記憶の断片2
「また外見てる。ねぇねぇエルザちゃん何が見えるの」
どんよりと曇った空。厚い雲が太陽を遮る薄暗い昼間に外を眺め、物思いに耽っていた私に彼女は声をかける。
「いえ…特には」
虹のかかった空や色鮮やかな花畑が見えるわけではない。
唯一、見えるものと言えば先述した曇り空と遥か遠くに見える戦火によって生まれた黒い煙だけだ。
だから、私はそう短く告げる。
本当に意識して何かを見ていたわけではないから。
「ふ〜ん…そっか。ただ景色を眺めて感傷に浸るなんてなんかまさに『悲哀の魔女』って感じがしてかっこいいね!」
「いえ、感傷に浸っていたわけでもないのですが…」
桃色がかったブロンドの髪を風に揺らし、親しげに私の隣で窓枠に頬杖をついて太陽のように微笑む彼女の名はリアナ。
私と同じように魔女という称号を持つ『悦楽の魔女』。
魔女という称号は元々、人類種達が魔族を怖れつけた呼び名だったが、今では魔族間でも極めて魔力の高い者達がそう呼ばれるようになった。
悦楽の魔女、彼女はその名に恥じぬ持ち前の明るさで周囲に活気を与える存在。
悲哀の魔女と呼ばれる私とはまるで対照的な存在だ。
「いいなぁ…悲哀の魔女ってなんか響きからしてカッコいいもん! わたしなんて悦楽だよ〜。 なに〜? 悦楽って〜なんか子供っぽい感じがして…う〜ん…」
「そうでしょうか? 私には悦楽という言葉、リアナさんにピッタリだと思いますが…」
「そ、それはわたしが子供っぽいってこと!?」
「いえ、明るく元気なリアナさんにピッタリだと言うことです。実際、リアナさんはみんなに元気を与える太陽のようなお方ですから」
「本当!? な、なんか照れるなぁ〜えへへへ〜」
大きく丸い目をパチクリと瞬きさせた後、彼女は甘えん坊の子猫のような顔で顔を抑えてにまにまと笑みを浮かべた。
「…感傷的なと言えばなのですが、少しだけ気になっていることならばあります」
「うんうん! なになに!? わたしバカだけど力になれることならなんでもするよ!!」
鼻先が近づくほどに顔を近づけてリアナさんはふんふんと鼻を鳴らした。
世のことなど何も知らない私。
私にはわからないことも彼女なら何かわかるかもしれない、そんなことが頭をよぎり、私は窓の外、遥か遠くにうっすらと空を登る煙に視線を移した。
「なぜ人は戦争をするのでしょう?」
「えぇ…な、なんでかなぁ? …戦うのが好き…とか?」
予想の範囲外だったのだろう。
リアナさんは眉をハの字にして少しだけ考えた後、頼りなくそう言った。
「違うわぁ、奪うのが好きだからよぉ」
「うわぁビックリした! あ、でもベアトリスクさんそれ! すっごく『強欲の魔女』っぽい!!」
廊下の奥、こっそりとリアナさんの背後から忍び寄ったベアトリスクさんはリアナさんの頭に膨よかな胸を優しくあてがった。
小動物のように身体を跳ねさせたリアナさんはベアトリスクさんの発言に興奮気味に反応する。
「奪う…ですか…」
私の呟きにベアトリスクさんは青みがかった長い髪を手で小さく払って、うんうん、と二度頷く。
「奪うなんて酷いよ! だってわたし達は何にも悪いことなんてしてないじゃん!」
「相手のことなんて何にも関係ないの。奪うことが目的なんだから」
「けれども人は何故、他から何かを奪いたがるのでしょうか」
「奪うって素敵じゃない? 人の物を奪うなんてなんか背徳的で尚且つ甘美な響きがしないかしら? 恋人も財も地位も奪って自分の物にする。なんだか考えただけでもゾクゾクしちゃうわぁ」
身をよじらせ、顔を紅潮させるベアトリスクさんの言葉にリアナさんはムッとした表情を浮かべた。
「自分たちのことしか考えてないじゃない。わたし、野蛮な人類種に何もかも奪われるなんて絶対ヤダ!」
「それはわたしも同じよぉ。私の物は私の物で当然。奪うのは好きだけど奪われるのはちょっとねぇ〜」
土地、財、地位。人間族はなぜそんな物のために血を流し、命を投げ打って戦うのだろうか。
理解ができない。
「人間族はみな、欲望のためだけに生きているのでしょうか」
「さぁ、私にも人間族のことなんてわからないもの。まぁ、みんながみんなとは限らないんじゃないかしら?」
ベアトリスクさんは肩をすくめて両手を広げた。
「中にはきっとお話のできる優しい人類種だっているよ! そんな人とならわたし友達になりたいなぁ」
私は二人の言葉を聞いて再び、外に広がる景色を眺めた。
欲望に負けず、優しい心を持った人間。
戦争が終結すれば、もしくはその最中に会うことができるのだろうか。
密かな好奇心と期待を胸に抱いて、私はその場を離れる。
『憤怒の魔女』エレオノーラさんの訃報を聞いたのはそれから数時間後のことである。




