メーデーメーデー
珍しくアヤは紙コップに入った珈琲を飲んでいた。ちょっと前にインターネットで見かけてわざわざ取り寄せたそれは、いつものマグカップより珈琲の熱さを伝えているようだった。
「美味しいね。」
「うん。」
空になった紙コップは捨ててしまうには綺麗だが、そのまま使い続けるには耐久度は低い。
「良いこと思いついた。」
テーブルに綺麗に洗った紙コップが二つ。
裁縫道具の入った箱の中から刺繍糸の束を取り出した。カラフルな刺繍糸の使用目的はよく分からないのだけれどアヤは眉間に皺を寄せながら色を吟味していた。濃い赤色と白色と黒色。三色を引っ張りだしてまとめて結ぶ。結んだ先を少し迷って僕に差し出した。
「氷室君。端っこ持って。」
僕は、刺繍糸を前足で押さえ込んだ。しかし、アヤが少し引っ張ると繊細な刺繍糸は、するりと僕の前足から滑り抜けた。少しの沈黙。気を取り直してもう一度。今度はしっかり押さえつける。それでもするりと滑り抜ける。何度か繰り返す。なんだか情けなくなって笑ってしまった。
「氷室君。口で挟んで。」
拒否を口にする前に口の中に刺繍糸を突っ込まれた。口を塞がれた僕はすぐ近くにいるアヤを見る。ふにゃりと笑った口元。つられてふにゃりと笑ってしまわないように口元を引き締めた。
指先に絡めた三色の刺繍糸はリズミカルに編み込まれて一本になり僕の口元に繋がっていた。僕を見てないアヤが少しずつ遠ざかって行く。お互いにぴんと引っ張り合ったまま部屋の端まで。随分と時間が掛かったし、随分と遠くに感じる。綺麗な紙コップの底に穴を開け、器用に刺繍糸を接続。
足そうに黒色紙コップの方を僕に渡したアヤは僕が思わず「what is this?」と聞く前に赤色紙コップを握ったまま移動してしまった。
「こちらアヤ隊員。氷室隊員聞こえますかどーぞー?」
アヤの声が聞こえて驚いた。姿の見えないアヤは紙コップの中から僕に話しかけてきた。
「こちら氷室。良く聞こえます。どこにいるの?こちらの声は聞こえますか?」
「部屋のお外にいます。氷室君の声よく聞こえています。」
「メーデーメーデー。こちら氷室。予期せぬエラーが発生しました。」
「どうしたの氷室君。」
「アヤの声は聞こえるのに、アヤが見えなくて寂しいです。」
その日作った糸電話は、僕とアヤの意志疎通アイテムになったはずなのだが、綺麗な刺繍糸でお互い繋がれたまま二つ重ねられ、コップの役目も電話の役目も果たさないのにも関わらず大切に収納された。