最低最悪な英雄劇
「なんだ、姫を助けるナイト様の英雄劇はもう終わりか? これじゃあスタンディングオベーションはおろかゴールデンラズベリー賞にノミネートさえもされない駄作中の駄作だ」
聞くことなどもう二度となかったであろう声。
だって、その人は宿屋にいてこんな危険な場所に来るはずもない。
幻聴か、カインはゆっくりと顔を上げ、声の聞こえる方向へと視線をずらした。
「最後の生きたいっつう一言はなかなか自分の欲望に忠実で評価に値するが、それ以外はまぁ……見てて眠くなる」
壁の上、足を組み頬杖をついてカインを見下ろしていたカナタは肩をすくめ、呆れたようにため息をついた。
「な…ん…で…こんな…と…とこ…に…?」
どうやら首から上にも麻痺毒は回ってきたらしく上手く動かない舌をなんとか動かし、カナタに問う。
「姫役があのやかましいクソガキってのも低評価の一因だな」
答えることもなく、壁から飛び降りるとカインの前に着地し、持った竹箒で肩を叩いた。
そして悪役じみた笑みを浮かべながらカインに近づくと懐から酒の小瓶を取り出し、
「…………え?」
カインの頭に注いだ。
辺りを酷い酒の臭気が蔓延する。
その鼻を刺すような酷く吐き気を催す臭いにコープスワームの群れもざっと身を引いて二人から離れていく。
ひたひたと頭から雫を落とし、目をぱちぱちと瞬きするカインは訳が分からず、何故自分が酒をかけられたのか問おうにも狼狽するあまりに言葉が出ない。
「コープスワームは視力がほとんど退化している代わりに嗅覚が異常に発達している。それは犬の何十倍ってぐらいにな。そしてこいつらは酒の臭いに弱い。特にお前にかけた『死喰い殺し』っつう酒は味も臭いも最悪だ。なんたってこいつらを遠ざけるために村の人間が作った酒だからな。人間さえも臭いって思う酒なんだ。そりゃあ、それだけ嗅覚が発達しちまえばこいつはまさに兵器にもなり得る酒つーわけだ」
察してかカナタはそれだけカインに告げるとつかつかと太々しくゆっくりと臭いに苦しむコープスワームの群れに近付いた。
「どれもこれも冒険者であればどこかしらから得られる情報だ。さすがに『死喰い殺し』が有効とは本には書かれていないがな」
言いながらカナタは正面のコープスワームの横面を竹箒で思い切りぶん殴る。
血しぶきを上げ、綿ぼこりのように宙を舞ったその一匹はやがて天井にぶつかり、その場に赤いシミを作ってべたりと下に落ちるとピクピクと痙攣を起こした。
「確かにデカイが虫は虫だ」
先ほどの一撃に竹箒が耐えられるはずもなく、折れて先端の尖った箒を足元に噛み付こうと牙を立てた一匹のコープスワームの脳天を突き刺してカナタは首を回す。
続けてちょうど近場にいたもう一匹をまるでサッカーボールでも蹴るように群れの中心に向けて蹴り飛ばすと何匹ものコープスワームを巻き添えにして暗闇の奥へと吹っ飛ばしてしまった。
カナタのことをただの宿屋だった思っていたカインは文字通り目を丸くして信じられないと目を疑う。
あれほどまで自分が苦労し、ほとんど何もできず逃げてることしかできなかった魔物を目の前の人物はいとも簡単に、まるで本当の小虫を相手にするように次々と蹴散らしていく。
それもまともな武器など持たず、手には折れた竹箒の一本。
そんなものでいとも容易く凶悪な魔物群れに立ち向かう人間など今までにいたのだろうか。
時折、狂ったように愉快そうな笑みを浮かべながらコープスワームを殴殺していく目の前の宿屋の存在にカインは思わず乾いた笑い浮かべて見ることしかできなかった。
「…最悪だ。虫の血で服が汚れちまった」
ものの数分で一匹残らずコープスワームを掃討したカナタはモスグリーン色のロングコートの裾を持って小さく舌打ちをした。
髪や顔に返り血をべったりとこびりつけ、それを鬱陶しそうに拭いながらカナタはただの竹の棒と化した箒を投げ捨て、カインを肩に背負った。
「……悔しい…です…」
口を余分にパクパクと動かしながらカナタの背で涙を浮かべるカイン。
「ヴァンパイアローズ」
「え?」
「あの三つ編みのガキが身体に咲かせて死んだ花の名だ」
ここへ来る道中にカナタはネネの亡骸を見ていた。
「暗所に生息する植物で花を咲かせる前は一見、普通の雑草と見分けがつかない。唯一見分ける方法としては草に小さなトゲがないか。ヴァンパイアローズはその小さなトゲで獲物を傷つけ、その傷口から種を植え付け、苗床とする。もし何かトゲが刺さるような感覚をがあったら唾液をつければ種は死に無害となる。花びらが染料となることで一部の趣味の悪い服飾関係者には有名な話だ。少しマニアックだが、これも調べれば本に書いてある情報だ」
追い討ちをかけるような、カナタの解説を聞きながらカインは自分の無知を恥じ、声を上げずぼろぼろと涙をこぼした。




