三重魔法と白いパンツ
ユースティアは高価そうな朱色のドレスの袖を力強く捲り、カインの枕元に立った。
呼吸は荒く、寝苦しそうに額に汗を浮かべている。
心拍も通常よりは弱いが、観察するに命の危機に瀕するような怪我は負ってないようだ。
極度の緊張と疲労による衰弱、ナイフを突き立てたような左腕の傷、身体中についた軽度の裂傷。
そう命に別状はないはず。
ユースティアの指先に淡い光が宿る。
クローデッド家に伝わる医療魔法の一つ。
指先に微量の魔力を宿し、自己の魔力で対象の身体を光の膜で覆うことによって発動する。
触診の一種だが、それでわかることは多い。
衣服で隠れた傷、体内の情報、臓器の健康状態に脳波情報を得ることによるメンタル状況までに渡る。
ユースティアはさも簡単そうに行うが、この魔法は風と水と光の三重魔法。
魔法に長けた医師もそう少なくはないが、微細な魔力コントロールと多属性を掛け合わせたこの魔法はクローデッド家の専売特許のようなものになっている。
一頻りの診察を終えた後、ユースティアは重そうに膨れた往診カバンからいくつかの薬液と包帯を取り出し、カインの傷口に塗り込んでいく。
途中からエルザがサポートに入り、あらかたの場所に薬を塗り終えるとユースティアは両手を一番酷い傷を負った左腕に手を当て、詩を囁くように魔法言語唱え始める。
「……ヒール」
水系統の回復魔法。
詠唱難易度も低く、医療魔法師が最初に覚えるような呪文である。
簡易魔法ながらも治癒効果は高く、幅広く扱われる魔法だ。
しかし、言っても初級の回復魔法。
再生ではなく、治癒なのだ。
傷口は塞がるが、痛みはしばらくはあるし完治したわけではない。
カインの症状を見て再生魔法『リプロダクション』ではなく、敢えてヒールや薬液といった選択をしたのだ。
怪我をした過去、辛い過去、誰かに心配をかけた過去を忘れないようにしなさい、とこれは患者に向けたユースティアなりの戒めである。
「…ふぅ。終わりですわ」
ぐっと控えめな胸を張り、腕を伸ばして背伸びしたユースティアはふぅ、と小さく息を吐いた。
「傷は完全に治療したし、きっとすぐに目が覚めるはずですわ。さすが世界一の名医であるわたくし、と言ったところかしら! おーっほっほっほ!!」
仰々しい振る舞いで手の甲を口元に当てがり高らかに笑うユースティアは賞賛しなさいと訴えているようにふんっと高い鼻をさらに高く伸ばした。
「…ありがと…。感謝してる」
エルザに背中を押され、恥ずかしそうにファレンはぼそぼそと口を動かした。
「あと…ごめん。さっきはあんな態度とっちゃって…」
「気にしてませんわ! わたくし、そんな小さいこと気にしませんの!」
純粋な他意なき謝礼と謝罪の言葉に気を良くしたユースティアはいつも以上に声を張り上げた。
「ですが、わたくは医者。後のことは『恋人』であるファレンさんあなたの仕事ですわ」
「あ、あた、あたし恋人なんかじゃない!!」
顔を真っ赤にしてファレンはそれを否定した後に首を少しだけ傾げた。
「…後のこと? え? カインはもう治ったんじゃないの?」
ユースティアは小さく首を振る。
「身体の傷は治りましたわ。わたくしが言っているのは心の傷の方。正直、身体の傷よりも重症かもしれませんわね」
ファレンは改めてカインの枕元に立ち、額の汗をタオルで拭いてあげる。
痛々しいが、身体の傷はしっかりと治療が施してある。しかし、依然としてカインの顔は悪夢にうなされているように辛そうで、時折苦しそうな呻き声を上げる。
ユースティアの言っていることは間違いなさそうだ。
「エルザさんも彼女のサポートを頼みますわ」
心配そうに後ろを振り返りながらカバン片手に部屋を後にしようとしたユースティアはドア脇に控えていたエルザに声をかけた。
「わかりました」
エルザは無表情のままこくりと頷くとユースティアに向けて小さくお辞儀をする。
「それでは失礼しますわひゃあっ!!」
今まさに部屋を出ようとしたユースティアの鼻先に何かがぶつかった。
盛大に尻餅をつき、真っ白なパンツを丸出しにしてユースティアが見上げると自分がぶつかったのがカナタであったことがわかった。
「な、なんですのあなた! 急に出てきてぶつかって謝りもせずに! 少しはレディに対して敬意を持ち、さらに言えばもっと紳士的に振舞ってはどうかしら!?」
パンツ丸出しのまま早口で捲したてるユースティア。
カナタはそれを一瞥し、
「レディはそんなパンツ丸出しの状態で怒り狂ったりはしないんじゃないか?」
蒸気が上がるほど赤面し、ユースティアは慌てて裾を正した後、重そうな往診カバンをカナタの顔面目掛けて投げつけた。
対して、カナタはそれを器用に片手で受け止めると持ち手を指先にはめてクルクルと回し、床に下ろす。
「ユースティア。今回の治療費なんだが…」
「…はぁ。またですの」
ユースティアは服の埃を払った後、ジト目でウンザリ気味にため息をついた。




