ボッタの宿屋
「うるせ~なぁ…」
「そうですね旦那さま」
古びた木製のカウンターに座り、退屈そうに頬杖をつく青年、カナタはその狭いカウンター内で仕えるように横に立つ銀髪の真っ白な肌と真っ黒な服に身を包んだ女性に語りかけた。
淡々としたその女性の言葉にカナタはチッと小さく舌打ちをして蜘蛛の巣やホコリのたまった天井を見上げる。
「あんっ! あんっ! あんっ!」
「イエス! イエス! オーイエス!」
ボロい家屋故に音はダダ漏れ。そして行為中かと思われるその振動で天井からはホコリがぱらぱらと舞い降りてくる。
「エルザ、お客様にサービスだ。フルーツでも持って行ってケツの穴にでも突っ込んでこい」
銀髪の女性、エルザは翡翠のように淡く綺麗な緑色の目をパチパチと瞬かせ、こくりと小さく頷いた。
「……わかりました」
コツコツとこ気味の良い音をさせてエルザは厨房から取ってきたフルーツの入った籠を片手に階段を上っていく。
その容姿と格好からどうみても怪しい雰囲気になってしまうエルザ。さながら、白雪姫に毒りんごを渡した魔女のように不気味な出で立ちである。
そしてエルザが階段を上り終えてからしばらく、強引にドアを蹴破る轟音が家屋中に広がる。
いかにボロい建物とは言えどもエルザのか細く小さな声は聞き取れないが、行為中にいきなりドアをノック一つもなく蹴破られた客たちの驚きと激昂、そして焦りの声はやすやすと聞こえてくる。
「な、なによあなた!」
「なんで無断で入ってきてんだよ! 頭おかしーんじゃねーか!?」
「……え? い、いらないわよ!」
「な、なんだよお前…出て行けよ…ち、近づくな!!」
バタバタと逃げるような足音。
それを心底可笑しそうに意地の悪い顔で声を押し殺して笑うカナタの目の前に階段から二つの影が転がり落ちてきた。
「おや、うちのサービスがご不満でしたかね?」
何も知らないようなとぼけた顔でカナタは二人に問う。
「バカヤロー! 二度と来るかこんな宿!」
「そうよ、最悪だって言いふらしてやるんだから!」
着衣の乱れたカップルは顔を真っ赤にしながら歪んで軋むドアをぶち開けて出ていてしまった。
その後ろ姿にカナタは気のない淡々とした口調でこう告げる。
「ご来伯ありがとうございました。今後もこの『ボッタの宿屋』をご贔屓に」
「旦那さま。お客様帰られてしまったようですね」
一頻り余韻に浸り笑ったあと、いつもどおり悪びれもなにもない無垢な顔で籠を片手にりんごを空いた手に持ったエルザが階段を下りてくる。
「おう、お客様はお帰りになられた。……しかしエルザお前…」
「はい?」
「リンゴは攻めすぎだ」
カナタの意図を理解するはずもなく、エルザは少しだけ首を傾けた。
「旦那さま。私からもご報告が」
「あぁ、蹴破ったドアなら適当につけとけ」
「いえ、そうではなく……客室にいらして頂いた方がわかりやすいかと」
「あぁ?」
神妙な面持ちのエルザの言葉にカナタはさぞめんどくさそうに椅子から腰を上げ、カウンターを出る。
そして、エルザの案内に従い後ろをついて客室まで行きその惨状を見るやいなや、絶句せざる得なかった。
「おま……これ、うんこじゃねーか!」
「はい…」
「はい…じゃねーよ! なにがどうしたら部屋に脱糞するような出来事が起きるんだよ!」
「世の中にはそういった趣向を持った方もいると文献で読ん――」
「――真面目に返すんじゃねーよ! 知ってるよ! 俺が元いた世界なんてもっとえげつないのだってあったんだからよ!」
くすんだ木の床に堂々たる風格で鎮座するその茶色物体をしばらく二人で凝視した後、カナタはおもむろに窓を開けて叫んだ。
「二度と来るなこのクソカップル!」
閑散としたそして新しめの木造住居が立ち並ぶ村、レインタウン。タウンと呼ぶには些か寂しげなその村にカナタの悲痛な叫びは木霊した。
「……んでだ、これをどっちがどう処分するかって話になるわけだ……エルザお前やれ」
「いやです」
きっぱりと断るエルザ。
「は? お前使用人だろ? 俺は誰だ、この宿の主だ。お前より偉い」
「いやです」
「あのなぁ、おま――ふぐっ!!」
無理にまくし立てようとするカナタをエルザは無言で平手打ちし、三度こう告げる。
「いやです」
「……おまえさぁ……ケツの穴にリンゴぶち込もうとした女がこれの処理嫌がるっておかしくない? それにお前、おれお前の雇い主よ? それに平手打ちってお前――おごっ!!」
今度はその華奢で細く白い足での容赦ない膝蹴りがカナタの腹部に深々とめり込む。
堪らず、その場にしゃがみこむカナタに追い打つようにその踵の高いピンヒールで頭を踏みつけた。
「て、てめぇ……」
「お掃除お願いします旦那さま」
いつの間に準備したのか、床に頬ずりするカナタの鼻先にひらりと雑巾が一枚落とされる。
忌々しげにカナタはエルザを睨みつけるが、至って冷たく見下ろす彼女にむぐぅ、と口を噤むんでしまった。
旦那さまの敗北に満足したのかぐりっと足を頭の上で捻りつけた後、無表情のまま退室せんとする彼女の背中に負け惜しみじみたセクハラ発言をするのだった。
「お前の顔でピンクはねーわ」