異世界で英雄になるつもりがなんやかんやあって宿屋の主になった
『なんだ追われ身か? んなやつに貸す宿はねーよ。他あたんな』
『そうだな。この宿は何れ世界に名の轟く名宿になる。その前準備として従業員が必要だ。その傷だらけの魔族のお嬢ちゃんと冴えない顔したお前が無償で従業員になるってんなら考えてやる』
『いいか、客に舐められるな。俺たちゃ宿を貸してやってんだ。何もねーこんな場所で一等級の宿をな。だからぜってぇ下手に出るな。わかったか、若僧』
『お前らはもう俺の家族よ。同じ屋根の下、同じ飯を喰らう奴を家族以外に何と呼ぶ。家族のために命の1つや2つ賭けられなくてどうする。だから逃げな、俺はこの宿を目に死ねることだけで満足なんだからよ』
『…ちくしょ〜…俺の宿…ボッタの宿屋が世界に名を轟かせるのその瞬間を見たかったのによぉ…』
いつもの村、いつもの店、いつもの場所、カウンターテーブルでゆらゆらと船を漕いでいたカナタを呼ぶ声がする。
懐かしい夢。ボッタの宿屋、前店主ボッタの親父との記憶を追憶するようなそんな夢。
「オーナーってば! いい加減仕事してくださいよ…いっつも僕ばっか働いてるじゃないですか…」
「若者が率先して働く。それが世のルールなんだよ」
重そうに瞼を上げたカナタは大きな欠伸をしてそうぶっきらぼうに言い放つ。かつて自分が言われた懐かしい言葉に隣に無表情かつ姿勢良く控えていたエルザだけが僅かに視認できる程だけ反応する。
「テーブルで居眠りたぁ、平和なこったな英雄様よぉ」
いつものようにいつもの定位置で大酒を搔っ食らうブドーリオが顔を真っ赤にしてカナタをからかうように嫌な笑みを向けてきた。
そう、何も変わらないいつもの日常。
昼間から酒を煽るブドーリオにカウンターから一番近いテーブルに座り、優雅に紅茶を嗜みながらチラチラと妙な視線をこちらに向けてくるユースティア。その横でさぞ嬉しそうに魚を貪るメルクリアと不満そうに宿屋内を忙しく行ったり来たりしながら働くカインとファレン。上階には女神の力を取り戻しても変わらず自室に篭り、執筆活動に没頭するアトリエッタもいる。
「しかし、ヨハンネスには驚いたよなぁ」
呂律の回らない口調でブドーリオが呟く。
あの騒動からはや1ヶ月という時が過ぎた。未だにあの戦いがもたらした被害は色濃く残っているが、その中でも大衆を驚かせたのはあのアルトリア第3王子にして稀代の大罪人ヨハンネスの件であった。
全てを知った女王パトリシアは兄の全てを許し、国王に返り咲くよう進言。この国を乗っ取ろうと画策していた悪を斬ったのは紛れもなくヨハンネスなのだからそれも当然のことと思えよう。だが、それをヨハンネスは断った。それだけでなく、「戦争を起こしたのは事実。その中でたくさんの命を無駄にしてしまった。その罪は永久に赦されることのない罪。何を言われようと報いは受けるべきだ」とあの暗黒城に自分から戻ってしまったという。
あの誰も近づかなかった暗黒城の周りにはたくさんの花が植えられ、それだけでなくヨハンネスの国王復帰を求める民衆が押しかけ、今も尚その声は止まずに続いているらしい。
「まぁ、本当の英雄が考えることなんてわかるわけねーんだよ」
「んだな。俺なら喜んで王様に戻るぜ? 酒も飯も女も食い放題なんだろ、王様ってのは」
「そういう下賎な考えを持ってるからこそあなたはブドーリオなんですわ」
「おい、バカにしてんだろ!」
「バカにしてませんわ、貶してるんですの」
優雅に紅茶を含むユースティアを後押しするようにファレンもジト目でブドーリオをじっと眺め、
「無理。あんたが王様とか絶対無理。国が滅ぶわ」
辛辣な言い草で吐き捨てるように言った。
「旦那様、そろそろ」
「……ん? あぁ、通りで懐かしい夢を見たわけだ」
ワイワイと皆が騒ぐ中、エルザの静かな一声でカナタは気だるそうに立ち上がる。
「あれ? どこか行くんですか? 魔物退治ですか? 女王様からの密命ですか!?」
店主であるカナタとエルザが揃って外出することはほとんどない。
何か大きな事が起きたに違いないとカインが目を輝かせて詰め寄るが、カナタはその横をさっと通り過ぎて行ってしまう。
その後を追うエルザが振り返り、皆に深い一礼をして一言。
「お墓参りに行ってまいります。カイン様、ファレン様、店のことをよろしくお願いします」
「お墓? 誰のお墓?」
首をかしげるファレンにブドーリオが一口酒を煽って落ち着いた口調で呟く。
「この宿屋の先代だよ」
「あぁ、確かオーナーは2代目だって言ってましたもんね。でも、なんでオーナーは宿屋に? あんなに強いのに…」
独り言のようなカインの疑問に古びたドアノブに手をかけていたカナタが振り返る。
そしてしばらくの沈黙、思考の末にこう吐いた。
「異世界で英雄になるつもりがなんやかんやあって宿屋の主になった、だな」
ここまでお付き合いしていただきありがとうございました。
続編はたぶん恐らくよっぽどのことがない限り書かないと思います。




