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説教屋

作者: N高等学校『文芸とライトノベル作家の会』所属 ちい

 昔々の、と言えるほど、そんなに昔でもない頃の話。

 ちっぽけな山の麓の、ちっぽけな集落に、変わった男が一人。

 誰よりも人の善行を喜んだかと思えば、誰よりも人の悪行を怒り嘆く男でした。

 子供が母親の手伝いをしたとなれば、その子の髪がぐしゃぐしゃになるまで撫で倒し。

 子供が仲間外れをしたならば、その子が村中に響き渡る泣き声を上げるほどに叱り。

 老人が畑仕事に精を出せば、土まみれになってその老人よりも働き。

 老人が傲慢に杖を振り回せば、その杖を折って怒りに打ち震え。

 一言で言えば正義感が強いのでありましょうが、小さな村では邪魔とも思えるほどにまっすぐで、融通が利かない男でありました。

 小さな世界で人として生きていくには、あまりにも面倒な男だったのです。

 ある人は彼を尊敬しました。

 ある人は彼を嗤いました。

 ある人は彼を憎みました。

 ある人は彼を訝しみました。

 ある人が、彼に言いました。

『お前はまるで、神気取りだな』

 彼は一瞬、きょとんとして、それから破顔一笑しました。

『そりゃあそうさ。だって俺は』


                 *


「……師匠」

「んー? 何?」

 ソファに寝そべる男に、少女はひどく嫌そうな顔をする。

「邪魔、どいて」

「邪魔って……ひどいなー」

「ソファのカバーを替えたいって、何回も言った。そして、アンタも風呂に入れ」

 端的にも程がある言葉は、およそ『師匠』に向けられたものとは思えない。

 彼もそう思ったのか、反論を試みる。

「タマラ、仮にも師匠に向かってその言葉遣いはどうだろう? というか、女の子としてどうだろう?」

「私はアンタの呼び方をこれしか知らないだけで、アンタの弟子になった記憶はない。そして、この言葉遣いに特に弊害を覚えたこともないので、変更の予定はない。異論は?」

 少しだけ小首を傾げる無表情の少女に、師匠は頬を引きつらせて起き上がり彼女を見る。

 肩くらいまである生成色の髪を無造作に伸ばし、琥珀色の瞳をじっとりとこちらに向けている。シンプルという言葉を具現化したかのような水色のワンピースには、深緑のエプロンが重ねられている。今日の家事のためだ。

「……異論はないけど」

「なら、どいてほしい。そして、何度も言うけど風呂に入ってほしい」

「タマラ、お風呂は一週間に一度入ったらもういいんだ。世の中の常識だよ?」

 やれやれ、とばかりに師匠が首を振ると、タマラの目がさらに細められた。師匠の風呂嫌いはわかっているが、今は虫の居所が悪い。

 その答えで本当に良いのか、と問いただしているような視線に、師匠は冷や汗をかく羽目になる。

「落ち着いてね、ちょっと落ち着こうか。うん、わかったお風呂は入るよ? でもさ、今日はお休みだよ? ちょっとくらい休もうよ」

 休み、という単語を聞いたタマラは、仰々しいため息を吐いて見せた。

 そして、師匠が起き上がったおかげでできた隙間にするりと座る。

「また、休みなの?」

「う……そう言われてしまうと」

「確か、師匠が前に風呂に入ったのが前の依頼の直後だったから……。これで一週間は仕事がないことになるんだけど」

 指折り数えて、目の前の丸眼鏡を睨みつけるタマラ。師匠の眼鏡は扱いが雑なせいか、指紋やらゴミやらでべたべたになっている。

「まあ、俺たちの仕事がないのは良いことじゃない? 今日も人類が平和で善行を積んでる証拠なんだからサ」

「いや、単純に私たちが信用されてないだけ」

 またも現実を突きつけるタマラ。

「大体、『説教屋』なんて胡散臭すぎる」

 タマラの一言には、師匠も黙るしかない。


 『説教屋』。師匠の仕事であり、タマラが助手を務めるそれである。

 師匠に説明させるならば、こう。

『全人類の師匠たるこの俺が、弟子の失態を見逃すわけにゃいかない。弟子が何かやらかしたら、しっかりと叱ってやんのが師匠の役目だ』

 タマラに説明させるならば、こう。

『どっかの馬鹿が、ちょっとした悪事を大事にするためにやっている』

 要するに、ちょっとした喧嘩や犯罪などを仲裁したり、場合によっては仕置きをしたりする仕事だ。

 基本的に師匠が腕っぷしで解決し、それまでをタマラが担当しているので仕事量は割に合わない。タマラが基本的に師匠をせっついているのはそのためである。


 当然のことながら、犯罪の近くにいつも身を置くため評判は良くない。というか、それ以前に師匠の性格が、世間一般とは乖離しているのだが。

「感謝祭の直前なんだから、治安も悪くなってる。もう一度聞くけど、仕事、ないの?」

「う…………、ごめんなさい。ないです……」

 思わず、敬語になって謝る師匠。タマラはため息とともに、でも、と続ける。

「仕事があったらあったで問題なのは同意。こんな胡散臭い仕事に頼まなきゃいけないほどのことが起こってるってことだし……。……何だかんだで仕事があるから、この世界はちょっと終わってる」

「いやいや、終わらせないためにこの仕事を…………ん、電話だよ?」

 熱弁を振るいかけたとき、金属を打ち鳴らすような音が割り込んできた。自分は出る気がないらしいが、その方がタマラとしてもありがたい。師匠が下手なことを言わないだけで、タマラの心労は半分減る。

 タマラはソファから立ち上がることなく、手を伸ばして黒電話を取る。

「はい、もしもし。……はい、ええ。もちろんです」

 仕草でメモを寄こせ、と合図するタマラに、即座に筆記用具とともに渡す師匠。これではどちらが偉いのやら、とも感じるが、仕方ない。タマラに言えば「立っている者は親でも使え」と返されるだろう。

「…………はい、今日の……夕方、五つの刻。……わかりました、お待ちしています。場所は……わかりますか。承知しました」

 応対の声に、師匠が大きな目をキラキラと輝かせる。間違いない、仕事の電話だ。

 がちゃん、と受話器を置くと、タマラはぼそっと呟いた。

「…………世の中は、破滅に一歩近づいたらしい」

「依頼! ほら、タマラ、俺の言った通りじゃない」

「とりあえず、依頼人に信用されないから風呂に入って。自分の格好、鏡で見たら?」

 タマラの呆れた声に、師匠は一週間洗っていないぼさぼさの髪に手を入れ、苦笑した。


                 *


 依頼人は、やたらに疲れて見える中年男性。

 実際のところ、疲れていたのだろう。恐らく、身体的にというよりは精神的に。

「娘を叱っていただきたいんです」

「娘さん……ですか?」

 自分の子供を叱ってくれ、という依頼は少なからずあるのだが、娘、となると珍しい。

 タマラが聞き返すと、依頼人はこくりと頷く。

「ええ……。嫁入り前にも関わらず、夜遊びを繰り返して。最近では、あのその……」

 そうして、言いにくそうに口ごもる。風呂に入って文字通り垢抜けた師匠が首を傾げる。

「……歓楽街でクスリにも手を出しているようで…………」

「ヤクか……。ま、相手の男がそーゆー感じなわけだ」

「お願いします。家としてもあまり大事にしたくは……」

 そう言って頭を下げる父親は、無責任とも思えるが仕方ないだろう。そうでもなければ、赤の他人に依頼に来たりはしないのだから。

 タマラは依頼人に茶を勧めつつ、師匠に耳打ちする。

「クスリ、というと……やっぱり西区?」

「だろうなあ。あの辺、治安悪いし」

 師匠は腕を組む。西区と呼ばれるこの辺りの地域は、治安の悪さで有名だ。

 特に今は祭りが近い。遊び半分でクスリに手を出しても不思議はないだろう。

「顔を上げてください。お嬢さんの写真なんかありますか?」

 タマラが言うと、依頼人は急いで上着の内ポケットを漁った。そして、擦り切れた小さな写真を出す。二人して紙切れを覗きこんだ。

 髪が薄めになっている父親とは違い、艶やかな亜麻色の髪をサイドテールにした少女。はつらつとした表情が年相応である。歳としてはタマラとそう変わらないだろう。ということは、十五から十七くらいだろうか。

 確かに『遊び歩いている』娘、というのがタマラの正直な感想だった。

「この子は今、どこに?」

 師匠が問うと、父親は首を振る。

「それがここ数日、家に帰っていないんです。その辺で遊んでいるのだと思うのですが……」

「って、誘拐だったらどうするんですかっ?」

 思わず声を荒げてしまったタマラに、父親は本当に申し訳なさそうに俯く。

「……だとしても、自業自得です。本当に大事にはしたくないんです……」

 あまりにもな言い草に、タマラはこめかみを押さえて頷く。

 それ以来、あまり会話らしい会話もないまま、彼はタマラが淹れた茶を飲み干すと深々と頭を下げて去っていった。

 閉まったドアを見たまま、タマラは口を開く。

「…………気乗りしない」

「そうさなあ。俺も、今回はちょっと嫌だわ」

 洗ったはずなのにすでに絡まっているぼさぼさ頭を掻いて、師匠もぼやいた。

 依頼人が置いて行った写真を、もう一度眺める。

「可愛い娘だけど、なんというか…………遊んでる感じがする」

「なー。俺の好みじゃーないかな」

「誰もアンタの女のタイプは聞いてない」

「もっと清楚系の方が好きかなあ」

「聞いてないって」

 普段通りの会話をすると、タマラはエプロンを外して前髪をそっとピンで留める。

「そんじゃ、行く?」

「あ、待って待って」

 師匠が大きな手を広げてタマラを引き留める。うんざりと振り返るタマラに、師匠は信用ないな、と苦い笑みを広げる。

 だが、この違和感を口にしてもいいものか。彼女に伝えて混乱させるだけ、とも思うが。

 少しだけ固まった師匠に怪訝な顔を向けるタマラ。

「どしたの、師匠」

「……んにゃ、何でもない。ごめんね、行こうか」

「気持ち悪い。熱でもあるなら私一人で行くけど」

 眉をピクリともさせずに言うタマラに、師匠は今度こそ上着を羽織った。


                 *


「いやー、人いるねえ」

「そりゃそうでしょ。明後日から感謝祭だよ」

 タマラは師匠の顔を見ずにそう返した。

 感謝祭、というのは、その名の通り、創造神に感謝する祭りだ。年に一度、信心がある者もない者もとにかくはしゃぐ日になっている。国教なので、本当に年寄りから赤ん坊まで全て、だ。

 二人が住んでいるこの国の首都は感謝祭の規模も特に大きく、出店やパレードのためにこの一か月は国中の人が集まる。

 もちろん、便乗してやってくる悪人も多い。

 路地裏には怪しい粉を売りさばく商人や、一歩間違えれば奴隷紛いのブラック職業案内人、酒臭い失業者。

「そっかそっか、感謝祭。すっかり忘れてた」

「引きこもりも大概にして。家にも回覧板回ってきた」

「うーん、神様はそんなこと気にしてないって。どうせ、神様も家でゴロゴロしてるよ」

「アンタにそんな想像される神様の心痛を察するに余りある」

 タマラの毒舌に、師匠は苦笑しながら話を変える。

「ねえ、タマラ。感謝祭って言うけど、元々の神話をちゃんと知ってる人ってどれくらいいるんだろうね?」

「さあ。でも、小さい頃に絵本で読んだ人は多いかも」

「あ、そっか。でも俺、タマラに読み聞かせた覚えがないんだけど、知ってるの?」

「読み聞かせなんてされなくても、自分で読む。創造主とその周りの神の話。……あ、悪神カーラの話、好きだったかもしれない」

 タマラの言葉に、何故か嫌そうな顔をする師匠。

「えー、あれ? 英雄にハニトラ仕掛ける話でしょ。タマラにしては珍しい」

「そうだったっけ。……ああ違う、カーラが、というよりカーラが倒されるところが好きなの」

 タマラはそう言って手を打った。それなら納得、と師匠も頷く。

 確かに絵本になりやすい題材ではあるのだが、果たしてあの物語を子供に読み聞かせて良いものだろうか。要約すると、師匠の言う通り『カーラが英雄にハニートラップを仕掛けて最後には倒される話』なのである。

 そんな雑談を交えながらも、変な輩に声をかけられないよう、速足で歩いていく二人。もちろん、視線は別々に動かし、何かの手掛かりがないか探している。

 薬の売人なんてごまんといる。娘に関連のありそうな者を選ぶとなると、もう少し情報が必要だ。

「……師匠、どう思う?」

 タマラの唐突な質問に、師匠は小首を傾げる。

「どう、って?」

「クスリったっていろいろある。……要するに、あの娘は使う側? それとも売る側?」

 思わず師匠も足を止めた。さすがは、というのか。穿った見方をさせれば、右に出る者はいない。

「……わかんないけど。タマラの予想は?」

「売る側」

 即答に、今度こそ歩を進める師匠。

「…………だろうね。正直、俺もそう思う」

 隣を歩くタマラに、苦笑を広げる。タマラも当然とばかりに頷いた。

 彼女の父親は『手を出している』なんて言葉を濁したが、薬漬けという意味ではなさそうだった。それならば、彼女の社会復帰のため、もしくは一生を隠し通すため、説教など頼みには来ないだろう。あれほど、家のために体裁を気にしていた父親なのだから。

「売る側であんな女の子、そうそういない。いっぺん、それで探そう」

 タマラは焼き増しした写真を掲げる。師匠は何やら不安そうだが、そんなことを気にするタマラではない。

「タマラ、一緒に探さない?」

「時間の無駄。二手に分かれた方が効率がいい」

 そう言って、タマラが踵を返すのを師匠は見送る。そして、がしがしと頭を掻いた。

 大通りから歓声が聞こえる。神輿の運搬か何かだろう。

 師匠は神を敬う気はない。有り体に言えば信心がないのだろうが、それとも違う。神の存在は信じるが、だからといって神を敬おうとしない、というところだ。

 一番大切なのはその場に息づいている人間。所詮、それ以外は代替が利く。

 そりの合わない師弟だが、この価値観だけは一致している。タマラに言えば液体窒素よりも凍てつく視線で見つめられるだろうが。

「……一番弟子のくせに生意気な弟子だ。まったく」

 嘯いてはみるが、どうにも胸騒ぎは収まらない。

 師匠は指紋だらけのレンズ越しに、娘の自信ありげな微笑を眺める。

 どこにでもいそうな少女。派手な外見は正直、繁華街では目立たない。丈の短いワンピースも、亜麻色の髪もだ。

 売り子で少女は珍しい、とタマラは言ったが、そうでもない。娼婦が小遣い稼ぎにやることも多いし、実際のところはこれまた目立たないのである。

「こんな娘、祭りじゃごまんといるよ……」

 呆れ気味の師匠の独白に、返す人間はいないはずだった。のだが。

「……ごまんと、ねえ。言ってくれるわ」

「っ!」

「失礼だと思わない?」

 タマラとは明らかに違う、軽薄そうな少女の声。師匠が振り返って睨みつける。

 間違いない、写真と全く同じ。強いて言えば、写真よりも下衆な笑みを浮かべていることくらいか。

「どーせ、あのハゲが娘を連れて来いとでも言ったんでしょ? 世間体ばっかり気にするんだから。もううんざりよね。そもそも、こんなアバズレを娘と思ってるかすら疑問甚だしいわ。それで? あたしを捕まえて親父に突き出す?」

 腕組みをして師匠を見上げる少女に、師匠は硬い表情をする。

「……お前……」

「何よ? じろじろ見て。変態?」

「あー、まあ弟子にはそう言われるけど。じゃなくて」

 師匠の眉根に皺が寄る。

「…………お前、何やってんの? カーラ」

「あり、バレちった? つーか、こっちの台詞なんだけど。なんで人間なんかと戯れてるのかにゃーん? 師匠、だっけかー?」


                 *


『そりゃあそうさ。だって俺は全人類の師匠だからな!』

 彼がそう胸を張ると、皆は一瞬だけ黙ると爆笑しました。それにむっ、としたように彼は顔を顰めます。

 そんな彼に面白がるように、とある少年が笑いながら言いました。

『……人類の師匠、ってんなら、教えてくれよ。人類っぽくないこいつは、アンタの弟子か?』

『ん?』


 男が振り返ると、そこには痣だらけの少女が一人。


『髪も白いし、目も濁った黄色みてーな色してる。あ、ごめん人じゃなかったか!』

 そう言うと、少年の取り巻きが笑い転げました。そして、少女の背中を蹴り飛ばします。

 倒れこんで、彼の前に跪く形になる少女。

『……っ、ひぃ……』

 怯えたように彼を見つめ、乱れた髪は土が付いています。小さな肩は強張り、いつ蹴られても体を守れるように腕は折りたたまれていました。

 それをしばらく見つめ、彼は無言で少年を殴り飛ばしました。細い腕のどこにそんな力があったのか知りませんが、少年は文字通り吹っ飛び、しばらく起き上がれそうにありません。

 が、そんなことはお構いなしに、彼は怖がる少女の前にしゃがみました。

『おー、別嬪。色白だし、まつげも長いし。こんな美少女に乱暴するなんて、見る目ないなあ。それ以前に、てめーが殴られる覚悟もないのに人を殴ってんじゃない』

 最後は少年に向けた言葉でしたが、少女はその言葉に目を瞬かせます。男はその顔に、ニヤリと笑って見せました。

『よし! 俺と来い! 俺は全人類の師匠だけど、その中でも一番弟子にするから!』

『……え…………』

 いきなりの勧誘に、少女は砂で汚れた服をきゅっ、と掴み、俯きます。

『嫌かい?』

『…………嫌じゃ……ないけど…………』

 怖い、とか細い声で答える少女に、ふーむ、と男は顎に手を当てて、それから唐突に振り返ってパン屋のおばさんにコインを投げました。

『ロールパンちょうだい。あと、メロンパンと……とりあえず、焼き立てのやつ』

 おばさんは断ろうかとも思いましたが、お金を受け取ってしまった以上、渋々男に焼き立てのパンを手渡します。

 彼は受け取った途端に、少女に見せびらかしました。

『今、俺と来るとなんと! 集落一美味しい焼き立てのパンが付いてきます! 焼き立ては今だけ! ロールパンとメロンパンと……あ、ハムが挟んであるパンもあるぞ! さあ、どうだ! ……どう、かな?』

 行商人のような口上は最終的に尻すぼみになりましたが、少女の心を少し解きほぐすには十分だったようです。もしくは、少女はただお腹が空いていただけなのかもしれませんが。

『…………パン……』

 少女は虚ろだった目を輝かせ、メロンパンに飛びつきました。恥も外聞もなくむしゃむしゃと腹に入れます。

 そして、グイっ、と豪快に口元を拭って立ち上がりました。

『……何て、呼べばいい?』

『そりゃ、師匠じゃない? 一番弟子』

『タマラ。あと、ついていくだけで弟子入りしてない』

 先ほどとは打って変わってキッ、と睨む少女に、彼は苦笑しながら頭を撫でました。


                 *


「人類の師匠、って言うか、親みたいなもんでしょ。アンタ」

「親ってほどできた奴じゃないからね。ま、お前ほどじゃないけど」

「ほんっと失礼ね。その割には崇められてるわよ。ほら、そこの」

 カーラが指差すのは、運搬中の華やかな神輿。

「悪神の神輿としてはもったいないくらいじゃない? 花飾りがいっぱいよ。華やかねー」

「お前、乗らないの? 悪神、カーラ様?」

「ばっかね。今、あたしたちは人間っぽく見せてんのよ。あたしが神輿に乗ってみなさい、どこぞの娘が気が狂ったと思われるわ」

「すでに狂ってるくせに今更だろ」

 呆れ返った師匠の言葉に、カーラは舌打ちせんばかりに顔を顰める。

 二人は路地裏で壁に背を預けて、話し合っていた。互いに目は合わさず、硬い顔をしている。

「しょーがないでしょ、神様なんてもんがそもそも反則技なのよ? 人間と同じ基準で行けば狂うのも当然だわ。人間に毒されすぎじゃない?」

 やれやれ、と首をすくめるカーラに、師匠は腕を組んでみせる。

 悪神カーラ。可愛らしい見た目、という伝承も相まって、数々の英雄を誘惑したとされる。どちらかといえば淫魔の総本山、といったところか。

 悪神、とは言われるが、実際にはああやって神輿が作られるように、人気は高い。それがまた、師匠は気に食わないのだが。

「毒すねえ。お前の方がよっぽど毒に見えるよ、俺は。……単刀直入にいこうか、本物のあの娘はどこだ?」

「本物って? やだあ、怖ーい。あたしはハーパラ家の長女、ジュディよ?」

 わざとらしいカーラのぶりっ子に、師匠はやっとカーラの方を振り返った。

「白々しすぎる。子供のお遊戯会よりも下手だね」

「うわ、ひどい。お遊戯会やってんのはアンタでしょ? 何て名前だったっけ? 忘れたけど、一丁前に弟子を育ててるらしいじゃない。創造主が女の子一人に振り回されてちゃ世話ないわ」

 女の子、という言葉に反応し、師匠が眉を引きつらせる。

「あーもう。そーゆー怖い顔しないでよねー。カーラちゃんは泣いちゃうぞ?」

「好きなように泣いていいから、うちの弟子とジュディちゃんとやらはどこだっつってんの」

「はいはい、わかったわよ。…………条件付きってところね」

 カーラがすっと細い人差し指を師匠に突き付けた。

「ごまかす気はないわ。アンタ、神の座に戻れ。戻るってのはおかしいか、今もだから……。要するに、人間界を捨てろってことよ」

 師匠のこめかみがぴく、と痙攣する。

「あ? ふざけんな、どういうことだ」

「どういうことも何も、会議で決まったんだもんー。感謝祭やってんだから、会議の時期なのわかるでしょ? 二代目主神様の意見なんだよ。初代を呼び戻せってさ」

 カーラの面倒くさそうな言葉に、師匠はぎり、と奥歯を噛みしめる。

「お前らに付き合うのはもうたくさんだって言ったよな?」

 渋い顔をする師匠に、カーラは大げさに耳をふさぐ。

「あーあーあー、聞こえなーい。そんなの千年前に聞いたって。でも、こっちには人質がいる」

「カーラ、お前……」

「神様と願いを叶える、ときたら、生贄が必須項目よ? 当然よねー?」


                 *


 ――――ここは?

 厄介なことになったな、とタマラは眉根に皺を寄せる。いきなり口を塞がれ袋に詰められて、拉致されたのが恐らく数分前のこと。そう遠くはないはずだ。

 どこを見回しても石の灰色が目に飛び込んでくる。窓は一か所。だが、高すぎて景色は見えない。

 そして、一番は。

「……あの」

「ひぃっ! あ、あいつらの仲間……じゃないのよね?」

 怯えた声を上げる割には生意気そうな少女。間違いない、写真の少女だ。

 タマラはさらにややこしくなったな、とため息を吐いた。父親に言った懸念が本当になってしまったらしい。

「じゃない。どちらかといえば、あなたの父親に頼まれた」

「え……ち、父上に! ねえ、父上はどうしているの? とても心配なの! ねえ聞かせて!」

 縋りつく少女は本気でそう思っているようで、タマラはさらに訝しがる。どういうことだ。彼女は遊び歩いて、家にも寄り付かないんじゃなかったのか。

「……あなたのお父さんは何もなっていない。無事。娘を連れ戻してと依頼を受けた。……正直、私の方が疑問は多い。あなた、家を飛び出して遊び歩いていたんじゃなかったの?」

「そんな……確かに少し夜遊びしてたのは認める。けど、飛び出してなんて! それに夜遊びって言っても、ちゃんとしたところ……言い方はちょっとどうかと思うけど、高級なところばかり。家が認めるくらいのバーとか……それくらいなの」

 だんだん尻すぼみになる少女の言葉に、タマラははあ、と額に手を当てる。それくらい、がこの結果を招いていることには違いないのだが、この娘も被害者ということか。

 なりすましにしてはあまりに似すぎているが、そうとしか思えない。そして、父親はそちらを娘だと勘違いしている、と。

「ね、ねえ名前は?」

 少し心を開いたらしい少女は、タマラの服を引っ張る。

「私はタマラ。あなたは?」

「……ジュディ・S・ハーパラよ」

 それだけ聞ければ十分だ。名前を呼びかけるという行為には、大きな意味がある。

 とはいえ、タマラはやれやれ、とばかりにため息を吐いた。

「……外れ引いたか。師匠がちゃんとやってくれてたらいいけど」

 感謝祭だというのに、神に感謝なんてできなさそうだ。せっかく祝ってやると言うのに、この仕打ちなのだから。

「し、師匠って?」

 タマラの独り言に、ジュディが反応する。どうやら、父親の状態を教えただけで懐かれたらしい。

 まあ、好都合だ。連れて脱出する、となったときに、反抗されるよりかはマシだろう。

 タマラは師匠が何者かを説明しようとして、言葉に詰まった。

「私の上司……違う、親……でもないな…………。師匠……とは認めないし……」

「え、え?」

「……うーん…………」

 困惑するジュディを置いて、一人考え込むタマラ。そして、最終的には。

「…………………………馬鹿で、不潔で、世間知らずで、人類を愛する正義感の塊の総称」

 タマラは指折り数えて不満を挙げていく。

「カバーを洗うっつってんのにソファから動かない怠け者で、『風呂は一週間に一度でいい』とかいう風呂嫌いの超理論を唱える不潔で、感謝祭を覚えてないくらい記憶力がなくて、全人類の師匠を名乗るほどには頭のねじが外れてて、人様の喧嘩に首突っ込むことを生きがいにしてて、……あまつさえ女の子一人の人生を焼き立てのメロンパン一つで捻じ曲げるような阿呆」

「そう……なの?」

 顔色一つ変えずに羅列するタマラに、ジュディは引き気味に聞いていた。

 その反応を見て、タマラはまあでも、と付け加える。

「…………もしも、あの馬鹿が今、私を人質に何かを要求されているとしたら」

「し、したら?」

「どんな手を使っても、足手まといにだけはならないようにする。例えば……死んでも」

 タマラは前髪のピンを頸動脈に向けながら言った。何かあれば、すぐにでも突き立てられるように。


                 *


「神は万能じゃないぞ、カーラ。生贄ですぐに動くような神は神じゃない、ただの化け物だよ」

「化け物で結構よ、どうせあたしは悪魔側だもん。そーだった、そんなあたしを天界から追放したのもアンタだっけね」

「話をはぐらかすな。俺が天界に戻ったところで、誰に何の得がある?」

 未だ路地裏で繰り広げられる口論は、傍から見れば痴話喧嘩に見えなくもなかったが、実のところ行われていたのは神々の争いに他ならなかった。

 カーラは手を広げて首を振る。

「誰に得もないわ。でも、アンタがこっちに残ることで、神全体の神性が失われるのよ。それは由々しき事態、ってやつなわけ」

「構うもんか。そもそも、人間に神は必要ない。生きていけるんだ。あいつらは」

 カーラは師匠の言葉に眉を顰める。

「その割には干渉がひどいっつってんのよ、あたしは」

「お前ら天界にいて見てたんじゃないのか? 俺は神としてあいつらと関わったことはただの一度もない。人間には人間の道理っていうものがある。気まぐれに助けたり助けなかったりする神様なんていらない。必要なのは自力で立てるようにする賢者だよ」

「で、賢者に成り下がった、と? 冗談も大概にしてほしいわ!」

 振り返り、師匠の胸倉を掴むカーラ。一気に近づいた師匠の顔に、カーラは口紅を付けんばかりに叫ぶ。

「アンタが! 勝手に神の座を放り投げて、遊んでるから! あたしたちが迷惑してんのよ! あんな人間二人、死んだっていいわ。アンタを今すぐ連れて「人間が死んだって構わない?」

 カーラの言葉をぶち切って、師匠が低い声を出す。

「だとしたら、お前は…………ずいぶんと堕ちたな。カーラ」

 先ほどとは打って変わった落ち着いた声に、カーラの神経はさらに逆撫でられる。もはや、口をパクパクとさせて酸欠の魚のような形相を呈する。

 師匠は乱暴に白い手を振り払うと。

「…………どけ。俺は二人のところに行く。教えろ」

「だから、アンタが神の座に戻れば……」

「戻ったところで、お前らが俺と一番ずっといた女を見逃すとは思えない。どんな言葉を使う? 神に近づきすぎた罪人とでも? それとも、悪魔の手先とでも言うのか?」

 苦々しく吐き捨てる師匠に、行き場をなくした右手をぶらつかせてカーラが頷く。

「その辺ね。当たり前でしょ? こんなの流出された日には……まあ、あの娘が頭がおかしい、って言われるだけかしら。……アンタは疫病神ね。あたしたちにとっても、あの娘にとっても」

「………………何てごまかしても、俺だけは許さん。タマラに二度とあんな顔はさせない」

 師匠の脳裏には、小さな村で怯えながら迫害に耐える小さな肩が浮かぶ。

 髪の色、瞳の色。たったそれだけで、彼女は地獄を味わった。

 今度は神と共にいた。たったそれだけで、同じ目に遭うという。おかしな話だ。

「……わかった、譲歩してあげる」

 師匠の剣幕に、カーラはそう言って首を振った。が、その内容は。

「アンタの前であの娘を殺してあげるわよ。それで文句ないでしょ。アンタはここに残る理由はなくなるんだから」



「出ろ!」

 灰色の部屋に飛び込んできた怒号は、唐突だった。

「ひ、や、ヤダ……」

「……何の用?」

 涙目のジュディと、落ち着き払ったタマラ。

 怒号を飛ばしたと思われる男は、筋骨隆々としていて勝ち目はなさそうだ。おとなしく従うしかない、とタマラはジュディの手を引いて立ち上がる。

 薄暗い部屋にいたのは一時間くらいだろうが、外の日差しは強烈で思わず目を閉じる。おかげで、日差しの中に二人もの人間が立っていることに気づかない。

「え……え? あ、あたしがもう一人……違う、あたしじゃ…………」

 ジュディの困惑した声で、タマラはやっと目を開いた。そして、驚愕する。

 確かに、立っているのはジュディそのものだった。なりすましなんてそんなものじゃない。寸分狂わないそれは、ドッペルゲンガーのようだ。

 そして。

「…………何か、あったっぽいね。師匠」

「うん。…………ごめん、タマラ」

「良いよ、私が鈍くさいのがいけないし」

 珍しく最初から素直に謝った師匠と、珍しく最初から許すタマラ。こんな珍しさを求めた記憶はない。

 苦い顔の師匠とは反対に、天真爛漫な笑みを浮かべた偽ジュディ。

「あー、今ちょっとそこの女の子の顔を借りてるけど、一応神様でーす。カーラちゃんって呼んでいいからね?」

「カーラ……悪神カーラ?」

 到底信じられない一言に、タマラの目が見開かれる。

 だが、師匠の顔を見る限り、真実だろう。一体、何がどうなっているのかはさっぱりだが。

「えっと、すっごく簡潔に言っちゃうとー、コイツは元々神様で、コイツを連れ戻しに来たらあなたが好きすぎて来られないって言うからー、あなたを殺そうかなあって」

 手で銃の形を作ってタマラを指差すカーラに、すっと冷静になってタマラが無表情になる。これだけ驚いたら、もう驚くこともないだろう。

 小さく口を開く。

「……そう。で、師匠は欲張って神にもなりたくなければ、私を失いたくもないって言ったの」

「そーゆーこと。だから、死んでくれる?」

 あまりに軽い一言に、ジュディが口を覆った。そんな、と蚊の鳴くような声が聞こえる。

 だが、タマラは至極簡単に頷いてみせた。

「わかった」

「タマラ!」

 叱咤するような師匠の声にも、タマラは冷静に答える。

「そもそも、師匠の存在は謎でしかなかった。カーラの話は信用は出来ないけど、納得できる。その上で、私がここで抵抗することで、あなたは神の座も私も失うとなれば、それは私の望むところではない。だったら、私はここで切り捨てた方がいい」

 理論を並べていくタマラに、師匠は愕然としたように立ち尽くす。チャキ、と金属音。タマラたちを連れてきた男が、後ろから銃を構えている。師匠とカーラの位置からはよく見えた。

 師匠の表情だけを見て、ああ死ぬな、という確信をもったタマラは軽く息を吸い込んだ。

「ねえ、一つだけいい?」

「なーに? 死ぬ前のお願いくらい神様は聞いてあげるわよー?」

 カーラはニコニコと首を傾げる。それを見て、師匠を指差すタマラ。

「このピン。師匠に渡して。お気に入りだから。銃で撃たれちゃ、血で汚れる」

「ほー? それでいいの?」

「そう。でも、師匠の手に収まるのを見るまで私は死ねない」

 睨むでもなく、タマラはカーラにきらり、と光るピンを手渡す。

 特別何の変哲もない、薄紫色のヘアピン。細い棒に装飾が施されるでもなく、塗料が塗ってあるだけ。味気ない、と言ってしまえばそうだが、タマラらしいと言えばそうだった。

 カーラはタマラの気持ちを汲むつもりか、はたまた気まぐれかは知らないが、素直に師匠の手にピンを乗せた。

「これでいい?」

「うん。ありがと。地獄で会いましょう、悪神殿」

 声色に恐怖も怒りも見えなかったが、それが寂しそうで師匠は大きな目を逸らさずにタマラを見続ける。

「タマラ……俺は」

「師匠、お世話になった。あの時、連れ出してくれてありがとう」

 いつもなら絶対に言わない礼を口にするタマラに、師匠は手の中のヘアピンを折りかける。

「ふざけんな、タ……」

「でも、師匠。言っておくけど、私があなたのために死ぬのは癪だし、あれだけ迷惑かけられておいて返って来たのは一番最初のパンだけ。どう考えても割に合わない。ソファのカバーも結局洗えてない。だから」

 タマラの顔色は、いつもとなんら変わらない。拳銃の引き金に指がかかる。




「今すぐ私を助けて」




 一秒。

 経ったか、わからなかったが。

「っ、きゃああああっ!」

 しゃがみこんで悲鳴を上げるのはジュディ。ばらばらという壁や何かが崩れる音。

 白煙が上がり、もしかしたらすぐにボヤ騒ぎが起こるかもしれない。発砲音だけでも警察は動くだろうが、果たしてこの地区で発砲音なんかで驚く者が何人いるだろうか。

 だからこそ、カーラはこの方法を選んだのだが。

「…………思ったより、うるさかった」

「いや、助かったことに感謝しようよ。タマラ?」

 耳を塞いで顔を顰めるタマラを、お姫様抱っこしているのは師匠。

「な……はっ?」

「は、じゃないよ。人間からしたら神様は反則技。そう言ったのはお前だろ? 訓練したら、人間でもできるよ。同じ土俵に立ってやっただけで感謝しろ」

 師匠が呆れ気味の声で言うと、カーラは唇の端を引きつらせる。

「……まさかとは思うけど、さっきのヘアピンを銃口に投げ込んで暴発させた、なんて言わないわよね…………?」

「お、よくわかったな」

「お気に入りだって言ったのに……。こういうことするから、私のヘアピン、高いの買えない」

 ため息とともに師匠の腕から降りるタマラ。

「残念だけど、正直、『説教屋』の修羅場ベストファイブにも入らない。こんなの日常茶飯事。だから仕事がないの」

「というわけだ。ま、今回はさすがにヤバいなー、と思ったけど」

 つかつかと師匠はカーラのもとに歩み寄る。

「今日の依頼は『遊び歩いている娘を叱ってほしい』だったな。で、あそこの女の子は違うらしい。つーことは、遊んでたのはお前だよな? カーラ」

「……ちぇっ、偽装工作が仇になっちゃったか。その娘になりすますときに、ちょっとやらかしたんだけどさあ。まあでも、人間の男の子って可愛いよね?」

「歳の差千歳越えが何言ってやがる。……っとと、いろいろ言いたいことはあるが……とりあえず『師匠』を通すとだな」

 創造神としてではなく、説教屋の師匠として。

 ぼき、と指を鳴らして、師匠は握りこぶしを固めた。

「娘が親に迷惑かけてんじゃねえ、ど阿呆!」

 ゴンっ!

 神に拳骨は効くのかとかいろいろ考えたいことはあったが、とりあえずタマラは隣に立つ本物の娘に声をかける。

「……ジュディ、心に刻んでおくといい」

「は、はひ…………」

 自分に向けられたものではないにもかかわらず、呂律の回らないジュディを横目に砂煙を眺めるタマラ。いつもならあの拳骨を受けた者で立っている者などいないのだが、そこは神なのだろうか。

 衝撃で地面が割れるほどの拳骨を食らったカーラは薄く目を開いて、恨めしそうな声を上げた。

「……神様に拳骨はないわ」

「だから言ってんだろう。神様としてのお前にはもう用はない。今、人間になりすましているお前には制裁を加えた。だから、もう俺に関わんな。次は天界で全面戦争も辞さないぞ」

「……それまでここで師匠ごっこを続けるって?」

「それまでじゃない。これからもずっと、だよ。お前の言うお遊戯会でも構わない。やってないよりも、な」


                 *


 ジュディは二人によってきちんと家に送り届けられた。もちろん、きちんと誤解を解くことも忘れずに。

 さすがに神様の諍いに巻き込まれたとも言えず、『誘拐されて、誘拐の事実を隠すためにあらぬ噂を言いふらされた』という間違ってはいない、くらいの理由を付けておいた。まあ、しばらくはジュディも懲りて、出歩かないだろう。

「師匠、ヘアピン」

「そんな怖い顔しないでよ。ていうか、そのつもりで渡したんじゃないの?」

「そのつもりで渡した。けど、替えは買ってほしい」

 出店の海を歩きながら、二人は会話を交わす。

 祭の一日目はさすがに混み合っている。確か、今日の午後からパレードだったか。

「……結局さ、師匠はあそこに乗ってるはずだったんだよね」

 タマラが指さすのは、準備中の神輿。中でも一番華やかな、主神を祀るものだ。

「まあね。でも、あれ乗り心地悪そうじゃない……?」

「担いでる人たちに謝れ」

「いや、そうなんだけどさあ……。実際、神様は空から眺めて『楽しそうだねー』って言いながら酒飲んでるもん」

「なるほど、一昨日の発言は実体験から来ていたのか」

 タマラは一昨日の雑談を思い出す。が、未だに実感は湧かない。

 そっと手を伸ばして師匠の頬をつねってみる。

「いっ! いはい、何すうの!」

「…………細胞、あるね」

「あはいまえれそ!」

 『当たり前でしょ』と言いたいらしいが、まったくわからない。

 が、とりあえず、タマラは手を離す。

「…………師匠。自己紹介してみて」

「何さ、本当に。もしかして、神様だと思ったら畏敬の念でも出てきた?」

「それはまったくありえない。どちらかといえば、神への信心がさらに薄れた。ただ…………師匠の正体がさらにわからなくなった」

 首を振るタマラに、困ったように笑って師匠は自分の胸を叩いた。

「俺は、全人類の師匠で、説教屋で、タマラの師匠だよ」

「…………それがわかれば、実生活に影響はない。十分」

「そうだね。じゃあ、タマラは?」

 聞き返されたことによほど驚いたのか、タマラは思わず立ち止まって。

 通行人が嫌な顔をするのも構わず考えるタマラの手を、師匠はそっと取って歩かせる。

 一分余りたっぷり黙ったタマラは、ボソッと呟いた。

「…………あなたの一番弟子だよ、師匠」

「そうか。……焼き立てのパン、いる?」

「食べる」

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