ただ、恐らく辛いものを目の前で見てしまったであろうカインの気持ちを汲み、ファレンはぐっと涙を堪えて慰め役に回った。
「あんたは悪くないわ。あたしはあんたに感謝してる。勿論、エリオットとネネ。二人にも」
同じように辛いはずの少女にカインは只々甘え、情けないと思いながらも涙を流し続ける。
暗く、静かな室内にカインのすすり泣く声だけがしばらく続き、ファレンも黙ってそれを頭を撫でながらじっと待った。
やがて、ゆっくりと涙を拭ったカインは真っ直ぐとファレンを見つめ、
「ファレンだけは…必ず僕が護るから」
生涯のパートナーに向けたプロポーズのような言葉を告げる。
「…ぷっ。何その顔。酷い顔ね」
涙でボロボロになった真っ赤な瞳と瞼。
ファレンは照れ隠し気味に戯けてそれを笑った。
「くっせぇ〜なお前ら。ブドーの体臭よりよっぽど臭ぇ」
恋人同士の作る、そんな甘い空気の中に来客は突然現れる。
乱暴にドアを開けられて、開口一番にそんな一言。
言わずもがな、この宿屋の主であるカナタであった。
「な、なによあんた! ノ、ノックぐらいしなさいよ!!」
「うわぁ!! 聞かれてたぁ〜恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい〜ぃぃ!!」
一方は顔を真っ赤にして怒り、もう一方は悶えるように布団を頭から被り、バタバタと暴れ回る。
「あのなぁお前ら。うちは見ての通りボロい。しかもこの部屋はカウンターのすぐ側だ。こんな静まり切ったど深夜なら耳をすまさなくたって嫌でもお前らの会話が聞こえちまう」
食あたりを起こしたように顔をしかめ、カナタは胃の辺りを押さえた。
「徹夜で番してるっつーのに胃もたれするような会話聞かせんじゃねーよ」
「あ、あんたが勝手に聞いたんでしょ! 返しなさいよ! あたしらの会話返しなさいよ!!」
恥ずかしさと困惑と怒り、様々な感情が入り混じりファレンは訳のわからないことを口走るが、カナタは鼻でそれを笑って一蹴。
「起きろ、仕事の時間だ」
ボサボサに伸びた長い髪をかき乱しながらカナタは短く、吐き捨てるように言った。
「し…仕事」
布団からスポッと顔を覗かせ、カインは目を瞬かせる。
当然のこと、カインは自分がこの宿屋で働くことになったことなど知らない。
頭上に疑問符を浮かべながらカインは横でバツの悪そうな顔をしているファレンに視線を向けた。
「どういうこと…?」
頭がついていかないと目を丸くして純粋に、ストレートな疑問をぶつけてくるカインにファレンは顔を背け、
「お、起きるわよ」
短くそう言って部屋を出て行った。
残されたカインも首を傾げながら痛む身体に鞭を打って後に続く。
そんな二人が出ていくのを確認するとカナタはまるで臭う空気を入れ替えたいと言わんばかりに渋い顔で乱暴に窓を開け放った。
冷たく澄んだ空気が部屋に飛び込んでくる。
夜風に当たるように窓から顔を出してカナタは深呼吸を一回。
近くの森から梟や虫たちの声がどこからともなく聞こえてくる。
カナタが元の世界にいた頃には見ることもなかった満点の星空。
今となってはそれも珍しいものでもない。
ぼんやりと朧げに輝く三日月を見上げる。
まだ太陽が顔を出すには時間がありそうだ。




